497 ジェレンス先生が、気遣い……?
で、夜だ。
思ったより深夜だったけど、ぜんぜん平気。眠気なんてまったくない。
むしろ緊張してギンギンである……それはそれで乙女としてどうなんだ? と思わなくもない。深夜にギンギンで起きてる乙女って、なんかさぁ。
「ルルベル」
ジェレンス先生とともに、ふわっと出現したファビウス先輩は、すごく……ファビウス先輩だった。
なんだろうな、この落ち着き感。
腕の中に飛び込むのなんか、もう一瞬ですよ。恥ずかしいとか迷いとかそういうの、なんもなかった。
なーんも!
ぎゅっと抱きしめられて、ふぅっと息が抜けた。たぶん、緊張がほどけたんだと思う。
そっか、ガッチガチに緊張してたんだなぁと思って、その次に、別種の緊張が生じたことは白状しておこう。
……羞恥心は、遅れてやって来るのである。皆、覚えておくがよい。
「す、すみません」
「なにを謝るの? 僕の方こそ、遅れてごめん。もっと早く来たかったんだけど」
「いえ、あの……」
耳の少し上でささやかれて、わぁぁ! ってなるよね。
わぁぁぁぁ!
どうしよう、わたしファビウス先輩と抱き合ってるじゃん!
そう、わたしも半自動的にファビウス先輩の背中をだね……ぎゅっ! みたいにしちゃってるんだよね……え、これどうやって力を抜けばいいんだろう、わからん。
だが現実に戻れ、ルルベル! この部屋には見物人が三人もいるんだぞ!
「過剰なおさわりは禁止したいところだが」
「おまえ、俺よりうるせぇな」
「ジェレンス先生はおおらか過ぎると思いますね」
「聖女様がお幸せなら、それでいいのでは?」
誰の発言か、わかりやす過ぎるが……外野の……外野の声がマジで……恥ずかしい!
いやこれなんだろう、恥ずかちぃ! ってやつだ! 恥ずかちぃ! 無理!
わたしはファビウス先輩の背中にまわした手をほどいたけど、逆はなかった。つまり、わたしの背中はファビウス先輩の手から伝わる、じんわりしたあたたかさに満たされていた……。
「無粋な外野は無視して大丈夫だよ」
「そういうわけにも」
「……まぁそうだよね。でも外野がいなくても、この先は禁止でしょ?」
「はい」
この先ってどの先? なにがあるの? 教えて先輩、いや教えてくれなくていいです却下却下!
「好きだよ、ルルベル」
ちゅっ、とベタな擬音で表現せざるを得ないほどのリップ音が、こめかみのあたりでした。
……ああ〜。
…………あああああああああ〜! 爆発!
「あの、……えっと……」
「ずっとこの腕の中に閉じ込めていられればいいのにな」
「そこの発情男、そろそろルルベルから手をはなしたまえ」
はっ……発情男!?
ファビウス先輩を捕まえてなにいってんの、こいつ!
「……おまえは意地悪姑かよ。男のくせに、タマちいせぇな」
ジェレンス先生はジェレンス先生で、なにいってんのぉ!
乙女の前で、タ○の話とかしないでもらえます!?
ため息をついて、ファビウス先輩がわたしを抱きしめる手をほどいた。そのまま、勇気づけるようにわたしの手に指をからめて、ぎゅっ! って。
……ぎゅっ! って!
もうやだもう無理、嫌じゃないけど無理ぃ!
「まとまった話をしたいので、君たち、隣室に下がるか黙るかしてもらえるかな?」
お願いという名の命令口調のファビウス先輩、かっこいい……まさに王族って感じだな。
「ふたりきりにできるわけないだろう」
頭煮えてんのか口調のリートにも、ファビウス先輩は怯まない。
「君はとくにうるさいから、隣室に行ってもらおう。護衛が必要なら、ナヴァトがいれば十分だ。彼なら余計な口出しはしないし、ルルベルの危機にはきちんと対応する。ジェレンス先生は――まぁ、話を混ぜっ返さないと約束してくれるなら、同席していただいても結構ですが?」
ジェレンス先生は、にやにやしながらリートの肩に腕をまわした。
「いいぜ、席をはずしてやるぜ。俺は気遣いのできる男だからな、こいつと違って。恋人同士の逢瀬の邪魔はしねぇって」
「ジェレンス先生が、気遣い……?」
気遣いという言葉の定義について考察しはじめたらしいリートを、そのままぐいぐいと隣室へ連れ去ってくれるジェレンス先生、去り際にウィンクさえしなければ、完璧だった……。
「ルルベル、座って」
椅子を向かい合わせにしながら、ファビウス先輩がくすっと笑う。
「どうかしました? わたし、なんか変です?」
「違うよ。ここはルルベルの部屋なのに、僕が指図しちゃったの、研究室で慣れてるせいかなと思って」
「ああ……すみません、わたしが気を遣うべきでした。どうぞお座りください」
「一応、並べないで向かい合わせにしたのは、ちゃんと距離をとってますって意味だから。ナヴァト、証人になってくれるね」
「もちろんです」
なるほど、そこまでのお考えが!
まぁ、ここはファビウス先輩の研究室ではなくトゥリアージェ伯の城なんだし、権力強めの人材が多数滞在中なわけだし。急に踏み込まれないとも限らんのだから用心は必要だよね。社会的な距離感とか……重要よね。
用意された椅子に座ったわたしに、ファビウス先輩は華やかな笑顔を見せた――久しぶりに浴びる美形力、まぶしい!
「ほんとうに、遅くなってごめん。もっと早く来たかったんだけど、これで精一杯だった」
「そんな……むしろ、来てくださってありがとうございます」
すべて不可抗力だったとはいえ、研究室を出て王宮に行ったはずが、なぜかトゥリアージェのお城にいるんだもんなぁ。しかも対魔王最前線。
「うん。歓迎されてよかった」
「歓迎……していいんでしょうか?」
わたしは聖女だからここにいるのが当然だけど、ファビウス先輩はねぇ。そういう立場でもないし義務もなにもないんだ。こんな危険なところに来なくていいんだよ。
「歓迎してくれなかったら、君が心変わりしたんだと思ってしまうな。それなら、相手を探して呪わなきゃいけない」
「あ、いえ、そういう意味では――」
「わかってるよ。やさしいルルベルは、僕の身の安全を想ってくれてるって」
でも大丈夫、とファビウス先輩は言葉をつづけた。
「自分でいうものじゃないけど、僕も呪符魔法使いとしては一流なんだ。それなりの戦いかたは身につけてるし、そうでなきゃ叔父も同行を許してくれたりしないよ。外では容姿も変えてるから、ここにいるのがファビウス元王子だと知っている者もごく少数だ」
それは逆に、守ってもらえる立場じゃないということではー?
いやでも、守ってもらってくださいというのも、ファビウス先輩の矜持を傷つけるのではー?
む……難しい!
「各国合同で聖女護衛隊が組織される手筈になっているから、明日にはそこに紛れ込めると思うけど、それで君と交流できるかっていうと、難しいからね。今のうちに、話せることは話しておこう」
「はい……でもどうか、ご無理はなさらないでください」
「うん。まず僕の身分詐称についてだけど――」
ファビウス先輩は、ハーペンス師の私兵というか、あの家にお仕えして魔法使い修行もしている若者のひとり、という身分らしい。こまかい設定としては、遠縁だから爵位と無縁でもない、必要なら社会的な牽制も可能である……みたいな雰囲気を醸し出す予定だそうだ。
名前はファランス。貴族っぽいね!
長期間になるかもしれないので、髪や眼の色と、眉毛の印象を変えてるだけだそう。眉毛って実はすごく顔の印象を変えるからなぁ……前世で眉メイクに苦労した記憶がぼんやりよみがえるよね!
「聖女護衛隊が結成されるとは、リートたちから聞いてましたけど……どれくらいの規模になるんですか?」
「各国三名ずつとトゥリアージェから五名だから、十四名だね」
「トゥリアージェからそんなに? 人手はたりてるんでしょうか」
「なにをいってるの、ルルベル。聖女はいわば本丸だよ。こちらにおわします、ご健勝です、と示すだけでも戦意高揚につながるんだ。人々を勇気づけることができるんだよ。そこを守るのに人手を割くのは、当然のことだ」
そうだった。わたしは自分で戦う力が低めだから、実際、守ってもらわなきゃならないんだし……。
簡単に死ぬわけにもいかないんだよなぁ。うん。
「おとなしく、ちゃんと守られるように努力します」
「そうしてくれると、僕も安心だよ」
ほんとなら、僕ひとりで守りたいところだけどね――そういって、ファビウス先輩は伝家の宝刀・上目遣いを抜いた! ひぃ〜、なんなのこの魔性! いやルルベル、気をしっかり持て! キリッとしろ!
「わたしも、ファビウス様を守りたいです」
「うん……そんな風にいわれて嬉しくなることがあるなんて、想像したこともなかったな。でもルルベル――」
ファビウス先輩はわたしの手をとって、指先にそっとくちづけを落とした。
「――すごく、嬉しい」




