477 すべての差別は、思い込みから構成されている
鰻はともかく、だ。
そのあと、夕食の席はなんかこう……よそよそしい空気に支配された。
ファビウス先輩……ファビウス先輩、来てください! あなたの社交力が今! 必要とされています!
必死で祈ったけど、そもそもエルフ校長にたのんでくレベルで忙しいファビウス先輩が、ふらっと出現することなどなく。伝説の空席に座るべき大魔法使いと女子生徒の進路問題という微妙な話題は噛み合わないまま、夕食の時間は終わった。
「ルルベル、よかったら寮に遊びに来ない?」
シスコが誘ってくれて、うん! と元気よく返事をしたいところだったが。
「早く戻らないと、ファビウス様に心配されちゃうから……」
親衛隊がふたり揃っていれば、片方を伝令に使うこともできるんだけど。残念ながら、リートは姿をあらわさないし、ナヴァトを使いに出してしまうのもどうかと思うし……どうせ寮には入れないにしても、出入り口で番犬モードになるのは譲れないだろうからなぁ。
「それもそうね……。じゃあ、また今度ね」
「うん、またね」
手をふって、別れてから。わたしはエルフ校長の袖を引いた。
「校長先生、ファビウス様の研究室まで送っていただいても?」
「そのつもりですよ」
微笑むエルフ校長は、どこか上の空だ。
……あー、やっぱりなぁ。見かけ上は冷静だけど、このエルフ、実はけっこう繊細だからな。生徒たちの今の要望に応えられないことについて、いろいろ考えてるんじゃないだろうか。
食堂を出て研究室へ向かう道すがら、尋ねてみる。
「なにかできるんじゃないかって、考えてらっしゃるんですか?」
ん? と片眉を上げてから、エルフ校長は少しだけ目元をゆるめた。よく気がつきましたね、えらいえらい、って感じだな!
「……そうですね。考えないわけでもないのですが、考える端から諦めていますね」
「諦めちゃうんですか……」
「さっきもいいましたが、変革は反動をともないますから。打つ手を間違うと、容易に制御不能に、そして以前より厳しい状況になってしまいます」
「どんなにゆっくりした変化でも、やっぱり反動があるんじゃないですか?」
だったら少しだけ早めても……よくない?
「そうですよ。ただ、急激な変化への反動は激烈なものに。ゆったりとした変化への反動は、やわらかなものになりますから」
わたしの考えなどお見通しといった感じで答えて、エルフ校長は嘆息した。
……まぁ、そうなんだろうけどさ。
「校長先生は、そういうの、たくさんご覧になってきたということですね」
「はい。ただ――」
エルフ校長は言葉を切ってしまったので、つづきを求めてみる。
「ただ?」
「――急激な変化は、止められるものでもないのですよ。ひとりの力ではね」
きょとん顔をしているわたしに、エルフ校長は微笑んで言葉をつづけた。
「僕は善意の傍観者に過ぎません――いえ、完全に傍観しているわけでもないですね。こうして人間の社会に紛れて暮らしているだけでも、なんらかの影響は与えます。ただ、大きく動かすことはしませんし、してはならないとも思っています。僕は、人間ではありませんから」
だから、人間の社会を動かしてはいけないんですよ、と。
いわれてみれば、なんとなくそんな気もしないでもない……けど。
「でも、校長先生だって暮らしてるわけじゃないですか。わたしたちと同じに」
エルフ校長は、一階の住人だと思う。エルフだけど、三階から見下ろしたりしてない。
わたしの反論に、エルフ校長は少しだけ意外そうな顔をした。
「そうかもしれませんね。……うん。僕はね……いや、話を戻しましょう。急激な変化のことです。それを僕がもたらすのは不適切だという想いもありますが、もう一点、追加するなら――どうせ、生じるんです」
「……どうせ?」
「僕がなにもしなくても、社会は変化します。はじまってしまえば、押し留めようとしても無理でしょう。それは『波』みたいなものです。大きく寄せて――そして、返す。ああ、君は海を知らないでしょうね、どう説明すればいいかな……」
あ、お気遣いいただき恐縮です! それ、前世記憶でわかります、バッチリです!
とはいえ、海知ってますとも表明しづらいので、話の本筋に戻そう。
「人間の中から、そういう動きがあるだろう……ってことですか?」
「そうです。平等や公平は、人間社会が求めるものです。ですが逆に、差別や階級も、人間社会が求めるものなのです」
「……はい?」
あまりに意外なことをいわれて、わたしは宇宙猫の顔になった――今生では、こういう表現ないから……敢えて前世的に断言しよう! 宇宙猫である、と!
宇宙猫のわたしに、エルフ校長は問う。
「そうでなくて、世の中がこんなに不公平たり得ますか?」
いつものエルフ校長なら、反語っぽい表現からそのまま、いや違うって自己完結するはずなんだけど……今日は、そうならなかった。
なんだか観察されてるみたいだ……。
慎重に、わたしは答える。
「たしかに、世の中は不公平だと思います。でもそれは、是正されていくものなんじゃないですか?」
「ほんとうに、そう思いますか?」
かさねて問われると、追い詰められた気分だ。
エルフ校長とわたしは、研究室の手前で立ち止まる――互いに相手をみつめて、ごまかしを許さないという構え。そんな構図にしたくなかったけど、そうなってしまった。
わたしは大きく息をつぎ、あらためて答えた。
「正確なところは、そうあってほしいと思っている、です。社会を均す力があるのは、確実だと思うんです。だから、それが作用するだろうって……思ってます」
だけど、それは望ましい方向に行くとは限らない。
なにをもって平均とするのか。どちらに合わせるのか。そもそも、合わせられるのか。それで安定するのか?
突出した富裕層や権力者は、もはや並び立つものとは考えられなくなってしまうかもしれない。いわゆるセレブをありがたがる現象みたいなのとか、そうじゃない?
今の暮らしだって、わたしは――わたしたちみたいな平民は、無条件に王侯貴族を尊敬してる。影では悪口をいうことがあっても、逆らえるなんて思ってない。事実、逆らえない。そこには踏み越えがたい力の差があるからだ。
そして、それをあまり疑問に感じていない。そういうものだ、と思ってしまっている。
すべての差別は、そうした思い込みから構成されている。男に比べて女は感情的で愚かだ、みたいなのと同じ構造だよね。平民は劣っていて、上流階級の人間はそもそも出来が違う、って。
……でもさ。
「すんなりとは、いかないでしょうけど。それでも、均されていくと思うんです」
「そして反動でまた、元に戻る」
エルフ校長が、痛いところを突いてくる……くっそ、そうだよな!
前世の社会は身分制を克服した。はずだった。
そう、そのはずなのに、上流階級は依然として存在したし、食うや食わずの貧困層も消えることはなかった。貧しくても努力すれば成り上がれるかっていうと、ふつうは無理。
個人の努力では埋められないような格差が、じわじわと社会を浸していって……制度化されていないにもかかわらず、身分の壁ができあがる。
「その反動でまた、変革が起きる……そうですね?」
「僕はそう考えています。そして、それらは僕が制御できるような動きではないのです」
少し考えてから、わたしはこう尋ねた。
「その作用と反作用のくり返しこそが、人間社会の本質なんでしょうか?」
「……そうなのかもしれませんね」
「きっと、それぞれが理想を求めて押したり引いたり――ずっと、つづいていくんですね」
そう考えるのが、いちばん肯定的な気がした。
どんなに頑張っても元に戻っちゃうんだ、って悲観し過ぎないでさ。ああなったり、こうなったり、ふらふらしながらバランスをとるのが我々人間の社会なんだ、って。
エルフ校長は黙っている。だから、わたしは言葉をつづけた。
「そのときどきで力を尽くして……自分の生きる環境を良くしたいな、って気もちを忘れなければ。それで、いいんじゃないでしょうか。今の自分が正しいと思うことを、未来の自分も正しいと感じるかはわからないし――たとえば入学するまで、女子の就職問題なんて考えたことなかったですから」
下町では、女子だから就職できない、なんて問題は生じない。結婚して子ども産んで、家業があれば労働、なくても労働。女だからって、ブラブラしてる時間はない。そういう意味では、貴族のお嬢様たちより自由な環境ではあるかも。
ただ、じゃあ就職に男女差がないかっていうと、そんなことはない。女性の給与は男性より低いのが当然だし。家庭に入れば、実質無償労働だ。
……あれっ、よく考えたらひどいな? なのに、疑問を覚えたことすらなかったよ。
「でも、今はわかります。なんかおかしいな、って思うし、是正されてほしいです」
シデロアの婚約も、アリアンの就職も。うまくいってほしいって、心から思うよ……。
いや〜、更新途絶えがちになってて、すみません。
十一月の末に美しいものに囲まれに箱根に行った話は、FANBOX でまとめてあります。
全体公開ですので、よろしければご覧ください。
乳がん再発したので美しいものに囲まれたくなった 〜強羅花壇 編〜
https://usagiya.fanbox.cc/posts/8991384
乳がん再発したので美しいものに囲まれたくなった 〜旧閑院宮別邸 編〜
https://usagiya.fanbox.cc/posts/8994905
乳がん再発したので美しいものに囲まれたくなった 〜箱根旅行 補遺〜
https://usagiya.fanbox.cc/posts/8998954




