509 そこに思い至ったことは、褒めてやる
ファビウス先輩は柵のところまで来て、わたしに並んで呪符の状態を検分しはじめた。
ここにベタベタ貼ってある呪符の開発者だもんね! 少々心得があるとかいうレベルの話じゃないよ……。
「どうでしょう? 呪文の影響があったりはしないでしょうか」
「それは問題ないでしょう。ただ、ちょっと……」
深刻そうに眉根を寄せてから、ファビウス先輩は声を落としてささやいた。
「君に危険が及ぶのではと、気が気じゃなかった。無事に終わって安心したし、感動もしてる……素晴らしいよ、ルルベル。心まで洗われたみたいな気分だ」
……ファビウス先輩にお褒めの言葉をいただいたー!
わたしも声をひそめて答える。
「そういっていただけると、嬉しいです。……でも、ご心配をおかけしてごめんなさい」
「謝らないで。僕が勝手に案じてるだけだから。いつだってね」
少し困ったような笑顔を向けられてしまって、わたしは言葉に詰まった。
世界の果てに行っちゃったこととか、ファビウス先輩とは共有できていないのである……そのへん話したら、また心配させそうだなぁと思いつつ。隣に並べる貴重な機会に、頭がふわふわしはじめて、ヤバい……。
傍目には、呪符の詳細について話し合っているように見えるはずだけど、皆さん! この聖女、恋愛脳に乗っ取られそうでヤバいです!
いやこれダメ、ゼッタイ! 恋愛脳花畑聖女には、ならないぞぉぉ!
「さて、この呪符だけど……描き足すだけでも使用に耐えそうなのがあるね。ルルベル、魔力の残量はどう? 僕がやってしまっても、いいかな?」
「あ、はい……」
そうね、お願いした方がいいかもね。聖属性呪符は、わたしが魔力をこめる方が効果が高くなるけど……今は魔力を使い切ったら洒落にならない状況だからなぁ。
なにしろ、まだ本題が残ったままなのだ。
「うまくすれば、呪文で育ったこの柵と連動してはたらくような……いや、まぁそれは後回しだな」
天才が、なんか天才なこと口走ってる!
ファビウス先輩が、わたしを見上げた――呪符を覗き込むために少しかがんだ姿勢だったから、もうアレよ。完全に国宝級上目遣いきたわぁ。
「これは僕にまかせて、君は穢れの対処に向かって」
「はい。……ありがとうございます」
「役に立てそうで、嬉しいよ」
にっこりの破壊力よ……! しばらく浴びてなかったから、ドキドキが激しいわー!
ときめいているダメ聖女のわたしに追撃の笑顔を浴びせつつ。ファビウス先輩は、優雅に一礼した。
「では聖女様、こちらの呪符の修復は、おまかせください」
少し声を張って、周りに聞かせてから。上着の内ポケットからペンを取り出し、さっそく作業開始。
よし、わたしはわたしで頑張らないと!
キリッ! 精一杯キリッとして、わたしはエルフ校長を目で探した。
リートはさっきと同じ場所にいるけど、ナヴァト忍者は、いつのまにか見えない……つまり、姿を消しているっぽい? たぶん、護衛のためにはその方がいいと判断したってことだな。
エルフ校長は少し距離をとって、遠くを見るような眼をしてたけど――すぐ視線が合った。
「校長先生、ちょっとご相談が」
呼びかけると、すぐさまこちらに来てくれた。エルフ、聖女に甘過ぎん?
「なにか問題でも?」
「例の杖を、皆さんに見えるように使っても大丈夫なのか、誰にも確認してなかったことに気がつきました」
「……ああ! そういえばそうですね。そういう話は僕よりリートに確認した方がいいでしょう」
エルフ校長がリートの方を見ると、なにもいわれなくてもリートがささっと寄って来た。うずうずしてた、って顔をしてるよね……。
「なにか問題でも?」
さっきのエルフ校長とまるっきり同じ台詞なのに、妙に高圧的なのが、さすがリート。
「杖の存在がわかるように使っていいか、気になったの」
「なんだ、そんなことか。……杖?」
……杖?
あっ!
「情報共有してなかったっけ」
「穢れの対処に有効な方法がみつかった、とだけ。杖とは?」
ちらっとエルフ校長を見ると、うなずかれた。明かしていいってことだよな?
まぁ、リートに隠しておく意味はない。ウィブル先生はどうせ聞いてるだろうけど、こっちも隠す必要はないと思う。ファビウス先輩も近くにいるし、一気に情報共有だ。
「万象の杖。エルフの里のお宝で、なんでも消せるやつ」
「なんでも消せる……」
「ただし、わたしの魔力の範囲でね。あと、わたしにしか使えないの」
わずかに考えてから、リートは尋ねた。
「それは、魔力を登録されたということか。では、誰かに盗まれる心配はないのか」
「ないと思う……」
出し入れ自在の謎システムだしなぁ。
「それなら問題ないだろう」
「よかった。一応、確認しておきたくて……」
「そこに思い至ったことは、褒めてやる」
何様だよ! リート様か!
ちょっとムッとしたわたしに、リートは珍しく笑顔を見せた。あー、これギャラリーがいるからだな。わたしも表情くらいは取り繕え、ということですね。はいはい……。
よし、ここは看板娘スマイルで乗り切るぞ! 聖女スマイルよりちょっと力強い感じのやつ!
笑顔を貼り付けたわたしに、リートが要望を追加してきた。
「万象の杖の名を出す必要はない。なにがあっても、君が聖女だからで説明すればいい。むしろ派手にやってくれ。遠巻きに見守っている面々に見せつけて、さすが聖女様だと思わせたまえ」
派手? そんな曖昧な指示、困るぅ……。なにがどうなるかもサッパリわかんないのに。
「……それはそれとして、もっと皆さんに後退してもらえる? はじめて使うし、味方に被害が及んだら困るもの」
「しかたがないな。もう少し、下がらせよう。遠目でも奇跡っぽく見えるようにしてくれ」
無茶振りー!
わたしに苦情を申し述べる隙を与えず、リートはまず護衛隊の方に戻った。手短になにか説明したらしく、護衛隊といっしょに防護柵の守備隊の方に移動してる。で、守備隊と合流して、さらに後退。
……これでまぁ、最低限の安全対策はできたわけだ。
もさもさした柵を中心に瘴気が晴れてきたせいか、周囲の状況が少しずつ見えてきている。
わたしたちがいるのは、切り立った崖に挟まれた峡谷だ。観光名所にできそうな絶景だけど、全体に嫌な空気が立ち込めている。
……そうか、この地形だから余計に瘴気が滞留してるのかも。ビル風みたいな強風が起こったら、風下は大変なことになりそうだ。それを防ぐためにも、穢れの除去は必要だ。
視界はどんどんクリアになってきて、峡谷の奥に座り込んでいるらしい巨人の影も、なんとなく見えた。
「ルルベル」
ファビウス先輩の声がして、わたしは急いでそっちを見た。呪符になにかあったのかと思って――でも、そうじゃなかった。
力づけるような言葉がつづく。
「派手にしようなんて、気にしなくていい。君が思うままに、やるといいよ」
あっ、そうか。出陣式みたいに演出してくれるんだ。だから、ふつうにやっていいよ、って。
……まぁ、ふつうもなにも初使用なんですけども。
「ファビウス様、万象の杖ってご存じです?」
「名前だけは。僕もここに留まってもいいかな?」
「ええと……校長先生、ウィブル先生も……」
「大丈夫よ、校長がいればだいたいなんとかなるし、なんとかなりそうもなかったら、アタシが全員を抱えて避難させるわ。ルルベルちゃんは、魔法に集中して」
まだ躊躇しているわたしの背に、エルフ校長がそっと手を添えた。
「僕がなんとでもします。叔父の魔法の組みかたの癖も、よく知っていますから。ルルベル、君はただ、杖に魔力を通すことだけを考えればいい。そして、その杖の先を対象に向けることを」
「……はい」
やるしかない。
出ろ、と念じると手の中に杖が出現した。贈呈されたときと変わらない、美しくて繊細な杖。
わたしは魔力を込める。そして、杖の先を巨人がいる方、つまり蓄積した穢れに向けた。
杖の周囲から虹色のかがやきが広がりはじめる。
なんだか幸せな色だ――そう思った自分に、笑みが浮かんでしまう。だってその感想、魔力感知の練習をしてたときと同じだったから。
魔力も感じられなかったわたしが、ここまで来たんだ。皆に支えられて。
「アファルガルマ」
ほぼ無意識に、わたしは原初の言語を口にしていた――訳しづらい言葉だけど、敢えて現代語にするなら、こういう意味だ――あるべからざるものは、あるべき姿に戻るべし。




