7 転生コーディネイターと認識に齟齬があり
そこは、いつぞやのスモーク演出空間だった。
究極的美声の持ち主は、相変わらず体型もなにもわからないダボっとした服を着て、顔の上部を覆う仮面をつけ、静かに佇んでいる。いや、浮かんでるのかもしれないけど。よくわからない。
「これは……いったいどうなってるんですか?」
「転生の際にお伝えしたように、三回までご連絡いただくことが可能です。これが、一回めの権利使用となります」
「あの、それはつまり、わたしが詰めたいと思ったから発動した……みたいな?」
「そうなります。ご利用ありがとうございます」
三回しかない機会の一回を、無自覚に使ってしまったことを把握。
……。
盛大なヤッチマッター! 感。これはつまり、粗熱をとっている最中のパンを乗せたお盆をひっくり返したときとか、小麦粉の入った袋につまずいて中身を床にぶちまけたときとか、ああいう感じだ。とり返しがつかない重大事件である。
ヤッチマッター!
ふるえる声で、わたしは重要と思われるポイントを確認した。
「残りの二回も、つまり……こんな風に無自覚に使っちゃうかもしれないってことですか?」
「特定のキーワードやジェスチャーを設定した上で、自動アクセスを停止すれば可能ですが、よくお考えください」
「よく……」
お考え?
「声を出せない、身動きがとれない、などの状況もあり得ますので」
物騒だろ!
「そうなったとき、自動アクセスできたら、助けてもらえるんですか?」
「いえ、これは一時的に意識を飛ばしているだけですので、現実の状況は変更不能です。わたしが励ますことであなた様が元気を取り戻される、主観的に時間を置くことで落ち着かれる……などの効果は見込めます。客観的には、時間は流れていません。冷静になった状態で元の時空に自我を戻すことが可能です」
意味ねぇ!
声を出せない、身動きとれない状況で冷静になっても、あんまり意味ねぇだろ! なんにもできないじゃん!
「かまいませんので、特定のキーワードやジェスチャーを設定したいです」
「では、迂闊に口にしないような言葉をお考えください。あるいは、日常では絶対にしないようなジェスチャーを」
これ意外と難しそうだな……。こほん、とわたしは咳払いをした。
「その前に、いくつか確認したいことがあります」
「はい、どうぞ」
「なんで主人公なんですか!」
「……はい?」
「乙女ゲーム世界に転生っていったら、悪役令嬢じゃないですか。なんで主人公なんですか!」
相手が当惑したのを感じた。え、なんで。
「申しわけありません、悪役令嬢、ですか?」
「乙女ゲーム転生っていったら、悪役令嬢ですよね?」
「悪役令嬢とは?」
待って待って。イケメンも乙女ゲームも通じてたから油断してたけど。相手は宇宙意識である。たしか。そうだったよな? まぁそうだと仮定する。常識的ななにかが共有されていないのでは?
「わたしが好きなのは、乙女ゲーム世界に転生するフィクションです。つまり、小説とか漫画とかです。そういうのって、悪役令嬢が主人公なんですよ」
「悪役令嬢が主人公?」
「そう。ひどいゲームで、なにがどうなっても悪役令嬢はナレ死する……あ、ナレ死ってわかります?」
「通じます」
「じゃあそれです。いやナレ死じゃない場合もありますけど、とにかく適当に殺されちゃうので、その運命を避けるために頑張って転生世界を生きる! みたいな話が好きなんです」
体感数秒の間を置いてから、究極的美声がこう尋ねた。
「死亡すれすれのスリルを味わいたいということでしょうか?」
「違う!」
そうじゃない!
しばらく解釈のすり合わせをおこなうことになった。意思の疎通は重要である。ことに、転生事業においては。
「伺ったことをまとめますと、転生先に選びたかったのは、乙女ゲームそれ自体の世界ではなく、乙女ゲームを題材にした世界に悪役令嬢が転生して活躍するフィクションの世界だった、と。そういうことですね?」
「うーん……まぁ、まとめるとそうなっちゃうんですけど、死亡フラグは必要ないです」
「あなたがお好きだった作品群では、主人公役のピンク髪は、だいたい間抜けか悪辣かその両方か。で、好感が持てないと」
「そうです。たまに例外はありましたけど、ほとんどの作品では、ゲームの主人公役の子って、なんかこう……」
「理解しました。大変失礼しました。そういうことですと、この転生は手違いということになりますね」
「手違い」
「はい」
「じゃあ、やり直しになるんですか?」
そう訊きながら、わたしは不安を覚えていた。
だって、わたしはルルベルなのである。メジャー・ヴァージョンアップを済ませているとはいえ、ルルベルなのだ。十六年以上前の前世の知識も一体化しているが、結局のところ、ルルベルとしての直近の十六年の方が強い。
生まれ直すとすると、今いるルルベルは消えてしまうのでは?
「いいえ、それはできません」
究極的美声の回答に、だから、少しだけほっとした。もちろん、むっとする面もある。
だって、ピンク髪の主人公ちゃんよ? ルルベルなんだけど。ルルベルなんだけど、ピンク髪よ……いや、ピンクっていっても、なんとなくピンクっぽいブラウン、くらいの色だけど。
でもさー、そもそもルルベルって名前からもう頭が軽そうに聞こえない? チョロそう。ラ行が大好きな親の名付けセンスを呪うしかない。ちなみに弟はリート、兄はルレンドだ。
「えっと……やり直しができないのはわかりました。それじゃ、この三回コンタクトがとれる機能って、いったいどういう……」
「生まれ直しのような根本的な変更は無理ですが、システムの微調整は可能ですので、そういうご相談は承ることができます。あとは、先ほども申し上げましたが、絶体絶命の窮地に陥ったときにお使いいただくと、お慰めすることが可能です」
いやいやいや、窮地に陥りたくないから! そういう前提で生きてないから! だいたい、助けてくれるんじゃなくて慰めてくれるだけって、おそろしく虚無だから! 無! 無だぞ!
「死亡フラグがありまくりの悪役令嬢ならともかく、主人公ポジションなら、なんとかなるんじゃないかと……」
「そうでしょうか?」
「そうでしょうか……とは?」
「わたしが学習した範囲での話ですが、乙女ゲームの主人公というものは窮地に陥りがちで、そこを好感度の高い男性が颯爽と助けてくれたりしがちです」
なるほど。……なるほど!?
「や、でもそれは……助けてもらえばいいのでは?」
「助けてくれそうな相手の好感度を上げておきませんと。誰も助けに来てくれない場合もございますし、話の流れで嫌々助けてくれても、態度はひどいものですよ」
「……」
わたしの脳内では、美しい翡翠色の眼をした激やば教師が「けっ、雑草なんだから手前の生える場所くらい自分で確保しろよな。俺をわずらわせやがって」と口走りながら、なんか強そうな敵を一掃する光景が展開した。ありそうだし、とても嫌だ。
「じ、自分を鍛えます!」
「それもよろしいですね。ああそうそう、ゲームによっては攻略対象が精神的に病んでいるものも――」
「待って待って待って! 今回転生した世界って、そういう設定なんですか!」
「いえ、そこまでは調整しておりません。イケメン多めで、王立魔法学園があって、転生者様が珍しい魔法に目覚めて入学する……あたりまでは、転生前の面接時にイメージとして伝わっておりましたので、それをベースにご用意いたしました」
そうかい。
「ただ」
「た……ただ?」
「ご承知かとは存じますが、珍しい聖属性の持ち主があらわれるということは、世界に危機が迫っているということでございますので、今後、いろいろなことが起きるのではないでしょうか」
「それはつまり、死亡フラグ的な」
「絶体絶命の窮地的なものかと存じます」
もうやだ、こんな転生!