512 抱っこされててもカッコイイってどういうことよ
呪文を唱え終えても、あまり疲れは感じなかった。
魔力の残量も、わからないけど……ぶっ倒れてないってことは、まだ使い切ってはいないんだろう。
わたしは顔を上げ、エルフ校長を見る。もういいですか? やれることはやりましたか? それなら。
「……あちらに行っても?」
「僕も行きましょう」
歩きはじめたら、思った以上に足が重かった。やっぱり疲れてるんだろうなと他人事のように考える。でも、わたしよりエルフ校長の方が大変なんじゃない? さっきのマジですごかったもんな……。
ふと思いついて、声をかける。
「ナヴァト」
「はい」
「一般兵の様子を見てきてくれる? わたしはもう呪文を唱える力が残ってないけど……生属性魔法使いの有無とか、被害の程度とかを把握しないと、応援を呼ぶのも難しいだろうし」
「それは俺が行こう」
割って入ったのは、リートだった。
表情はいつも通りだけど……リートだからなぁ。なんの参考にもならないや。
「……ここにはもう人手はいらないってこと?」
「そうだな。それに、俺の方が立場が上だから指示も出しやすい。……ファビウスは生きてるから、安心しろ。あとはたのんだぞ、ナヴァト」
「はい、隊長」
生きてる。
そう聞いたとたん、膝の力が抜けそうになったけど、なんとか踏ん張った。
生きてる。生きてる! よかった!
「ルルベルちゃん」
こっちこっち、とウィブル先生が手招きする。しゃがんだ身体の向こうに、投げ出された足が見えた――なっがいなぁ。さすファビ。
「ファビウス様は……大丈夫ですか?」
「治療の反動で気絶してるだけ。呪符で身体強化を発動して、耐えたみたい」
でもさぁ、直撃よぉ? と、ウィブル先生は呆れたようにつぶやく。
その言葉に、血の気が引く思いがした。
「つまりその……岩が、ですか? 直撃って」
「そう。生属性でもないのに、よくやるわねぇ……ま、さすが天才ってとこだけど。おかげで治療も間に合ったし。でもほんと、二度とやらないでほしいわね。岩をどかすのだって、大変なんだから」
ファビウス先輩の近くには大穴が空いてるけど、岩が転がってるのは穴とは違う場所だ。
これはつまり、アレだ。ウィブル先生が生属性魔法で身体強化して岩を持ち上げた、とか……そういう話だな!
うんわかったぞ! ウィブル先生! 先生は、よくやるわねぇとか他人様のことをいえないと思います!
「万象の杖で消そうかと思ったんですけど、範囲を間違ったら困るからって校長先生に止められました」
「あー、そうよね。それはそう。人体がからんでる場面では、その杖の運用は慎重にしてね?」
さすがに欠損の復元はつらいし、一気に致命傷にもなりかねないし、とウィブル先生が怖いことをぶつぶついってるが、あまりちゃんとは聞いてなかった。
横たわったまま動かないファビウス先輩を見てしまったから。
かすかに胸が動いてるし、呼吸はしてるんだと思う。リートもウィブル先生も、ファビウス先輩は生きてるって、無事だって教えてくれてるわけだし。
でも……。
ふらっとしたわたしを、エルフ校長とナヴァト忍者が両側から支えてくれた。
いやどうも、助かります……ちょっと立ってるのつらいですね、今。貧血も起こしてるっぽいし。なんかもう……無理。ここまで頑張ったけど、これは無理!
「あ、リートに呼ばれた。あっちでも怪我人が出てるみたい。交代してくるわね」
立ち上がったウィブル先生は、わたしの肩をポンと叩いて歩きだした。
ほどなくリートが戻って来たかと思うと、無言で立ち尽くしているわたしたちに告げた。
「撤収しよう。巨人の動きについて、報告する必要がある。校長先生、トゥリアージェの城まで転移できますか?」
「数人なら。護衛隊を含めても、なんとかなるでしょう。ウィブルは置いて行くのですか?」
「あのひとは、その気になったらアホみたいな速さで走れますよ。疲労も自分で治しますからね。乗馬もできますし、その場合は馬を癒しながら駆けてきますから。問題ないでしょう」
ウィブル先生ってマジでチートだな……とぼんやり思う。
でも、ファビウス先輩から視線をはずすことができない……。
「護衛隊、帰還するからこちらへ!」
呼びかけながら、リートがファビウス先輩を抱き上げた。あっ、お姫様抱っこ……気絶して抱っこされててもカッコイイってどういうことよ、ファビウス先輩。おかしいでしょ?
なんかもう泣きたい……聖女って泣いていいもの? 感情がぐちゃぐちゃだよ。どうしたらいい? 聖女スマイルは無理だぞ! というか、もう倒れそうなんだけど、なんで倒れてないんだろう……ああそうか、エルフ校長とナヴァト忍者が支えてくれてるからか。
ぐだぐだ考えてるあいだに、気がついたらトゥリアージェの本拠地に着いていた。もちろん、聖女専用ルームである。
ファビウス先輩をソファに横たえると、リートは護衛隊の騎士二名を連れて出て行った。報連相の時間なんだろう……リート有能だなぁ。助かる。
「ルルベル、君も休んだ方がいいです」
寝室へ連れて行かれそうになったけど、わたしは拒んだ。だって。
「ファビウス様の、おそばに……いさせてください」
あっ、本名いっちゃったけど、大丈夫? 大丈夫だな、さっき護衛隊はリートが連れて出たし。
エルフ校長はちょっと間を置いて、わかりましたとうなずいた。
「僕も話して来ます。残り二体の巨人が気になりますし」
「……残り二体?」
「さっきも説明しましたが、巨人はあまり能動的には動きません。直接攻撃を受けたわけでもないのに、あそこまで反応するのは異常です」
ぼんやりしていた頭に、エルフ校長の言葉の意味が染み込んでいく。
じわじわ……じわじわ……。
ああ、そういうこと? たしかに、説明されてるな。魔王復活となれば意識が明瞭になり、はっきり敵対してくる……って。
そういうこと……。
ソファの前に膝を突いていたわたしは、眠るファビウス先輩から意志の力で視線を剥がし、エルフ校長を見上げる。
「魔王が……復活したんですか」
「その可能性がある、という話です。早急に、ほかの巨人の様子も見に行かねば。あるいは、もう報告が入っているかもしれません」
「……わかりました」
「君の魔力はもう乏しい。ゆっくり休みなさい」
そういって、エルフ校長は部屋を出て行った。
……校長先生は平気なんですか、とは訊けなかった。平気じゃなくても、急ぐ必要がある。
だって、魔王が復活してるかもしれないんだから。
わたしはファビウス先輩の手を握った。すみませんファビウス先輩、セクハラじゃないんです。お嫌だったら、あとで怒ってくださってもいいです。でも。
でも。
わたしは握ったファビウス先輩の手を、押しいただくようにして額に当てた。冷たい手だ。
「ナヴァト……毛布を持って来てくれる?」
すぐにナヴァトが毛布を持って戻って来て、ファビウス先輩にかけた。わたしの肩にも。
ありがとうとお礼をいいながら、わたしの心はさまよっていた。
どうしよう。
魔王が復活する。
万象の杖があるといっても、わたしの魔力に依存する以上、その効果はたかが知れている。万全の状態だったとしても――今日より効率よく呪文や魔法を使えたとしても、わたしの魔力量では限界があるんだ。
明日一日かけて、もう一匹の巨人を同じような状態にできる? でも、あれはエルフ校長の大技が決まっての結果であって、わたしの貢献量はさほどでもない。エルフ校長抜きでは、とても抑えきれなかっただろう。
というか、明日、なんてほざいてる暇あるの?
今このときだって、ほかの二箇所にいる巨人が守備隊を攻めているかもしれない。
岩につぶされる人々を想像して、わたしはぎゅっと眼を閉じた。想像なんだから意味ないっていうか、眼を閉じたらむしろ妄想が捗っちゃうのにね。
正直、はじめての本格的な戦闘に怯えていた。
今までも吸血鬼と対峙したことはあったし、巨人に近づいたこともあった。どちらも犠牲は出ていただろう――とくに吸血鬼。かなりの人数が被害に遭ったはず。
だけどわたしは、それを目の前で見たりはしていなかった。
いつもチート級の魔法使いに囲まれて過ごしてたから、安心安全の警護体制だったのだ。ヤバいことといえば、政治的な思惑のナンチャラカンチャラが主体だった気がする。
でも、これからはそんな話では済まない。
わたしは、横たわって動かないファビウス先輩の顔を見下ろした。少し青ざめた貌に、恐怖がよみがえる。
自分が死ぬのは、もちろん怖い。
だけど、自分のために誰かが死ぬのも、怖い。怖くて怖くて、叫びだしそう。
もう覚悟はできていたと思っていたけど、全然だったな。
たぶん、覚悟しても覚悟しても、それを上回るなにかが生じるんだろう。それも、これからずっと。
そんな日々が、はじまるんだ。




