65 エルフは理解できない三階の住人
お父さん、お母さん。ついでにお兄ちゃんと、弟の方のリートよ。人生は、イメージらしいよ!
ジェレンス先生なんて、厨二イメージが強過ぎてこうなっちゃったってことですかね? だって属性が五つで、二つ名が〈無二〉だぞ。そのうち「くっ……鎮まれ、俺の右腕! 皆、近寄るな!」とか口走りそうじゃん。
「でも先生、万人に好かれるいたいけな美少女になりたいと思っても、そう簡単にはなれないのが現実というものではないですか?」
「誰が美少女つったよ。おまえの売りは愛嬌だ。頑張ってる阿呆はちょっと可愛く見えるだろ。そのへんを狙うんだよ。おまえにぴったりだ」
的確にディスられている!
「……わたしの周りをうろうろしてる男子生徒に、適当に媚を売れってことですか?」
「おお、そのへんの話な。ちょっと整理しようぜ」
ジェレンス先生はわたしを手招きして、ソファの向かいにある椅子に座らせた。うわ、ふっかふか! さすが〈無二〉、家具も上等なのを置いてらっしゃる。お給金いいのかな。〈無二〉が薄給だったら、なんかこう……夢がないな。
くだらないことを考えているわたしの前に地図を広げると、ジェレンス先生はソファに座った。隙あらばまた寝ようって魂胆ではないだろうか……。
「ここが央国。こうして見ると、意外と狭いだろ」
ぶっちゃけ、下町育ちのパン屋の娘は、世界地図など縁がない生活を送っていたわけで……これは……なんていうか、思ってた以上に小さいな。
大陸の大部分は荒野とか大森林とか山脈とかで占められていて、人類がはびこっている地域は狭い。えっこれ五分の一もなくない?
その五分の一もなさそうな場所のほんの一部が、我が央国である。
「わたしの心が今、ちっちゃ! と叫びました」
「おまえ、たまに表現が面白いよな」
「そうですか?」
「魔性先輩、とか」
口にした瞬間、思いだしヒットを食らったらしいジェレンス先生は、ぶふっ、と吹き出した。
「また腹筋を痛めたいんですか」
わたしの指摘を無視して、先生は地図の上に置いた指先を少し動かした。
「位置でわかるだろうが、こっちが東国。面積でいえば央国よりさらに狭いが、平地が多い。どういう意味かわかるか?」
「小麦がよく育つということでしょうか」
「なんで小麦限定なんだよ」
文句をつけてから、ああ、となぜか先生は勝手に納得した。
「パンの原料だからか」
……そうだけど! たしかにそうだけど、当てられると悔しいね!
「すみません。数日前まで、わたしの世界はパンで占められていたので」
「謝ることはねぇが、認識はどんどん変えてけよ? で、こっちが西国な。面積でいえば、三国の中ではもっとも広い。だが、人跡未踏の森なんかも含まれてるから、人口はむしろ少なめだ」
「人跡未踏……」
「ま、エルフの里があるんだが」
あー。そういえばエルフ校長に連れて行かれた街もエルフの里が近くにあって云々って話してたような? だから自然の恵みがどうとか、葡萄がよく育つからワインが名産だとか。
「エルフも西国の国民なんですかね?」
「いや、エルフにそういう意識はねぇだろうな。基本、人間との交流は皆無だ。同じ世界に住んでても、層が違うって考えるといい」
「層、ですか?」
「俺がパンに詳しきゃパンで説明するんだが、素人なもんでな。……たとえば、俺たち人間が一階に住んでるとしたら、建物の三階に住んでるのがエルフだ。しかも、三階だけで暮らしが完結してる。一階なんざ関係ねぇ、って思ってるんだろうな。たまに見下ろすかもしれねぇが、それだけだ」
二階がスルーされてる! ていうか、一階と二階っていう比喩じゃないのが妙に生々しいな……あいだに二階を挟んでちょうどいいくらいの距離感ってことなのか。
「一階に住んでる人間の方は?」
「三階への階段も見失い、たまに上の方から綺麗な音楽が聞こえてくるけど神の恵みかしら、今日は気分がいいわね、みたいな勘違いとともに存在ごと忘れ去ってるな」
そこまで? いやでもまぁ……わたしもエルフ校長に遭遇するまで、同じ世界に住んでるって考えたことなかったしなぁ。そういうものか。
「じゃあ、西国がエルフと仲が良いっていうわけではないんですか」
「まったくない。あとおまえ、魔力覆い切れてんぞ」
ひぃ! 完全に忘れてた!
魔力魔力……こんな感じかな。でも、切れてるって指摘を受けてから満タンにするまでの時間は短くなってる気がする。多少は慣れてきたのだろうか。そうであってくれ。たのむ。
「エルフは別世界として切り分けたいが、校長がいるからな。校長は、長く人間社会で暮らしてるから、かなり人間っぽい。とはいえ、エルフはエルフだ。そして、おまえにやたら干渉してるから無視もできん」
「あの……校長先生は、味方だって考えていいんですか?」
ジェレンス先生は地図から顔を上げ、わたしを真正面から見た。キリッとした顔だけど、発言内容はひどかった。
「エルフのことは、わからん。考えるだけ無駄だ」
「無駄……」
「校長の存在を配慮して、予測にゆとりを持っておくのが最善策だろうな。現時点ではっきりしてるのは、校長は東国が嫌いだってことだ」
「え、なんでです?」
「東国は、エルフの里を滅ぼしてるんだ」
想定外! 想定外!
「どうしてそんなことに」
「東国は平地が多いから耕作には向いてる。ゆえに、経済が完全に作物に依存した。それしかできないから、買い叩かれやすい。豊作過ぎても値崩れするが、天候不順なんかで凶作の年は最悪だ」
「あのでも、聞いた話だと、今では技術先進国って……」
「そう。今はそっちに舵を切ってるが、そこにたどり着くまでが大変だった。ひたすら森を焼き払って国土と耕作地を広げたりな」
話が見えたぞ……その過程で、やっちまったのか。エルフの里を。
「でも、エルフもその……焼かれるのを黙って見ていたわけではないでしょう?」
「かれらは立ち去った。二度と戻らないだろう」
「抵抗しなかったんですか!」
「一階を焼き払われたら、三階は煙で燻されるだろ。こんなところには住んでいられない、というわけだ。結果、『なんとなく素敵なもの』は、東国からは消えた。もう二百年くらい前の話で、人間の方は世代交代が進んで忘れ去ってる。当時から、そこにエルフがいる、エルフの里があるって意識が希薄だったしな」
「ジェレンス先生は、どうしてご存じなんですか?」
「本で読んだ。校長とその話になったことがあって、あれは事実ですかと訊いたら恐ろしいくらい綺麗な笑顔で肯定されて、あっこれやべぇなと思ったよ」
当代一の魔法使いをして、やべぇと思わせるエルフ校長。半端ねぇ!
「だから校長は、東国出身のファビウスには当たりが強い。それと、最近気がついたんだが、どうもこの国の王族のことも嫌ってるみたいなんだよな」
それ! それですよ先生!
「やっぱりですか?」
「なんだ、おまえも思い当たる節があるのか」
「初代の王様の遺産をきちんと維持管理していないのに、ご立腹のようでした。あの、王宮の屋根瓦の話はご存じです?」
ジェレンス先生は顔をしかめた。
「あれかー。国を覆う巨大呪符魔法ってやつだろ? あれは、作ったこと自体が間違いだと思うが……まぁ、維持管理できてるかっていうと、できてねぇな」
「校長先生は……たしか、親友を蔑ろにされたことを怒るべきだろうか、って」
「なるほどね。で、校長は昼食にかこつけて、おまえを西国に連れて行った、と」
「はい」
「どこだ」
……どこだっけ? ラ行が多い名前で、両親が好きそうな……そう、たしか兄の名前とすごく似てたんだ……ルレン……あっ、思いだした。
「ルレンドルです。橋の上でソーセージを食べさせてもらいました」
「で、そこでなんの話をした?」
わたしは躊躇した。
たぶん、だけど。聖属性魔法使いを脱出させようとすることについて、エルフ校長は誰にも話してないだろう。これを勝手にジェレンス先生に話しちゃうのって、どうなのよ。アウトじゃない?
あの申し出は、わたしの逃げ道だ。いざというときのために、保険はかけておいた方がいいだろう。あと、校長先生の意に染まない行為をするの、地味に怖い。なんか怖い。
「央国と東国はどちらも聖属性魔法使いの取り込みを狙っていて、それぞれ王子を使ってわたしを籠絡しようとしている、というお話を伺いました」
「王子って、ローデンスと……ファビウスか」
「はい」
「ファビウスは、東国のために動いてる節はねぇな。俺は、その点は九割信じてる。ま、国が関係あろうがあるまいが、おまえを落とそうとはするだろうが」
「そうですね……」
その点については、我々から十割の信頼を獲得していそうな魔性先輩である!




