63 筋肉は無理なので別のものを鍛えろと提案された
文句をつけつつも、ジェレンス先生はそれ以上は追求しなかった。食事を終えると立ち上がり、行くぞ、とわたしに声をかける。
食後のゆっくりタイムといったものはないのかな! なさそう!
怪我したらいつでも来てね〜、と物騒なことを口走って手をひらひらさせるウィブル先生と別れ、我々は研修室へ……いや、これは研修室の方角じゃなくない?
「どこに行くんですか?」
「くだらんこと質問する暇があるなら、目的とやらのために努力しろ。魔力の覆いを常時展開できるようになるつもりじゃないのか」
「先生、こんな爆速で歩きながら発動できるような練度はまだないです! ファビウス先輩にも無理だといわれてます」
「どんなに速くても徒歩は爆速にはならねぇだろ。そうだな……俺の魔力で一回り大きく覆ってやるから、おまえの魔力をたれ流してみろ。何回もやってるんだから、見えなくてもできるはずだ」
たれ流す……。あまり美しくない表現だが、やってみた。
「先生、なにか、つっかかってるような……」
「わかるか。もう満タンってことだ」
「満タン……?」
「俺がカッチリ覆ってるその内部が、おまえの魔力で埋まったってことだよ。いいか、おまえがやろうとしてることに厚みは不要だ。極薄でいい。やたら消耗するのは、分厚く作るからと、外部に漏れてるせいだろう。今、おまえが感じてる魔力量が、適正だ。覚えろ」
「量を覚えても、薄くできないと全身を覆えないのでは……」
「だから、それも覚えろ。この薄さだ。全身を覆うことを覚えたなら、次は厚みの制御に決まってる。だから、それを自分に叩きこめっていってるんだよ。鋳型にはまった感じを記憶して慣れろ」
なるほど。すると、魔性先輩の覆いはちょっと余裕がある感じだったのかな。
そういえば、初日がいちばん魔力が長持ちしたな……ずっと先輩のガイドありでやってたから、厚みの限界が……あっ、それに漏出を阻止する効果もあって、魔力の消耗が抑えられたんだな! なるほど納得。
考えながら魔力を展開したり感知しようとするのに忙しくしているあいだに、目的地に着いたらしい。
「入れ」
そこは、ジェレンス先生の部屋だった。前に本を借りに来たとき、忙しいからけっこう寝泊まりもしてるって話してた部屋だ。あのときは、中には入ってない。最強の〈無二〉の部屋なんて、興味津々である。
「……かたづいてますね。意外です」
「呼吸するように失礼だな」
ジェレンス先生には負けます。とは、いわないよ。今日はすでに我慢できずに口を開く権を使っちゃったからな……一日一回って無理なのでは?
いや〜、それにしても本棚だらけだな! 壁イコール本棚って感じ。しかも、ぱんぱんに詰まってる。
「また本を貸していただけるんですか?」
「あー、ちょうどいいから見繕うが、それ以前の問題として」
ガッチャン、と後ろで派手な音がした。思わずふり返ると、扉に内側から掛け金がかかっている……えっなに、むっちゃ頑丈そうな掛け金! 次々と音がして、扉上部と下部もがっちり固定された。
「意外と物理的な防御……」
あっ、声に出てしまった! でも、この発言は失礼扱いされなかった。
「物理は馬鹿にならん。魔法使ってると、実感するぞ。物理強い、ってな。おまえも、いずれわかる」
「わたしはもう思ってますよ」
聖属性魔法で全身を覆っても、物理は通る……ってさんざん指摘されてるからな!
「そりゃ結構なことだ。それで足元を掬われた魔法使いが、何人いることか」
ジェレンス先生の方に向き直ると、先生は書棚から本を取り出して机の上に積んでいた。ひょっとして、次の課題図書か……。分厚い。分厚いぞ!
黙って立っているわたしに、先生は顔も上げずに尋ねた。
「おまえ、危機意識が薄いってさんざんいわれてないか?」
「よくご存じで……」
「まずいっておくが、部屋で誰かとふたりきりになり、鍵をがんがんかけられた状態で、はじめの反応が『物理的な防御』って、どういう了見だ。そこは危機感を覚えるとこだろ」
えっ。そういう問題だったの?
「ジェレンス先生には、逆らっても無駄だと思います」
「諦めるな。なにがあっても逃げられるように、つねに考えてろ。世界を救うつもりなんだろ。だったら、自分も救え。まず、そこからだ」
「そこからだ、と申されましても……」
スタート地点の難易度の高さが、すでにエベレスト級じゃん。
現実的な話、ジェレンス先生がわたしを閉じ込めるって決めたらもう……無理では? 無理だよな?
「まぁ、俺に逆らうのは無理かもしれん」
認めやがった!
不満いっぱいの顔で同意しかけたわたしを、ジェレンス先生は視線で制した。ちょっと厳し過ぎて、顔面がイケてるかどうかがどうでもよくなるレベルの眼差しである……。
「それでも、まず、そういう状況にならないよう配慮することは可能だろ。……話したことがあるよな? この国の初代の王、つまり大暗黒期を終わらせた聖属性魔法使いは、筋肉馬鹿だった、と」
「あ、はい」
ジェレンス先生が気の毒そうな表情をするのをはじめて見たので、よく覚えている。たしか、あのときもリートが危機意識がどうのという話を……ああ、そのくせ先生には脅すなとかぬかして、おまいうー! って思ったんだった。そうだった。
「これは回答のひとつだが、おまえには勧めん。女性だからな。筋肉をつけても限度があるし、単に筋肉がついてるだけでは意味がねぇから、武芸も学ぶ必要がある。おまえ、なんらかの武芸の鍛錬をしたことはあるか?」
「ありません」
下町のパン屋の娘に無茶な期待をされても困る!
「だろうな。魔法の訓練をしながら、本人が物理的に強くなる路線は無理だろう」
「はい」
「というわけで、おまえが学ぶべきは、まず話術だ」
「わじゅ……はい?」
「話術だよ。聞こえなかったはずはねぇよな?」
聞こえてますけど、話術って。
「ええと……言葉で相手を煙に巻く、みたいなことですか?」
「おまえ、話術が最低限成立する条件はなんだと思う」
問いながら、ジェレンス先生は長椅子に転がった。……ほんとに寝転がるつもりだったのか。比喩的表現ではなく!
クッションの位置を調整して、ジェレンス先生は眼を閉じた。いや先生、その姿勢、完全に睡眠に入るルートですよね? 違います?
「おい、返事はどうした」
「はい」
「はい、じゃねぇよ。話術が最低限成立する条件について答えろ」
「あの……わかりません」
「考えろ。思いつくものをいえ、間違ってもかまわん。俺に笑われるだけだ」
いやいや、わたしの心は繊細なので……あまり、せせら笑われたりとかしたくないのです、先生! でもこれ、黙ってるとむちゃくちゃ評価が下がりそうだよな……間違いを口走るより、さらに悪そうなやつだ。
必死で考えた結果を、とりあえず口にした。
「相手がいることですか?」
「そう。話術が成立するには、それを受け止める相手が必要だ」
まさかの一発正解だった!
ジェレンス先生はわずかに眼をひらくと、わたしに指摘した。
「魔力覆い、解けてるぞ」
「えっ」
気がつかなかった……というか、完全に意識から飛んでた!
「思考に集中したんだろ。展開し直せ」
「はい」
「で、話術でなにを狙うかだ。おまえに色気があったら魔性の女路線だったんだが……」
色気がないといわれた。知ってる。知ってるけどイラッとするのは許してほしい。べつに色気があるという評価がほしいわけではなく、上から目線で勝手に評価されるのがイラつくのである。
知ったこっちゃねーわ、放っといてくれ。
「今あるものを活かす方向で考えるしかねぇな。おまえの場合、愛嬌はあるし、雰囲気を察する力もある。会話の能力も、まぁ高い方だろう」
えっ、そうなの? 一般レベルじゃないの?
なぜか頭の中にウィブル先生が登場して、魔法使いって、まともに会話できないのが多いのよね〜、とつぶやいた。そんな話を聞いた覚えはないので、以前の会話からの連想だけど……なんか、そうなんだろうなという謎の納得が心に満ちてしまったよ。
勝手に納得しているわたしに向かって、ジェレンス先生は宣告した。
「おまえが話術で意識して演出すべきは『守ってあげたい、けなげな少女』路線だ」
……なんて?




