476 急激な変革は、例外なく反動をともなうからです
本気のアリアンに対し、エルフ校長はあくまで鷹揚な態度を崩さない。
「まずは宮廷魔法使いです。当初は男性しか採用されなかったのですが、女性の採用も認められるようになりました」
へぇ〜、そうなんだ……と思ったのはわたしだけだったようで、友人たちは全員、そうよねぇという顔。へぇ〜……そうなんだ……。
いや、もうひとり、そうよねぇ顔じゃなかった人物がいた。アリアンだ。
「お言葉ですが、先生。宮廷魔法使いの席は、滅多に空くことがありません。上位は名誉職で、終身雇用ともいわれています」
へぇ〜、そうなんだアゲイン。
ん? 終身雇用の名誉職? ……つまり、席が空くのは、どなたかが亡くなられたときということ?
「その通りです。実は、僕も宮廷魔法使いに誘われたことがありますよ」
へぇ〜(以下略)。
ま、冷静に考えたら当然よね。初代様のパーティーで魔王封印に尽力した魔法使いを、誘わないわけないよ。
でも、エルフの終身雇用って……! 事実上、その枠は空かないも同然だよなぁ。
「校長先生は男性でいらっしゃいますから」
アリアンの口調には、若干の棘がある……気がする。
エルフ校長は、気にせず答えた。
「当時はまだ、女性を宮廷魔法使いにという話はありませんでしたね。僕は、自分よりも推薦したい人物がいたのですが、女性だったこともあり――」
エルフ校長は、誰を推薦したかったかについては明言を避けた。
わたしには、わかる! ハルちゃん様だな!
「――受け入れられませんでした。本人も固辞しましたしね。実をいうと、僕も断りました。それでも、勝手に席だけ用意されてしまいました。今、宮廷魔法使いの円卓には空席があるはずですよ。もう忘れ去られているかもしれませんが」
「まさか〈祝福の席〉と呼ばれている、あの空席が……校長先生のものなのですか?」
思わず、といった感じで話に入って来たのは、シデロアだ。にこやかにツンツンしていたものの、我慢できなかったらしい。
それほどのネタってことだな。
エルフ校長自身は、その話に感慨もなにもないらしく。
「空席が残っているのでしたら、本来は僕に属するものかもしれませんね」
「〈祝福の席〉に座る者は、王国の救済者である――」
唐突に、アリアンが唱えた。ふつうの会話とは違う発声で、なにかの一節を暗唱してるような感じっていえば、いいのかな?
エルフ校長は、慈愛の笑みを浮かべて答えた。
「そんな風にいわれているのですか。知りませんでした」
いやまぁ……たしかに? 王国は救済してるよね? 魔王封印にかかわったんだもんね?
我々の卓に――そして周辺の、会話がはっきり聞こえているであろう席の生徒たちに――なんともいえない空気が満ちた。
この感じ! なんて説明すればいいのかな。
なんかヤバいものに遭遇しちゃったっていうか? 未確認生物に遭遇したみたいな……ツチノコとかそういうの?
エルフ=ツチノコ説……とか思っちゃったけど、いやいや、ただのエルフじゃないからね? 魔王封印に関与したエルフだからね? ツチノコだとしても、一般ツチノコじゃないよね?
「話を戻しましょうか。質問は、女生徒の卒業後の進路について、でしたね。属性にもよるのですが、最近では商会からの引き合いも増えています。積極的に、紹介していますよ」
「男子生徒の求人の方が多いと聞きました。女子だとわかると採用を見送られる場合もあると」
……アリアン! あんなに、どうせ無駄だから〜みたいな態度だったくせに、むっちゃくちゃ調べてるんじゃないの、これ?
「残念ながら、そういう傾向はあります。それでも、昔よりはずいぶん採用が増えたんですよ。徐々にですが」
「徐々に、ですか……」
「はい。……そうですね、君たちは思うでしょう。もっと早く、もっと強力に転換を推し進めてほしい、と。ですが、僕はあまり無理押しはしない方針です。できるだけ、流れにまかせたいと考えています。もちろん、助力は惜しみませんし、折々に注意喚起もします。男子生徒をと出された求人に、女子を推薦することもあります」
「でも、無理には薦めない?」
「はい」
「どうしてですか? 校長先生なら、影響力もおありでしょう。なぜ、全力でなさらないんですか」
「急激な変革は、例外なく反動をともなうからです」
エルフ校長曰く。
それがどんなに正しく、望ましい方向性のものであっても。変化は絶対に反作用を生む。
馴染めない人間は元に戻したがるし、新たな考えやシステムを拒否する。自分が使わないだけじゃない、前の方がよかった、今の姿は間違っている、こんなの従えない――という気運が爆発する。
「群衆の心理とは、そういうものです。どのような社会も、そこに属する全員を完璧に幸せにはできません。急な変化は多くの違和感や馴染みのなさを生じさせ、反対勢力の確立に力を与えます。本来、積極的に反対する立場ではなかった人々まで、変化が悪かったのかも? と考えるようになり、対立が深まっていきます。結果、破滅的な事件が起きることがほとんどです」
それが、僕が観察した人間社会というものです――と、特殊ツチノコであるエルフ校長は結論づけた。
我々は幻の生物を観察していたつもりだったが、幻の生物もまた我々を観察していたのである。
深淵を覗く者は、深淵から覗かれるのだ……。
……で。
反動があるから、急激な変革は避けるべきって話は、まぁ……わからなくもないよね。
前世の歴史でいえば、フランス革命とか? 王政が行くところまで行った結果、革命が起き、革命が行き過ぎて恐怖政治となりやがて崩壊、武力で求心力を握ったナポレオンが皇帝となって、そのナポレオンも――って、ここまで来ると振り子運動よりドミノ倒しって印象かも。
アメリカだったら、初の黒人大統領が出たと思えば、そのまま人種差別が減っていくのではなく、逆に差別主義バリバリの人間が大統領になり――ってやつかな。
こっちの世界の歴史でいえば……歴史でいえば……。
うっ! 下町育ちが災いして、今暮らしてる世界の歴史知識が希薄! なんかあるんだろうけど。
「……先生は、そういうお考えなのですね」
なんかあったら知ってそうな人物ナンバー・ワンであるところのアリアンが、すごく……平板な声で告げた。
あっ、これ知ってる……諦めてるときの声だ。いつものやつだ。通常営業のアリアンだ。
エルフ校長は「いつもの」なんて知らないはずだけど、さっきまでとは雰囲気が変わったのはわかるはず。わずかに眉を上げ、それでも笑顔は崩さずに答えた。
「そうなりますね。君は不満なようですが」
「だって先生、それでは――」
割り込んだのは、シデロアだった。キリリとした表情で、こう宣言する。
「――間に合いませんわ」
「なにに? 君たちの卒業に、ですか?」
「端的に申し上げれば、そういうことですわね。ですが、わたくしは自分だけの話をしているわけではありません。女子生徒への教育が普及しているのは、校長先生のご尽力があってこそのこと――それは、わたくしも理解しました。ええ、たった今、確信しましたわ。それは、我が国の歴史を変えたと讃えられるべき偉業でしょう。その恩恵を受ける者のひとりとして、わたくしも深く感謝します」
「君たちが喜んでくれるのであれば、本望です」
エルフ校長は、うなずく。
男女共学にするだけだって、大変だったんだもんな。前にちらっと、そんな話してたはず。
「ですが、受け皿がなくては意味がないのです。わたくしたちは、魔法を教養として獲得するだけで――それで社会に貢献することもできなければ、認められることもないのです。むしろ、女は生意気をいうなと婚家で虐げられるのみ。それが、教育の現状ですわ。そこについては、どうお考えでいらっしゃいますの?」
ヤバげな婚約話を持ちかけられている最中のシデロアの発言、むちゃくちゃ重みがあるね……。
彼女は今、婚家の話をしたけれど。なんなら、実家でだって同じようにいわれてるんじゃないの? 女は進学なんかすると生意気になっていかん、家の者のいう通りに生きればいいんだ、って。
そう思うと、なんだか絶望的な気分になる。
「女性も教育を受けるのが当然になれば、その後の扱いも変わってくるはず――僕はそう考えています」
「姑というものは、自分がやられたことを嫁にもやるものですわよ」
「そういう女性もいるでしょう。ですが、そうならない女性もいるはずです。自分がした苦労を嫁にはさせない、と考えるような女性が」
エルフ校長、あくまで正論。まぁ……そうなんだけど。そうなんだけど!
これって――つまり、反動を避けるために、ゆるやかな変化を待てるか問題って――飢饉で餓死しそうなときに種芋を食べずに耐えられるか、って話に近くない? 食べちゃったら来年植えるものがなくなるけど、食べないとそもそも来年まで生き延びることができない、みたいな。
要は、目の前の困窮を解決しなければ、未来がない。とはいえ、短期的な解決を優先すると、長期的には破滅する……。
そこまでじゃなくても、前世日本だって鰻を食べるのやめられなかったよなぁ……鰻、絶滅があやぶまれてるっていわれてもさ。土用の丑の日には、スーパーの店頭に大量に並んでたよね!
……なんてことを考えてたら、鰻の蒲焼きが食べたくなったわたしは、罪深いです……。




