467 少しとは、具体的にどれくらいでしょう
そうかも……と、答えたことは答えた。
……けど、正直なところ、わたしは首を捻るしかない。
「でも……曖昧なんです。ずいぶん経ってから、なんとなく思いだしたというか……そんなことがあった気がするって感覚が湧き上がってきただけで」
「あちら側の記憶が明確に残っている方が問題です。それだけ、あちら側に同化しつつあるということですから」
エルフ校長は、ますます絶望を煮詰めたような声音になっている。声だけホラーだ。
「……ねぇルル」
それを気にせず声をかけたのは、ハルちゃん様。さすがである。
「はい」
「あなた、今のいちばんの問題がなにか、わかってる?」
「ルルベルが危険な領域に突入していることです」
「あら、わかってるのね。よかったわ。で、それが自分のせいだと思って落ち込んでるのよね?」
「……それだけではありませんが、そういっても間違いではないでしょう」
ハルちゃん様は、楽しげに笑った。そして、なぜか突然。体育座りをやめて立ちあがろうとしたエルフ校長の肩を、踏んだ。
……踏んだ!?
「逃げちゃ駄目でしょう?」
「……痛いです。逃げてません」
うん、見るからに体重かかってる。ハルちゃん様は騎士服をお召しなので、片足上げても見苦しいことにはならないけど、なんか倒錯的な絵面ではある……。
「わかりきったことで、うだうだぐるぐる悩むの、昔から変わらないわねぇ……」
「僕は僕でしかありませんからね」
「悩んでなにか解決する? しないでしょ。エルフの御大層な矜持を慰めたい? 僕が間違ってたのが受け容れがたい?」
「そんなことは」
「じゃ、責任をとるものじゃなくって? なんで逃げようとしてるの、おかしいでしょう」
エルフ校長は自分の肩にちらと視線をやって、つぶやいた。
「逃げてませんよ」
「学園の土地を切り離したのは、逃げてるっていわないのかしら?」
「それは……学園をはなれたときは、まだ間に合うと思っていたからです。僕が姿を消し、指導もやめれば……」
「ほらね、エルフっていつもそう。自分がいなければ人間どもは愚かに這いつくばるだけだと思い込んでるの。何回教えてあげればいいのかしら? あなたがいなくても、若い方のルルは呪文の練習をつづけるし、必要と思えば使うわ。わかっているでしょう。どうして考えないことにするの。エルフがほんとうに馬鹿な理由は、そこ。自分たち以外を馬鹿だと思いこむところよ。だから、あなたたちは駄目なのよ」
ハルちゃん様、キッツ……。
「僕は……」
「踏ん張りなさいよ、ルル。あなたもその傾向をまぬがれてはいないけれど、間違いを認める公平性と、修正できる理性があるって、知っているわ。少し、時間はかかるけれどね」
そういって、ハルちゃん様はわたしたちを見た。
「少しだけ、待っていてくれるかしら? わたしがルルを反省させて、ちゃんと前向きにしてから連れ戻すから」
「あの……はい」
えっ、どういうこと? なにがはじまるの? まったくわからん!
……まぁ、エルフ校長とのつきあいが長いハルちゃん様におまかせコースが最善だろうし、うなずくしかない……と。わたしは、そう思ったんだけども。
「少しとは、具体的にどれくらいでしょう」
リートである。たのもしい。さすが我が親衛隊が誇る鉄の心臓!
「あら、少しといったら少しよ。わたしは時間を操作できるから……ルルの気もちが変わるまで別の場所に連れて行って、すぐ戻ってくるわ」
強制時間薬! 時がすべてを解決する、を魔法で実現! なんという力技。
「その理屈でしたら、即時ということも可能と考えても?」
もちろん、これもリートである。ぐいぐい行くなぁ……。
でも、ハルちゃん様は気分を害してはいないようだ。むしろ、楽しんでらっしゃるみたい……?
「それは無理よ。少し時間を置くくらいの調整をしないと、過去の自分と未来の自分が衝突しかねないもの。だから、少しは待ってもらう必要があるの。わたしは大きく跳躍するのは得意だけど、こまかい操作は苦手だから、具体的にどれくらいのズレが生じるかを明言することはできないわ。でも、夜明かしはしなくて済むように頑張るわね」
「あー、だったら俺が同行しよう」
ジェレンス先生が、ずいっと前に出た。
「なぜ?」
「俺が時属性魔法を使えるって、わかってるだろ」
「……そうね」
「時属性に関しては、大出力は不得意だ。その代わり、微調整は得意なんだよ。あんたの魔法に馴染ませることが可能なら、確実に『少し』で戻って来られる。駄目でも、ただ行って戻るだけだ」
「すごく時間が経ってしまうかもしれないのよ?」
「俺が爺になるほどじゃねぇだろ。あんたの魔法について見聞を深めることができるなら、多少の時間は惜しくねぇよ。むしろ、拝んででも同行させてほしい」
ハルちゃん様は、エルフ校長の肩から足を下ろした。
エルフ校長は、虚無顔になっている……あ、これアレだな。過去にも似たようなことを経験してるんだろうな。たぶん過酷なんじゃないかな……。
「あの、大丈夫ですか? 校長先生」
エルフ校長は口を開いたけど、ハルちゃん様の返事の方が先だった。
「大丈夫よ。慣れてるの。残念ながら、とっても慣れてるのよ……ルルっていつも、ぐっだぐっだなの。自分が長命種だからって、短命の人の子をつきあわせないでほしいっていうのよ。ほんと迷惑だけど、なんだか憎めないから面倒みてあげるわ、今回も。ジェレンス、いらっしゃい。少し揉んであげる」
「よし。たのむ」
話が早過ぎる!
ちょっと待ってくださいと声をかける暇もなく、三人は消えた。
「……ええー」
思わず声が漏れてしまったが、しかたないだろう。
責任をとる立場にありそうな大人三名、一気に消えちゃったのである。残されたのは学生三名だ。
こういうとき、残ってくれそうな大人が周囲に少ないよな。ジェレンス先生もエルフ校長も、そういう意味ではたよりにならない。特にジェレンス先生。
「ジェレンス先生が同行したのだから、すぐ戻って来るだろう。本人の申告を信じるなら、だが」
「不安になることいわないでよ……」
「もう少し、君の警護に注意を払うと思っていたがな。危機意識に問題がある」
リートってほんと! リート!
「隊長が信頼されているのではないですか?」
ナヴァト忍者が、いいやつ過ぎる……。
「現実的なところをいえば、この場所になんらかの安全策が講じられている可能性が高いな」
「そうなの?」
「ルルベルの情報を信じるなら、ここは、あの魔法使いを呼び出せる場所なのだろう? なにか仕掛けがあるに決まっている」
なるほど……。
「あまり魔力の流れは感じませんが」
「すぐ見破られるような仕掛けではないんだろうな。興味はあるが、少しという表現におさまる時間の捜索で解明できるとは思えない」
そこまでいわれると、興味が湧く。今のわたし、魔力感知は得意だし。
「まぁ、待ってるあいだに探すくらいはいいんじゃない?」
「下手をうって、敵対的な存在だと認識されでもしたら困るだろう。やめておけ」
「それはまぁ……」
仕掛け人がハルちゃん様である。不明な時代の不明な場所に飛ばされたりしそうで怖い……。
「思いだせ。ここに接近したときだって、かなり距離があったのに気づかれた。ジェレンス先生は勘の問題だと判断したようだが、あの距離からもう範囲なのかもしれん」
「範囲って、なんの?」
「なんらかの仕掛けのだ。詳細は不明だから、どう呼べばいいかもわからん。だが、なにかあるだろう。なにもなくて、実際あれが勘のなせるわざなのだとしたら……対処のしようがない化け物だな」
「化け物説も、かなり有効だと思うけど……」
「仕掛けがあるにしても、魔力は感知できませんね……。ご本人も、さっき姿を消す瞬間までは、なにも魔力を感じませんでした」
ナヴァト忍者も興味はあるらしく、あたりを真剣に観察している。
「そうだね。校長先生の魔力は感じたけど」
「俺はそれもあまり……エルフは感知しづらいです」
「そうなの? リートはどう?」
ものすごく嫌な顔をされた。もうほんと、そういうの、いいから! 諦めて!
「感知可能かどうかでいえば可能だが、しやすいとはいえないな。難しい」
「そうなんだ……」
「聖女様は、やはりエルフの魔法に親和性が高くていらっしゃるのでしょう」
そりゃまぁ……エルフの里に行くと大歓迎されるのは、聖属性が心地よいとかいわれるからだしなぁ。親和性、あるんだろうなぁ……自覚はないけども。
「ところで、あのひとたち戻って来なかったら、学園に戻る方法がないんだけど」
「君の足は飾りか」
歩ける距離じゃないって話をしてんだよ!




