464 年老いて愚痴っぽくなったエルフ
「へぇ、じゃあ『エルフの盃』のエルフって、校長のことか」
……軽い。
むちゃくちゃ軽やかに、我々は現在、高空を飛行中である。
つまり、『エルフの盃』の近くにある名所、石の乙女に向かっているところだ。
毛布がないので、下からスカートの中が見えないよう、わたしはお姫様抱っこされている……なんか久しぶりな気がするな!
学園の制服のスカート丈が、ふくらはぎの中央くらいまであってよかったよ……。ミニとかだったら、どうにもならなかった……それこそナヴァト忍者に謎の光を出してもらうか、見えなくしてもらうかの二択である。二択があるだけ、まだマシだと考えるべきだろう。
リートとナヴァトは、それぞれ自力でジェレンス先生にひっついている。といっても、置き去りにしないようジェレンス先生がなんらかの魔法で囲んでくれてるので、そう簡単に落ちたりはしないそうだ。
「たぶん、そういうことだと思います」
「しかしなぁ、例の天才魔法使い、隠遁できる場所を探してるとはいってたが……トゥリアージェ領とは、えらく様相が違う場所を選んだんだな?」
それは誤解である。
これから行くのはハルちゃん様が隠居のために選んだ場所ではない。エルフ校長が呼び出しをかけることが可能な、時空の目印? みたいなところなのだ。
……とはいえ、そこを説明するのもどうなのかって感じだよな。ハルちゃん様は忘れ去られたいのだ。今さら、掘り返されても困るだろう。
ジェレンス先生にはもちろん口止めをするけど……でも、なにかが危険な気がする。
エルフの里の場所を教えたくないのと同様、ジェレンス先生には、ハルちゃん様の秘密もあまり教えたくはないのだ。不本意ながら、リートの気もちがわかってきちゃったよ。
「それにしても、よくご存じでしたね」
「若い頃からあちこち飛び回って探検してたからなぁ。で、旨い飯がありゃ食う! 旨い酒がありゃ飲む! そして覚える――地理を覚えるには、実地に足を運ぶに限るぞ。俺が保証する」
飲んだり食ったりするに限る、の間違いじゃないだろうか?
まぁ、その意見はわからなくもない。本や地図だけで見るのと、実際にその場に身を置くのとでは、大きな違いがある……というのが、昨今あちこち連れ回されたわたしの感想だ。
「ルルベルはなにも覚えてませんでしたが」
リートがいらんツッコミをした。
「覚えてたよ、居酒屋の名前とか……」
「葡萄の葉で包んで蒸した肉料理もだな?」
「……光る看板とか」
楽しげに笑って、ジェレンス先生は下に注意を向けた。
「近くなってきたから高度を落とすか」
「低いと見通しが悪くないです?」
「高いと遮蔽物が少ないから、勘がいい相手にはみつかっちまうんだよ……ああいや、待てよ。ナヴァト」
「はい」
「これだけ固まってれば、全員隠せるか?」
ナヴァト忍者は少し考えてから答えた。
「はい。ただ、もっと距離を詰めて、ひとかたまりになった方が確実です」
「……しかたねぇな。おまえら、抱きつけ……なんで若造どもにまとわりつかれなきゃならねぇんだ、くそ!」
自分で命令しておいてクレームを入れるジェレンス先生の姿が、すうっと消えた。もちろん、わたし自身もだ。
ナヴァト忍者、すごいなぁ。
「どうだ。時間制限なんかはないか?」
「それは平気ですが、あまり手足を伸ばさないでください。範囲から突き抜けると可視化します」
「それって、空中に手だけ浮いてるみたいなことに?」
思わず訊いてしまったわたしに、ナヴァト忍者のまじめな声が答えた。
「見た目上は、そうなります」
シュール。
というか現段階ですでに、誰も姿が見えないのに触感はあって声は聞こえるの、かなりシュール!
「無駄口を叩くな。声で校長に察知されたらどうする」
リートがビシリと指摘して、我々は静かに縮こまったまま、空を移動することになった。
あの……わたしを抱えてくれてるジェレンス先生の姿もなにも見えない状態で浮いてるの、わりとメンタルに来るんだけど……叫びだしたくなって困るんだけど……!
でも、耐えた。ここまで来てエルフ校長に逃げられてはたまらない。
いや……まずは、いるかどうかという問題があるんだけども……って!
あれ、そうじゃない?
全員が、発見したと思う。
岩の上に体育座りしてる――なお、我が国の言語に「体育座り」という語彙はない。子どもは「三角座り」と表現するけど、大人になるといわない印象……というより、この座りかた自体を見かけることがなくなるんだよな! 地面に座らないから――金髪は、エルフ校長だろう。どう見てもエルフ校長だろう!
そのかたわらには、小柄な人影。ジェレンス先生が高度を落としはじめたので、前回遭遇時同様、騎士服を着てるのがわかる。動きやすい服をチョイスしてるんだろうなぁ。
こちらを見上げて悪戯っぽく笑った顔、あれは間違いなくハルちゃん様――
ん? こちらを見上げて?
「気づかれた」
リートがささやいて、ナヴァト忍者が即応した。
「誰も見えてはいないはずです」
「勘づいたんだろ。あいつ、初対面で俺とルルベルの属性を見破ったくらいだからな」
わたしは初対面では……あーそうか。ハルちゃん様的には、あのときが初対面っぽかった!
と、そのとき。天才魔法使い様が、動いた。
ハルちゃん様は、エルフ校長の隣に並んで立っていたのだが……不意にその背後に移動して屈むと、ガッ! という勢いで。エルフ校長の脇の下に両手を入れ、拘束したのだ。
……拘束、だよな? あれ抱きついてるのとは違うよな? だって手が胸にまわされてない。肘から先を上げて、こう……肩をキメてるっていうか……。
「は、勘がいいにもほどがあるな! ナヴァト、もういいぞ」
ジェレンス先生は吐き捨てるように叫び、地上へと急降下した。
つまり、我々諸共である。
ヒッ……と声にならない声が喉のあたりにつっかかり、足から背中から腕からなにからもう全部、ぶわっと総毛だった。胃がキュウッってなる。キュウッ!
今日は消化の悪いものを食べないようにしないと、なんて馬鹿なことを考えてるあいだに、シュタッ!
目の前に着地したジェレンス先生御一行様を見ての、エルフ校長の第一声をお聞きください。
「君たち……」
そこで言葉を失ったらしい。まぁわかる。教師と生徒が合体魔獣化してるからな!
エルフ校長の肩に顎を乗せ――仕草だけ見ると、まるでアツアツのカップルみたいだ――ハルちゃん様はわたしたちを見た。年齢は……けっこういってるな。はじめてお会いしたときと同じくらいの感じ?
「久しぶり。そっちと……そっちの君は初対面? わたしのことは忘れてね。……で、この年老いて愚痴っぽくなったエルフを引き取ってくれる?」
と……年老いてって表現、エルフ校長に似合わな過ぎる!
「失礼ですね。僕が愚痴っぽいのは昔からです」
立ち直ったエルフ校長が、自己弁護をはじめた。いや弁護になってなくない?
「知ってるわよ。でも、昔から年寄りでもあったもの。結局あなたは、ずうっと、愚痴っぽい年寄りなのよ。もう飽き飽きしたから、そっちで引き取ってもらって」
ジェレンス先生が、わたしを地面に下ろした。足に力が入らなくてよろけたのを、ぬかりなくナヴァト忍者が支えてくれる。皆、平気なの? まっすぐ立てるの……おかしくない?
「引き取るのは引き取るが、あんたの話も聞かせてくれ」
「話すことなんて、なにもないわ」
「そっちになくても、こっちにはあるんだよ。魔王復活の正確な時期が知りたい」
ジェレンス先生がストレート! ど・ストレート!
「僕は戻りませんよ……。もう無理です」
ここで気がついたんだけど、エルフ校長、わたしを見ない。え、なにこれショック。
ほとんど無意識のうちに、わたしはエルフ校長の前に進み出ていた。そのまま座り込み、正面から顔を覗く――が、顔をそむけられてしまった。
「ルルってほんと、こういうとこあるわよねぇ……」
しみじみと、ハルちゃん様がつぶやく。
わたしの後ろでは、ジェレンス先生が「おい、校長はどうなってんだ」なんてリートに訊いてる。
今さら? と思うが、今さらなのである。校長先生はたぶん『エルフの盃』の近くにいる、ハルちゃん様に会ってると思うと説明した段階で、じゃあ行くか! ってなったからね。
行動力があり過ぎて、説明が置き去りなんだよ……。
「ルルベルに呪文を教えた結果、危険な領域に達したと判断したようです。それで、これ以上の関与が耐えがたくなり、逃げだしたのでしょう」
そして今さらのリートの説明が……容赦ない……。




