468 「あちらのお客さまからです」した巾着袋
結論からいうと、大人三人組が戻って来たのは、そこそこ時間が経過してからだった。
立って待ってるのは寒かったので――学園でさえ寒かったのに、高地だぞ、ここ!――足踏みからジョギングまで進んでいた生徒たちのもとへ呑気に帰還したジェレンス先生の、第一声。
「なにやってんだ、おまえら」
なにやってんだじゃねぇよ、なにほったらかしてんだよ……と口まで出かかったが、言葉は驚愕に凍りついた。
髭……。ジェレンス先生が髭になってる!
それも、今朝ちょっと剃ってる時間なくてみたいな無精髭ではなく、そこそこ本格的な髭だ。
「先生、少し見ないあいだにムサくなって……」
「なんだ? ……ああ、これか」
似合うだろ、と本人は慣れた手つきでしごいて見せたが、いや、それはどうかな……。
「待たせてしまったかしら? ジェレンスが、本人がいうほど繊細な操作ができなくてね……わたしと、さほど変わらないのよ」
驚愕ポイントその二。
ハルちゃん様が……若返ってる! トゥリアージェ領で遭遇したときと同じくらいの印象かな……さっきまでに比べると、かなり若々しい。
「あの……時空魔法って、身体にも作用するんですか?」
「ん? ああ」
すぐに察したらしく、ハルちゃん様はほがらかに笑って教えてくれた。
「年を取ったわたしが相手をするには、大変だったらしくて。紹介状つきで送られて来たの」
「紹介状」
「自分で自分に紹介状を書くって、変よね? でも、わたしみたいな生きかたをしてるとねぇ。『ああ、これは何歳くらいの頃に送られてきたやつ』って経験が積み重なるのよね。で、紹介状を書いて、飛ばすの」
凡人には理解できないシステムが構築されている……。
ジェレンス先生は、ハルちゃん様の手を握っている。
「おかげで勉強になった。俺としては、もっとつづけたいんだが」
「あなたはこの時代で必要なひとなのよ。自覚を持ちなさい。当面、困らない程度には身についているはずだから、うまく使って乗り切るのね」
「ハルも来ればいいだろう。楽しいぜ?」
よ……呼び捨て! しかも誘ってる!
「ハルはもう魔王封印には関与しないと決めているのですよ、諦めなさい」
そう窘めるエルフ校長だけが、この場を去ったときとなにも変わっていなかった。
いや……雰囲気は変わった? 変わったな?
わたしが観察してるのに気づいたのか、エルフ校長は少し困ったように微笑んだ。
「ルルベル、心配をかけましたね。僕はもう大丈夫です。君の力になるために、戻ります」
「またすぐ捨てたりしないですよね? すごく……不安だったんです」
思わず口からこぼれたのは……本音だよなぁ、これ。
エルフ校長は笑みをおさめ、真顔でうなずいた。
「大丈夫ですよ。君を放って逃げ出したりはしません」
……さっき逃げたばっかだけどな! でも、エルフ校長にとっては、それなりに時間が経ってるんだろうなぁ。
「今度は長持ちすると思うわよ。年寄りルルが消えたら若いルルがどうなるか、わからせたから」
にっこり笑って、ハルちゃん様はエルフ校長の背を叩いた。
「痛いですよ」
「あなたは文句が多いのよ。もっと世界をありのまま受け入れなさいよ」
「受け入れてますよ」
「いいえ、受け入れてないわね。すぐ逃げるのだって、そうでしょう。受け入れられないから逃げるのよ。もっと図太く――まぁ、無理かしらね」
そこで言葉を切って、ハルちゃん様はわたしたちを見た。
なにかいおうと思ったけど、言葉が出ない。物理的に困難だったのだ。歯がガチガチいいそうなほど、ふるえていたのである――足踏みを止めたせいで冷えがダイレクト・アタック! さっきまでは、驚愕で寒さを忘れていたんだけどね……そのまま忘却の彼方に消えてほしかったよ。
「かわいそうに、この子たち凍死しそうよ」
あんたたちが! 置き去りにしたんだがな!
今、言葉にしたい本心ナンバー・ワンだ。……口がなめらかに動かなくてよかった。
「うわ、くちびるが紫だぞルルベル」
ジェレンス先生……他人事みたいにいわんでください。他人事だろうけどさぁ。
「なんてことだ。すぐ帰りましょう」
保護者意識を取り戻したらしいエルフ校長は、真っ当な反応。ありがとうエルフ校長。でもそもそも、エルフ校長がおとなしく現実を受け入れてくれてたら、こんなことになってないんだよな……。
「校長先生、ひとつ申し上げても?」
リートは涼しい顔というか、寒くなさそうな顔である。どうせ生属性魔法でなんかやってんだろう。血行をよくするとかさ。あー羨ましい。
「なんです」
「ルルベルが冷えきっているのは、空腹のせいもあるようです。ナヴァトもです。食事がとどこおると、体温も上がりませんから」
「なおさら早く帰って――」
「校長、それより『エルフの盃』が近いでしょう」
ジェレンス先生が割り込んだところで、わたしはリートの魂胆に気がついた。
ご当地料理、食べたいっていってたな! 忘れてなかったのか! さすがエルフの血を引く男!
「……ああ、そうですね。そうしましょう」
「おいハル――」
ハルちゃん様に呼びかけたジェレンス先生の声が途切れ、わたしもそっちを見て愕然とした。
……いない!
別れの挨拶もなしに、お消えあそばしちゃったよ!
天才魔法使い、全体に自由が過ぎる……。
「――あいつ、どこ行った」
「僕らが探せる場所ではないでしょう。さあ、食事に行きますよ。僕がルルベルを運びますから、君は男子諸君を」
シャキシャキになったエルフ校長が場を仕切り、我々は『エルフの盃』へ向かった。
さすがに店主はまだ代替わりしてないし、看板はぴかぴか、料理はやっぱり美味しいしで、文明って最高だな! って思った。
なんといっても建物! 建物の中だというだけで、人心地つくよね。人心地に類する我が国の慣用句は、「屋根と壁に囲まれた」である。マジで。これ豆知識な!
例のワインで出来上がったジェレンス先生は、ハルちゃん様(不在)に絡んでいた……。
「ハルは隠居してる場合じゃねぇだろ」
「ハルは前回、頑張ったんです。もう隠居させてあげてください」
「前回なんざ知らねぇよ。次、次行こう! 親父、もう一本!」
「へい」
エルフ様のご登場に、当初は当店の奢りでと揉み手していた酒場のご亭主の笑顔が、徐々にヒクヒクしはじめたのは気のせいではないだろう。
ジェレンス先生が、飲み過ぎるのである。
「校長先生、払ってあげた方がいいと思うんですけど……」
わたしは小声でエルフ校長にお願いしてみた。
こういう場面、どうしても店側の気もちになっちゃうよね。お得意さんに好印象を残して次回につなげたいけど、それにしても出費が……ってやつ!
ハルちゃん様の矯正が効果を発揮しまくっているのか、エルフ校長の返事は力強い。
「わかりました。まかせてください」
「……現金の持ち合わせ、おありです?」
持ち合わせてなかった。
わたしはリートに顔を向け、リートがナヴァト忍者に視線をやり、ナヴァト忍者が上着のポケットから巾着袋を取り出した――金庫番はナヴァト忍者だったのか!
カウンターをすべって、「あちらのお客さまからです」した巾着袋がエルフ校長のもとに届き、エルフ校長がそこから金貨を取り出して、さりげなくご亭主の方に押しやった。
いやいやそんな、どうぞどうぞ、いやほんと、気もちが済みませんから、ありがてぇことで……みたいな応酬を経て、金貨はご亭主のものになった。
でも、金貨って。出し過ぎじゃないの? あのワインの値段がわからないけどさぁ。
「ナヴァト、帰還したら校長からの取り立てを忘れないように」
「はい、隊長」
もちろん、たよれる親衛隊長がそれを見逃すはずがなかったね! さすが!
おなかいっぱいで身体もあたたまったところで、我々は学園に帰還した。
ジェレンス先生は、かなり未練があるようだった。ハルちゃん様との修行がよほど面白かったのだろう。
でも、ここに残ったところでハルちゃん様がいるわけじゃないしね。挨拶抜きで消えたの、ジェレンス先生の引き留めがウザいからじゃないかと察するところはある……。
帰還したらもう夜だ。今日はエルフ校長のアレコレで吹っ飛んだな……。
研究室に戻ったら、ファビウス先輩が心配で死にそうでしたって顔をしていた。腕輪が発信するわたしの居場所がすごい勢いで移動したから、まずジェレンス先生の可能性を疑い、ウィブル先生に問い合わせ、ふたりで校長室に行って応答がないのを確認し、「たぶん、ジェレンス先生ですね……」「間違いなくジェレンスよ……」と諦めたらしい。
ジェレンス先生案件だとわかったところで、限定的な安心しかできないのが問題だよなぁ。
なお、腕輪の発信は、長時間に亘って停止もしたらしい。時間帯からして、ハルちゃん様を呼び出せる場所で寒さにふるえていた頃である。やっぱり、仕掛けがあるのは間違いなさそうだ。
「通信手段がほしいですね」
「開発する。もうたくさんだ」
ファビウス先輩は、力強く宣言した。
……この世界に魔法スマホ的なサムシングが爆誕するのも、遠い未来のことではないかもしれない。
更新休止していたあいだに、べつの話を書いていました。
もっと簡単に書けると思って軽率に手をつけてしまったんですよね……。
一応完結はしましたが、思ったより長くなったので、4回に分けて掲載しました。
本日お昼の更新で連載完結となりますので、よろしければ、ご覧ください。
→ 百日後に断罪される悪役令嬢のVR対戦乙女ゲーム
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