563 なんという、曇りなき眼……
その間に、ナクンバ様はすごい速度で現地を飛び去った。ジェレンス先生が本気で追いかけてきたら、まぁ……打つ手がないかもだけど、時間を稼ぐことはできるだろう。
――アレが安易に来られぬ場所に行こう。
――助かります、ありがとうございます!
たよりになるナクンバ様に行き先はおまかせするとして、魔王はどうなったかというと――ちゃんと幼児に戻っていた。すごい素直。怖いくらいだ。
封印される前の記憶がクリアされているようなのだから、実質、生まれたてのほやほやってことなんだろうな。なまじ肉体が育っちゃったから、そうは思えなくなっていたけど。
一応確認すると、幼児に戻った魔王は、おむつっぽいサムシングを穿いていた。あれだけサイズが変わっても追随するのだから、布おむつなどではなく、サムシングだろう。
まぁいい。穿いてるならヨシ! 大人になってたときも穿いてたなら、なおヨシ!
「約束だもんね、抱っこしてあげる」
「……うん」
少し躊躇したのは、抱っこ抱っこと口にしていても、魔王自身、具体的にどうするものなのかは理解していなかったからだろう。どこか不器用な仕草で、小さな魔王は抱きついてきた。
この年齢感で、このサイズならまぁ……許してやらなくもない。うむ。しかたない。
わたしも魔王の背に手を回し、よしよし、とかるく叩いてやった。
顔をすりつけながら、
「ママ……」
これはわりと、アウトだけどな!
「ママじゃないよ」
「なんで皆、痛いことするの」
痛いことかぁ……。たしかに、巨大竜巻に突っ込まれたら痛いよね……痛い、で済んでるあたりが魔王なんだけど。
いや、そうじゃなくて。なんで、そういうことをするのか?
「それは……あなたのことが怖いから」
「怖い?」
「わかるでしょう。あなたは、とても強い」
「うん」
やっぱ、そこは自覚あるんだな……。
しかしなぁ。敵対する前にと勢いで連れ去ってきたものの、このあと、どうするのが正解?
「ママ」
「ママじゃないよ」
反射的に答えると、魔王は不思議そうに首をかしげた。
「ママ?」
めげないなぁ。否定するだけ時間の無駄っぽい気がするけど、一応。
「違うってば。……で、どうかしたの?」
「強いと、怖いの?」
「そうだねぇ……たぶん、そう」
「じゃあ、ママも怖い?」
そう問いながら、魔王はわたしの肩口に顔を埋めた。まるで、答えなんか聞きたくないとでもいうように。
うーん……それなら答えないことにするか。
「逆に訊くけど、あなたには、ある? 怖いもの」
こくり、と。頭が動いた。
「なにが怖いか、教えてくれる?」
「ママ」
「……わたしのこと?」
こくり、アゲイン。
いやいや。抱っこをせがむ相手が怖いの、おかしくない?
「なんで?」
「強いから?」
よくわかっていなさそうな、声。
……まぁ、生まれたてのピチピチだもんな。怖いって言葉の意味さえ、よくわかっていないのかもしれない。
「強くないよ」
答えて、わたしは魔王を抱く手に力をこめた。
どうにかして、信用してもらうべきだ。安心させたい。しっかりとした関係を築いて――敵対しないようにしなきゃ。
魔王と戦って、勝つのは難しい。それはもう確定している。だって、あのジェレンス先生が、魔王を倒す魔法をイメージできないっていうんだ。
イメージできなきゃ魔法は使えないし、ジェレンス先生が当代最強の名を恣にしているのは、魔力量がすごいからだけじゃない。イメージ力が高いからでもあるはずだ。
ジェレンス先生に無理ってことは、ほかの誰にも無理だろう。つまり、魔法で魔王を倒すことは不可能と考えた方がいい。
じゃあ物理で――つまり、魔法にたよらない暴力で倒せるかっていったら……それもかなり難しくない?
「ママ、強くない?」
「そうだね。強くないと、嫌い?」
「ううん。抱っこしてくれるから、好き。あと……近くにいると、気もちいい」
聖属性魔力ね……おまえそれ天敵の魔力だぞ、とは思うけど。
素直過ぎるからなぁ。あなたとわたしは敵同士だよと教えたら、そうなの? わかった、って受け入れかねない――いやでも、どうかなぁ。絶対ブレない「ママ、抱っこ」があるから、わたしとは敵対しないかな?
脳内リートが「自分に都合が良いだけの妄想に逃げるな」とツッコミを入れてきた。ああもう……ちょっと放っておいてくれないかな!
「ママ、好き……」
……やべぇ。幼児魔王にこんなに懐かれると、わたしも好きッ! になりかねない。
冷静でいなきゃダメだ。好きだけで行動を決めていいわけないんだから。
「ありがと。でも、あなたはまだ、わたしのことしか知らないだけ」
「……だって、ほかのひと、痛くするもん」
うん、ここは挽回するの難しいな。どう説明しよう……。
「さっきも話したけど、怖いからだよ。だって、あなたは負けないでしょう?」
「うん。……強いから?」
「そうだよ。すごく強いから、相手も強く返すしかなくなるの」
ね、と声をかけながら、わたしは魔王の小さな背中をかるく叩いた。
「手を、出してみて?」
「……うん」
魔王は少し身を起こし、小さな右手を出す。……指がふっくふくしてて、可愛いったらないのだが、まぁそれは考えないことにして。
わたしは魔王を抱っこしている手に力をこめ、支えがゆるまないように気をつけて、左手を出した。そして魔王の右手とあわせて、うん、とうなずく。
「手を合わせたところで、わたしがこう、力を入れるでしょ」
ぐっと押すと、とっさに魔王も押し返してきた。
ヨシ、うまくいった。
「わかった? 押されたらさ、相手はそのぶん、押し返したくなるわけ」
「うん。じゃあ、ひどいことし返してもいいんだね」
「……うん?」
「先に押してきたのは、あのひとたちだよ」
視線を合わせると、まっすぐ見返された。なんという、曇りなき眼……。
いや待てよ、そうだっけ? そうかも?
……そうだよな、魔王は「ママ抱っこ」で走ったり飛んだりして近寄って来ただけで、こっちはビビってたから攻撃して……って流れだよ!
「そうね……そうだけど……押されたら押し返すんじゃ、きりがないよ」
「でも、こうなるよ」
幼児魔王が、わたしの手を押す。思いのほか強い力だったので、反射的に抵抗してしまった。
いかん。
ね? って顔で見ないでくれないか!
わたしはちょっと視線を上にやって――曇りなき眼と相対しつづけるのは疲れるのだ――考えた。
こっちとしては、魔王が出現した! ってだけでもうビビりまくりなのだ。魔王っぽいというフィーリングがすでに、威圧感バリッバリなのである。たとえるならば、台風の強風域に入って吹き飛ばされそうな心地なのだ。押されまくりだ。吹き飛びそうだ。
……なんて説明、納得してもらえるはずないけど、ほかに思いつかない。
「だけどね、怖かったんだよ。あなたに会ったとき」
「なんで?」
「思いがけない……そこで出会うと思わなかったものだから? かな?」
そこに生えてるはずのない植物が生えてて、赤ん坊の泣き声が聞こえたらさ〜。
怖いじゃん! そんなのホラーの一場面じゃん!
「だけど……ごめんね」
「……なに?」
「はじめから怖がって、ごめんね」
せっかくロスタルス一世陛下が与えてくれた、おだやかな封印。愛に包まれる未来の夢が、目覚めたとたん、壊されたわけだから。
またしても更新が飛んで、すみません。
抗がん剤を入れると、しばらくこう……いろいろと不具合が生じるため、どうしても更新のことまで思い至らず。




