502 ジェレンスひとりで一般人換算一万人くらいの戦力があるとして
政治的な思惑は省いてもらってるけど、戦況はそれなりに伝わる。というか、伝えてもらうようにしてる。危機意識を高めるためにも必要だろうと、リートが認めてくれたしね。
魔将軍の軍勢は、徐々に膨れ上がっているそう。まぁ、魔王の魔力に惹かれて眷属が大集結中ってことだからね。
人類戦力はというと、大集結とまではいかないらしい……事情は聞かされてないけど、聞かされないってさー、そういうことだよねー。
……ニンゲン!
まぁ、前世のうっすらぼんやりした記憶を思い起こせば、理解はできるのよ。
どこかの国で非道な虐殺が起きてますっていっても、国際社会ってそう簡単に動けないじゃない? 金が名誉がとかの問題だけじゃなくてさ。
対魔王だからニンゲン同士の戦争じゃないだろっつっても、土地はニンゲンが分割して「ここは俺らの土地」ってやってるわけだし、実際、戦闘のあとのゴタゴタに乗じて土地を得ようと目論んでる勢力があってもおかしくない。
魔王には勝っても国は崩壊した、とかは困るわけよ。
その点、央国、西国は警戒感をもって臨んでても無理はないだろう……くらいのことは、わたしだって飲み込めるわけ。
どっちかの戦力が大き過ぎるってわけにもいかないから、調整が必要になるのよ。位置的に無関係な東国も、でしゃばり過ぎたらなにかを疑われるわけで。だから兵站寄りの補助をまず申し出た、と。
「そろそろ本気を出してもらわないと困るがな」
「本気を出すって、誰が?」
「各国の統治者に決まっているだろう。こんな日和見派兵では、眷属に押し負ける。いかに優秀な魔法使いを投入したといっても、個人の力には限界があるからな」
「そうねぇ。ジェレンスひとりで一般人換算一万人くらいの戦力があるとして――」
ウィブル先生のジェレンス先生評価、一騎当千どころではなかった!
「――食事したり寝たりしてるあいだは、どうすんのって話よね。いきなり一万人抜けるってことだから」
なるほど。すごい説得力。……いやしかし。
「一万人はさすがに盛り過ぎでは?」
「盛ってないわよ。だってあいつ、今すっごい楽しそうよぉ。思う存分、暴れられる! って」
……たぶん目がキラキラしてるでしょ、ジェレンス先生。ありありと思い浮かぶわ……。
巨人は、防護柵を使って追い込みをかけているらしい。前に東国に行ったとき、わたしが魔力供給してたあの柵ね。あれも改良されて――たぶん、大気中の魔力濃度が高い今だから可能なんだろうけど――頻繁に魔力をこめなくても呪符が発動しつづけるようになり、増幅の呪符とあわせて、以前とは比べものにならない効果を発揮しているらしい。
呪符呪符しいのは、おそらくファビウス先輩の活躍によるものと思われる……天才ってほんとに天才なんだね……。
ただ、出力を上げると呪符が焼き切れる――図形が乱れて、使い物にならなくなっちゃうんだよ――現象も生じがちなので、聖属性呪符の需要の五分の一くらいは巨人用防護柵、って感じ。
頻繁に交換しないといけないみたい。あと、柵も巨大化してるので、動かすのが大変。
「巨人の追い込みも、ジェレンス先生がやったらいいんじゃないですか」
「向かないわよぉ。だって聖属性がいちばん効果あるんだもん。ルルベルちゃんの呪符とか魔力玉とか使うにしても、それ以外の属性じゃ限度があるわ。あと、それこそ抜けたらどうすんだ問題が大きいわよね」
「あー……」
そうか。食事もしなきゃトイレにも行かない防護柵が、巨人の相手にはちょうどいいのか……。
「まぁ、追い込みもいろいろ難しいんだけどねぇ」
「柵の手配がですか?」
「そうじゃなくて。どこに追い込むか、って話」
「あー……」
同じ相槌を打ってしまったが、しかたないだろう。ほかに言葉が出ない。
巨人は、いるだけで穢れを垂れ流すのである。誰だって受け入れたくはない。核廃棄物の最終処分場に、喜んで名乗りを上げる自治体がないみたいなものだ。
央国と西国のどちらで引き受けるか、引き受けるとしたらどこにするか、交渉大変そう……。
「あれだけはねぇ。倒しても死体が継続して穢れを発するらしいから……過去の記録だと、そういうことになってるのよね」
「手に負えないですね」
「とにかく人間が住んでいない場所に追い込みたいんだけど、人間が住んでないって交通が不便ってことじゃない。防護柵の移動が難しいのよね……まぁ、そのへんの技術的な問題はハーペンス師が工夫するっていってたから、解決はするでしょうけど。でも、じゃあどこに? って話は終わってないからね」
それに巨人もおとなしく誘導されてばかりじゃないし、とウィブル先生は肩をすくめた。手は、休まず呪符を描きつづけている……よく喋りながら描けるなぁ。
わたしも手元に視線を落とした。この紙に描いた図形が、多くの人を救うはずなんだ……実感ないけど。
「海まで追い立てたらどうかって話もあるんだけど、海に沈めた場合、汚染がどう広がるかわからないでしょ。海中に呪符を設置するのも難しいし」
「そうですね」
トゥリアージェ領は、べつに海が近いわけじゃない。というか、央国は基本的に内陸国家なので、海に接しているのは申しわけ程度の面積だ。どっちかというと西国の方が沿岸部が多い。
それだけ遠くまで追い立てるとなると大変なことだけど、それでもそういう発想があったのは、我が国にとっては「海って遠くて関係ない場所」のイメージがあるからかもしれない。
……西国的には、受け入れられないだろうなぁ。海産物とか大いに利用してるんだろうし。
「だから、陸上のどっかで決まりだとは思うわ。魔王を封印できたら巨人も縮むらしいし」
「……なにかで読んだことがある気がします」
「どこかの地方の民話みたいなものだから、どこまで信じていいかわからないけど。でも原理として、魔王との魔力循環が密になったら巨人そのほか眷属が増えるっていうなら、魔王が封印されたら魔力も減って、眷属も弱まると思うのよね」
「そうですね」
わたしは呪符を完成させて、次の紙をとった。
呪符に使っている紙は、今まで体験したことがないような描き心地だ。すごく薄いのに弾力があって、折れづらい。なんか強靭な……まぁ正直いって、お高そうな紙よ。
それを使い捨てるっていうんだから抵抗感もあるけど、でも、これって兵器なのよね……。
ケチったらいけないよね。持ち歩いてるだけで簡単に破れたりしたら意味ないし。
「魔将軍との合流を避けるのが第一だ。時間を稼げば魔王封印がかなって弱体化するし、穢れの処理も楽になる」
なんでもないことのようにリートはいうが、その魔王封印ってやつ、わたしがやるんだからね! ……できるか知らんが。
「早く封印しないとね……でも、そもそも復活してるの?」
「まだだろうな。復活したら、こんなものじゃない」
「こんなものじゃないって、なにが?」
「魔物の数だ。魔将軍が率いる魔物の数が、まだ今の連合軍で相手取れる範囲におさまっている。魔王が復活したら、人類側が死力を尽くして戦わなければならない数まで膨れ上がるだろう」
……考えたくないわぁ。
「近隣住民の避難は終わってるの?」
「それは終わっている。そこもハーペンス師が助力を申し出て、かなり迅速に完了したらしい。ただ、避難した住民の受け入れがな……近場の受け入れ能力は、もう限界だ」
そっかぁ……。
「なにか、できることないかな?」
「君はおとなしく呪符を描け」
「いや、そうじゃなくてさ。ある程度の防御が見込める、聖属性の植物で囲まれた土地をつくるとかさ。そしたら、頑丈な壁で囲んだ土地じゃなくても、天幕を張って休場をしのげるんじゃない?」
「そんなことができるのか?」
「……できると思うんだよねぇ。やっちゃったこと、あるから」
「あの木か」
それだけじゃないけど。
お花畑を作成しちゃったことは、エルフ校長との秘密である。
「一応、シュルージュ様に具申してみよう。必要になるかもしれない」
「そうして。もちろん呪符も描くよ。必要だって、わかってるし。でも――そうやって逃げてきたひとたちを守れなかったら、意味ないじゃない? だから、できることがあるなら頑張りたい」
ウィブル先生が、心配そうに口を開く。
「ルルベルちゃん、頑張り過ぎなくていいのよ。いつでも、アタシたちにたよりなさいね」
「はい、もちろんです。聖属性が使えるのは、わたしだけですけど。逆にいえば、わたしは聖属性しか使えませんから。護衛だけじゃなく、相談に乗ってもらったり、いろいろ支えてください。たよりにしてます」
わたしがそう答えると、先生は少しおどろいたように眉を上げて。それから、花がほころぶような笑顔になった。
「いいわ、まかせてちょうだい」




