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506 彼が聞いていると思えば、いつだって

 ややあって部屋に戻って来たエルフ校長は、ちょっと困った顔をしていた。


「ルルベル、母がどうしても君に会いたいというのです。少し、時間をもらっても?」


 ああ。そりゃあ、世界の果てにいる弟さんに会ってきましたって人物がいるならね……会って詳しく聞きたいよね。


「もちろんです。あ、校長先生、忘れないうちにこの紙に同じ魔法をお願いします」

「ええ、そうしておくべきですね」


 エルフ校長は例の紙をさらっと撫でると、そのまま手をひらひらっと動かした。

 その指先の軌跡をたどって金色に光る文字――これ原初のやつだね! わたしがちょっと詳しくなった文字だ!――があらわれ、すっと消える。そのあとにまた、すすっと文字が浮かび上がる。


「母は、すぐに来ます」


 エルフの魔法、マジわからん……。

 と思っていたら、浮かんでいた文字がふわーっと広がって、さらにピカピカとかがやきはじめ、そして。


「お久しゅうございます」


 エルフ校長のお母様が出現していた。

 ……エルフの魔法、マジわからん!

 マジわからんと思えるだけ、わたしも成長したのだと思いたい……ある程度の魔法の見当がつくようになったから! だがらこそ! マジわからん。

 わからんとはいえ、これが現実ということも知ってるわたしは、カーテシーをキメといた。エルフにこの作法が通じるかはわかんないけど、もはや反射である……こういう面も、成長はしてるといっていいのかも。


「こちらこそ、お久しゅうございます」

「お元気でいらっしゃるようで、なによりですわ。あなた様の訪れがあればと、ずっとお待ちしておりましたの。トーロレランドの白鳥のように首を長くして――」

「母上、あまり時間がないので手短に」


 エルフ校長が割り込んでくれて助かった。どこまでも挨拶がつづきそうだけど、わたしには止められなかったから。

 それはそれとして、トーロレランドの白鳥って? ……気になるけど、訊いたら説明がはじまるかもしれない。我慢だ!


「――そうですわね。ルールディーユスのこと、この子から聞きました。弟の消息をもたらしてくださり、感謝の念に耐えません」

「いえ、わたしは偶然お会いしただけで。それでも、お伝えできてよかったです」

「あの子がどこに行ったか、ずっと考えておりましたの」


 そういって、エルフの奥方は視線をさまよわせた。そこにあるなにかではなく、どこでもないどこかを見ているといった風情で。


「行き先は告げずに出て行かれたのですか?」

「ええ。世界を巡ってくるよ、と気軽に。あの子はまさに漂泊者だったのです。ひとつところに留まるのが性に合わなかった。だから、あらゆる場所にあの子がいそうな気がして。でも、違ったのですわね」


 奥方は胸を押さえて眼を閉じた。あ〜、美! 美!

 ほんのわずか、苦悩の色が見えるのがまた美! 超美!

 内心悶えていると、その目蓋がまた上がり、美しい――もう美しいしか言葉が出てこないんだけど、瑞々しくも奥深い碧緑の双眸そうぼうが、わたしをみつめた。


「世界の果てにあって、あらゆるものを見聞きし、感じていたのですね」

「……はい。そういうことだと思います」

「知りたがりのルールディーユス……。幼かった頃から、あの子はそうでした。家族も皆そう呼びましたが、自称もしていましたのよ。知りたがりなのだ、と。漂泊者などと呼ばれるようになったのは、彼がずっと育ってからでした。それでも、家族のあいだでは弟は……ずっと『知りたがり』で通っていましたの。ですから、お話を伺ったときにわかりました。あなた様がお会いになったのは、まぎれもなく我が弟であろうと」


 知りたがりのルールディーユス。知りたがりがこうじて漂泊者になってしまったルールディーユス。

 世界の果てで、消えかけているルールディーユス……。


「ルールディーユス様には、いくたびも救っていただきました。わたしにできることは、なにか……ないでしょうか」

「あなた様が望むままに生きていかれることこそ、弟の幸せと存じます。あの子は他者を否定いたしません。動かそうとも思いません。彼が辿り着いたところで、偶然、あなた様のお力になれた――あなた様を、こちらの世界に押し戻したのは、あの子にとっては踏み込んだ行為です。ただ見ているのではなく、かかわったのですから」


 奥方の声は次第に強くなってきた。まるで声と言葉自体に光がのっているみたい。心の中に、じんわりと染みてくる。

 その声が、静かにつづける。


「ただの傍観者であることをやめるほど、あの子はあなた様を気にかけているのです。ですからどうか……彼が見るうつつの夢のなかで、幸せに生きてくださいませ」

「……はい。ありがとうございます」

「このやりとりだって、あの子は聞いているのかもしれませんでしょう。世界の果てで」


 世界の果てで。

 奥方はいかにも弟君だけが特別みたいなことをおっしゃったけど、たぶん、あまり「関与しない」のって、エルフの特性なんだろうなと思う。

 だって、親族が世界の果てで消えそうになってるって聞いたら、助けに行きたくならない? 仲が悪かったならともかく、良好そうじゃん……でも、そうしない。本人の意志なのだからと。

 してみると、エルフ校長ってかなりの変わり者なんだな……その変わり者の彼でさえ、叔父さんのことは放置でいいですよって態度だけども。人間は面倒みてあげなきゃいけないと思ってるとか、我が友である初代陛下となにか約束したとか、そんな感じだろうか……。


「彼が聞いていると思えば、いつだって挨拶できますもの。おはよう、ルールディーユス。きっと今日も楽しいわね、と」


 なんとなく胸が詰まってしまう。

 一方的な挨拶だけど、あのひとには届くかもしれない。微笑んで聞くんだろうな。


「弟の消息を伝えてくださったこと、心から感謝いたします。そして、我々一族の総意として――」


 エルフの奥方がひらりと手を動かすと、その手の先に短い杖があらわれた。

 長さとしては、前世でいわゆる指揮棒くらいの感じ? 持ち手は黒っぽい木で、虹色にかがやくこまかな意匠が象嵌されている。花、鳥、獣……水、雲、炎。生きているように揺らめいて、一瞬たりと留まることがない。持ち手からつづく部分は、先細りの銀色の金属……? みたいに見えた。少し青みがかった色で、もしかすると半透明かも……氷みたい。


「――弟の手によるこの杖を、あなた様にお貸しいたします。あなた様のお命が尽きるまで、どうぞお使いくださいませ」


 エルフ。杖。漂泊者ルールディーユス。

 ……えっ。


「もしかして、これは……」

「世にいわれる『万象の杖』でございます」


 もしかしたー! マジか!

 エルフの王子様、すなわち里長の息子であるエルフ校長と結婚しないと里から持ち出せないやつ! 万物融解装置!

 えっ、いいんですか!? わたし、お宅の息子さんとの結婚の意志はございませんけども!

 心の中では、思わずそんなことを叫んでたけど。声にはできなかった。


 どうぞ、とエルフの奥方はその杖を両手で捧げ持った。

 不安になって、わたしはエルフ校長を見上げる。かたわらに立ってくれていたエルフ校長は、しっかりと、うなずいた。受け取りなさい、というように。

 おそるおそる手をのばし、ふれる。

 と、なにも意識していなかったのに、わたしの魔力が杖に吸い込まれ、そして杖から同じだけの――いや、もっと大きななにかが浸透してきた。

 びっくりして取り落とすところだったけど、なんとかこらえた。


「でも、これは……里の護りのためにルールディーユス様が残されたと、そう伺っております」


 口ではそういったけど、手は正直で、しっかり握っちゃってるよ! いやでも落ち着けルルベル、自制しろ!


「あなた様は、魔王を封印なさるのでしょう?」


 婉然えんぜんと笑んだ奥方は、エルフ校長に視線をやった。


「エルトゥルーデス、しっかりお助けするのですよ」

「いわれるまでもなく」


 エルフ校長が慇懃に一礼すると、奥方は満足したようにうなずいて、そして。


「その杖を使えるのは、あなた様だけ。あなた様のお命が尽きれば、勝手に里に戻ります。ですから――」


 不意に歩を進めて空間を埋め、エルフの奥方は呆然とするわたしの背に手をまわし、かるく抱くようにした。かたむけた顔、至近距離で見ると命の危険を感じるレベルの美しさである……。

 陶然とするわたしの耳元で、奥方はささやいた。


「――どうぞ、お命をおだいじになさって。それが、わたくしどもの願いです」


 人間の世界でいえば国宝であろうマジック・アイテムを託し、エルフの奥方は微笑みを残してかき消えた。

 呆然とするわたしの手を――杖を持ってる方の手を――エルフ校長がそっと支える。


「ルルベル、この杖はあなたの命と繋がりました」


 か……勝手に、どうなっちゃってんのー!?


トーロレランドの白鳥とは:

 エルフに伝わる話(まぁまぁ実話)の登場人物……登場鳥? で、悲劇の恋人たちに寄り添う役割だったようです。

 待ち合わせにあらわれない恋人を、首を長くして(もともと長いが)待っていたという逸話があるため、あなたの訪れをとても/純粋に待ってたんですよ! という意味で使います。たぶん。


 おそらく人間界では通じないです。

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