48 昼食の前に巨大な魔法遺産についての話を聞く
翌日も、午前中は図書館である。エルフ校長の指示があるから、滅多なことでは閲覧室への乱入者はないらしい。そろそろ教室に行ってみたい気もするが、教室には王子と重力眼鏡がいると思うと、それはそれで……。
現状、おとなしく勉強するしかなさそうだ。
課題図書は、ジェレンス先生からのメモが届いている。読んでレポートを書かねばならない。これも立派な苦行ではある。午後の特訓が異常に大変だから、午前の印象がゆるくなってるだけだ。
まぁ、本を読むのはほんとに楽しいんだけど。本っていいね!
「パン屋の生活には、なかったからなぁ。こういう刺激」
前世の生活は、ぼんやりとしか覚えてない。ただ、エンターテインメントは豊富だったと思う。スマホさえあれば無料でソシャゲを遊べたし、さまざまな動画チャンネルも楽しむことができた。もちろん、ネット小説もいくらでも読めた。
今の暮らしに、そういったものはなにもない。
もし魔法の素質がなければ、あのまま下町でひたすらパンを売っていたのかと思うと、げんなりする。
下町生まれの下町育ちにとって、それは当然のこと。疑問にも思わず、パンを売りつづけたはずだ。
しかしながら、今のわたしはヴァージョン・アップ済みである。ただの平民には戻りたくないし、戻ってもうまく生きてはいけない気がする。
でもね?
王族と親しくつきあえるかっていうと、それは話が別である。
王子からガードしてくれるというひとが、自分も王子でしたって。なんの詐欺だ。
この学園にいる以上、ファビウス先輩も貴族だろうとは思っていた。だけど、まさか王子妃の弟で、もともと隣国の王子様だなんて思わないじゃん!
だいたいさー、他国の王子がこの国で爵位をもらうなんてシステムあるのー? あるんだろーなー、シスコがそこで嘘をつく意味ないしなー。わたしが知らんだけなんだ。
近隣諸国の王族って網目状に血縁関係を結んでるから、A国の王族でB国の公爵でC国の王位継承権もあります! みたいなこともあるんじゃないか。あらためて叙爵したというよりは、単にそのへん国民に公知させただけとか……まぁわたしは知らなかったか、たぶん聞き流してたんだけども。だって関係ない世界だもん!
関係ない世界のはずなんだが、今、その中心部に押し込まれつつある気がしないでもないよね。しかも、逃げ道がない。うぼわー。変な声出そう。
たそがれつつレポートを書いていると、時計が昼を知らせ、司書さんがわたしを呼びに来た。すごい顔してないから、迎えに来たのはジェレンス先生ではないだろう。ウィブル先生かな。魔性先輩は、今日はまだ会いたくないな……と思ってたら。
「迎えに来ましたよ、ルルベル」
まさかのエルフ校長だった……。
本日もきらきらと美しく、しかし一応この世の範疇におさまったイケオジは、司書さんに眼差しだけでなにかを語り――たぶん、わたしを呼んで来てくれてありがとうとか、そういうのだ――手を差し出した。
さすがにもうわかる。これは、エスコートしてくださろうという動きでござる……。
「こんにちは、校長先生」
「元気でしたか? いろいろと大変だったようですね」
しかたなく手をとったわたし、どう考えてもエルフ校長の隣に立てるキャラではない。
いや、わたしは主人公ちゃんなんだ。弱気になるな。主人公らしく、自己評価を高めろ。この世のすべてのイケメンは妾のものじゃ、くらいの心意気で!
……無理なんじゃが?
「校長先生までわずらわせることになってしまい、申しわけないです」
「そんな風に考えてはいけません。すべては、僕の落ち度です。生徒を守れないようでは、学園が機能していないといわれてもしかたがない。王家からの申し入れを、もっと毅然とした態度でしりぞけるべきだった」
後悔しても遅いのですけれどね、といってエルフ校長はわたしの手を自分の肘にかけさせた。流れるような動きで、逆らうどころか戸惑う隙さえ与えてくれない。年季が違うってやつだな!
「ジェレンスとウィブルから報告は受けていますが、あなたの話も直接聞きたいのです。それで今日は、僕が昼食をご一緒することにしました。お嫌でなければいいのですが」
「いや、ほんとに……えっと、ありがとうございます」
ローデンス殿下は王子様だ。ファビウス先輩も王子様らしい。エルフ校長も、エルフの里の里長の息子っていうんだから、ある意味、王子様みたいなものなんじゃないの? ねぇ。
この学園、王子様が多過ぎない? 転生コーディネイター、頑張り過ぎじゃない? 一般的な乙女ゲームってどうなのよ。こんなに王子様が渋滞してるものなの?
「お礼をいわれるようなことではないですよ。これは、僕のわがままですからね」
「あの、今日はどちらへ……」
「ちょっと遠くへ行きましょうか」
どこだよー!
と思ったことをそのまま叫ぶこともできないあいだに、エルフ校長の口から、あの不思議な言葉が流れだした。歌うような、きらめくような……ああ、語彙! 教養! 文才が必要なやつ!
たちまちのうちに、エルフ校長とわたしは金色にきらめく光の渦に包まれて、飛翔していた。
……飛翔?
「と……」
飛んでるぅー! と、叫びたかったけど、そこまで進めなかった。
なにを考える暇もなく、もう学園の上空高く。いや王都を一望できる高さである……ちょちょちょちょちょ、なんなのこれ、なんなの!
「びっくりさせてしまいましたね」
はっと気がつくと、わたしは校長先生にがっつりしがみついていた。そりゃだって……怖いもん! この状況で、藁にもすがらない者がいるはずないでしょ!
エルフ校長は、わたしの腰に手を回している。いつの間に。えっどうしよう。お姫様抱っこは入学以来、二回ほど経験した。ベッドドンなどという危機的状況も体験した。しかし、こうストレートに抱き寄せられるのは……ぎゃー、恥ずかしいぃ! でもそれより怖いぃぃ!
「あの、こ、校長先生、これは、いったい」
「しっかり掴まっていてください。風の精霊は僕を支えてはくれますが、あなたのことまでは支えてくれない」
物騒だろー、今までと違う意味で!
「早く下に……地面があるところに……」
「王都の全貌は見えましたか?」
エルフ校長、たまにこう……全然予測できないタイミングで、すっごい俺様ワールド展開する気がする。常識もなにも知ったことか、みたいな……。ふだんは、あんなに丁重なのに!
「見え……見えてると思います」
「王宮がどこにあるか、わかりますか?」
「え、はい」
王宮の屋根瓦は色とりどりのモザイクで、遠くから見るとちょっと可愛らしい印象がある。建物自体の形は、いかにも伝統と歴史ー! って感じなんだけど。屋根は可愛いのだ。
「あれは、巨大な呪符魔法の一部です」
わたしは王宮の屋根をよくよく見直してから、エルフ校長を見上げた。
あのカラフルな屋根、ただの装飾的なものじゃなかったの!?
「そうなんですか」
「ええ。あの宮殿を建てたのは、初代の王――我が友だった男ですが、いずれ災厄が襲って来たときの備えにと、国全体を覆って機能するような魔法を仕込んだのです」
「すごいですね」
壮大な話過ぎる……。
ていうか、ランチはどこいったの……おなかがすいたって主張してもいいのだろうか? そんな勇気はないのだが。
ラブコメとかでよくある感じで、お腹が鳴らないかなぁ。そしたら、不可抗力ってことで微笑ましくランチに移行できるじゃん。だが、鳴らない。鳴れよ。たのむ。
「そう。すごいのですが、規模が大き過ぎて維持できていません」
はぃい? なにそれ!
エルフ校長は、夏の離宮の方をさし示した。この高度だと、丘向こうの川まで見える。銀色にかがやいて、とても綺麗だ。
「あの離宮もその一部ですね。あそこまでは整備がされていますが、遠くまでは手がまわりきらず、今では場所さえわからなくなったものもあるとか」
「え……でも、その……」
エルフ校長は、やさしく微笑んでわたしに話のつづきをうながした。
「……まだ呪符魔術の勉強をはじめたばかりなので、基礎しかわからないんですけど……呪符魔術って、一箇所でも欠けたら動作しなくなると……本に書いてありました」
そう。呪符魔術のエキスパートになると口走ったおかげで、今日の課題図書は呪符魔術の教科書だったのだ。さっきまで読んでいたから、間違いない。ただし、まだ基礎の基礎しかおさえてないから、特例があるのかもしれないと思って、口ごもったんだけど。
「その通りです」
肯定されちゃったよー! じゃあ、あの可愛い屋根もやっぱり「可愛い」ってだけで、すでに魔法的な効果はないのか……。
「あの呪符魔法を考えた男は、僕の友人でした。親友だったといってもいい。でも、今の王家は彼の遺産を維持できていない。そのことを、なんとも思っていないのです――かれらは、僕の親友の後継者といえるのでしょうか。僕は、親友を蔑ろにされた事実に怒るべきでしょうか?」
そんなこと! わたしに訊かれても!




