511 世界を根本から変えてしまう技術だ
落ち着け、わたし。大きく息を吸って〜! 吐いて〜! 吸って〜!
全集中! 聖女の呼吸!
……まぁ、落ち着けないよね。落ち着いたふり、で精一杯だ。
だけど、あっちにはウィブル先生がいる。国いちばんの生属性魔法使いだ。リートもいる。あいつだって生属性だ。わたしなんかより、ずっと役に立つ。
むしろ、わたしはこっちを引き受けなきゃいけないんだ。かれらが安心して対処できるように。
「僕も力を貸しますが、この地にはもう精霊がいない。ゆえに、原初の言語を使います」
「はい」
「君は巻き込まれないように注意を。まずは、あれを弱らせる必要があります。防護壁となる木を育てましょう――ナヴァト、護衛隊の騎士を呼んでください。僕とルルベルが呪文を唱えるあいだの守護が必要です。君ひとりでは、時間を稼ぎきれないかもしれません。ただ、一般兵は下げておきたいですね、このまま。被害を大きくしたくありません」
「委細、承知しました」
「まかせましたよ」
エルフ校長がナヴァト忍者に指示を出しているあいだ、わたしは巨人を見ていた。さっき穢れを消したときは座っていたのに、今、巨人は立ち上がっている――切り立った崖の上に頭が出そうなほどの大きさだ。
そして、その崖に手をかけて、岩を削り取っている。
距離があるし、巨人のサイズ感のせいで岩も小さく見えるけど、あれを投げ込まれたら相当大変なことになる。
これ以上、やらせるものか。
わたしの後ろには、たくさんのひとがいるんだ。わたしが守る。守られてばかりでいられるか!
「校長先生……今、巨人が握ってる岩を消してもかまいませんか?」
エルフ校長も、ちらっと巨人の方に視線をはしらせた。そして、うなずく。
「力を使い過ぎないように」
「はい、先生」
「終わったらすぐ、木を育てます。君の呪文が必要です。無論、そのための魔力も」
「わかりました」
力を使い過ぎないように……範囲指定を狭めにした方がいいかも。巨人の指や手まで吹っ飛ばすと、さらに凶暴化する危険性がありそうだし。
けっこう距離があるけど、魔法ってイメージだからな。目視できてれば、問題なく届くはず。
わたしは手をふって、万象の杖を握り直した。まだ手に入れたてのほやほやだけど、一蓮托生の相棒だ。たのむぞ!
「アファルガルマ!」
叫びとともに、巨人が握っていた岩が砕けた。
……うん、だいたい狙い通り。中央部を消失させたことで岩の耐久力が弱まり、巨人の握力であっさり粉々になったというわけ。
魔力消費も……うん、さっき穢れを消したときほどは使ってない。範囲を絞るの、だいじ!
「ルルベル、治癒の呪文を、広範囲で。力はあまり込めずに、薄く広くお願いします」
エルフ校長にいわれて、わたしは眼をみはる――さっきまでただの荒野だった場所に、若い苗木が何本も並んでいる。無から有を、命を生み出すなんて。人間の魔法使いには、たぶん無理だ。
「わかりました!」
消えた子どもはどこに?
消えてはいないよ、ここに
原初の言語を唱えはじめながら、わたしは心を空に飛ばす。地に沿わす。あたりに、ふわりと散らしていく。
わたしはわたしじゃない。わたしであって、わたしじゃない。
それは大気、それは大地であり、生命そのもの。芽生えたものを育てる力よ、さあ!
苗木はぐんぐん育つ。そして、増える。
息を切らして唱え終えたときには、あたりは白くかがやく樹木で覆われていた。ちょっとした木立だ。その向こうにいる巨人の、立ち上がった頭のあたりしか見えなくなっている。
「ルルベル、よくやりました」
「……はい」
さすがに魔力の残りが少ない気がするけど、使い切ってはいない……はず。
あたりに漂う呪文の気配、原初の言語が世界を書き換えていく力を感じ、わたしはエルフ校長を見た。すると、エルフ校長はうなずいて、告げた。
「けっして、巻き込まれないように。そんなことになったら、叔父に叱られてしまいます」
冗談めかした微笑みを残して、エルフ校長は空へと舞い上がった。
精霊はほとんどいないと話していたから、自身の魔力を使ったのだろうか――長い金髪が風になびき、ひろがっていく。まるで、光の粒子がこぼれていくみたいに。
「ルサルヤ、エレンディアル」
エルフ校長が唱えはじめた言葉は、わたしの知識にはないものだ。
それでも、呪文を学んだからわかる。もう、はじまっていることが。
エルフ校長の姿は極限まで光りかがやき、と同時に希薄になっていく。彼自身が世界の理になったかのごとく。あるいはこの世界を書き換えるために――その外に踏み出していったかのように。
ああ、そういうことか。
なんとなく得心して、わたしはただエルフ校長がいるはずの場所を見上げていた。
なにが「そういうこと」なのか、そのときは言葉で説明できなかったけど。
でも、わかってしまった。そういうことなんだ、って。
空間に裂け目ができるのを、わたしはただ見守っていた。
エルフ校長はまだなにか唱えているけど、意味をとることはできなかった。……というより、音は音のままで、まったく意味をなさない。言葉にならない以前の問題で、なにが聞こえてるかがわからないんだ。擬音にすらできない。
これが――予期せぬ事態にそなえて万象の杖を保持しつつ、わたしは理解する――原初の言語で語る、ということだ。
人間のために薄められた呪文なんかじゃ、まったく太刀打ちできない。
これは、世界を根本から変えてしまう技術だ。
広がった裂け目はあたりのものを吸い込みはじめた。おもに、抵抗しようとしている巨人を。
巨人は崖に手をかけ、投げられるような岩を抉り出そうとしているかに見えた。でも、そんなの無駄な抵抗だ。吸い込む力はどんどん強くなり、巨人の輪郭は揺らぎ、壊れ、散開する。
白くおぼろな影になって――手前の樹林帯にさえぎられて完全に見えなくなるほど、削られていく。
「アファマルヘラム」
そのひとことだけは、聞こえた。原初の言語で、長い眠りをさす言葉だ。長い眠りというのは、一晩寝ましたみたいなんじゃなくて……最低でも何日か昏睡状態でした、みたいな? エルフ的には、何百年もの眠りなんかを示す言葉だろう。あるいは――永遠の眠り。
静かに下りて来たエルフ校長は、もう光ってはいない。さすがに少々くたびれた感があって、それでも美しかった。この世のものとは思われないほど。
「先生、どうなったんですか?」
「滅することはできませんでしたが、矮小化させた上で樹木を使って拘束し、眠らせてあります」
なんかサラッと、すごいこといわれたな……。
「では、もう身構えなくても平気ですか」
「そうですね。ただ、投げられた岩の破片が、あちらにも飛んでいます」
あちらっていうのは、各国混成の兵隊さんたちだ。つまり、この地点に配された守備隊ってやつ。
ここに落下した巨大な岩ほどじゃないけど、巨人の雑な投擲で、かけらが散ったんだろう……。
エルフ校長は、大きく息を吐いた。大技使ったんだもんな。疲れているだろうに、それでも背後のニンゲンたちを気にしてくれるんだから、やっぱりエルフ校長はニンゲンにやさしいエルフだ。お節介だ。
「このあたりも危なかったのですが、それはナヴァトたちが防いでくれたようですね」
わたしはエルフ校長を注視してて気づいてなかったけど、巨人は暴れていろいろ投げてたらしい。せっかく作った聖属性の木立も、あちこちで折れたり倒れたりしている……。
えっ、わたし棒立ちしてる場合じゃなかったのでは? リートに叱られそうだな。
「生属性は――」
いいさして、わたしは口をつぐんだ。
ウィブル先生とリートは、たぶん手が空いてない。なんでかを考えないようにしつつ、あらためて言葉をつづける。
「――あちらの守備隊には、魔法使いはいないのでしょうか」
「僕にはわかりません。ルルベル、もう少しだけ頑張れますか?」
「はい。薄くなら、治癒の呪文をかけられると思います」
「……それがいいでしょう。くれぐれも、魔力を使い切らないように」
「気をつけます」
「僕が補助しましょう」
エルフ校長が、わたしの肩にそっと手をかけてくれた。
少し、手がふるえてしまう。大丈夫……わたしなんかより、ウィブル先生やリートの方がずっと有能なんだから。こんなうっすい呪文より、絶対。
「大丈夫ですよ」
わたしの心の裡を読みとったかのように、エルフ校長がささやいた。
「大丈夫です、ルルベル」
ほんとうに? なにが大丈夫なの?
わからないけど、信じちゃいますよ先生? 信じていいんですね?
揺れる心を制御するのは難しかったけど、エルフ校長がわたしの思念をそっと押しやり、解放してくれた。
風に乗り、心をほどいて、わたしは感じる――ああ、世界は美しい。
地上がこんなにも争いに満ちていたとしても。
かる〜くお読みいただける、ラブコメ短編を投稿しました。
家の都合で婚約したら初恋泥棒に遭遇した話
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