458 それが呪文を使うってことなんです
「世界の果ては、まさに『果てる』ところだ。すべてが例外なく果てる。永遠に降りつづける雨に包まれ、なにもかもが終わりを迎えるのだ」
枯れ落ち葉が積もった林の中を、わたしたちは歩いていた。道がないところを選んでるから、誰にも会いそうもない。学生はまだ授業時間だし、研究所のひとたちだって仕事をしているだろう。
そもそも、むちゃくちゃ寒いのである。散歩には適さない場所で、気候だ。
ナクンバ様プレゼンツ『世界の果ての物語』は、さほど長い話じゃない。だから、ぜんぶ聞いても身体が冷えきる前に終わるはず……だけど、寒い!
「雨の底には、影の蛇がいる。影の蛇は、世界を反転させる。すなわち、溶け消えていく世界を再度生成し、つねによみがえらせているのだ」
世界のすべてを終わらせてしまう万物融解液みたいな雨と、ずっと眠りつづける影の蛇。この世界はその蛇の夢のなかだから、蛇が目覚めれば終わってしまう――でも影の蛇が目覚めることはない。
不思議な話だけど、なんか好き。
現実にはあり得ないシュールさが、奥底に横たわる容赦のないエンディングに支えられて、絶妙なバランスをとってる……って感じ。
前世で似たような話、あったかなぁ……? 荘子の胡蝶の夢なんか、近いようで違うもんなぁ。あれは、夢のなかの蝶と、現実の自分っていう枠組みが、ひっくり返るかもって話じゃん? 胡蝶の夢をみる自分なのか、胡蝶が夢みている自分なのか、っていう。
ナクンバ様が知ってる世界の果ては、夢と現実がひっくり返ったりはしない。夢から覚めたらジ・エンドだ。
「どう? 聞いたことあった?」
ひと通りの話が終わったところでナヴァト忍者に訊いてみると、いえ、と短い答えが返った。
なにか考えてるみたいだ。心当たりを思いだそうとしてるのかな?
「質問があったら、ナクンバ様に訊いてみたら? わたしも、はじめてこの話を聞いたときは、たくさん質問したんだ」
「聖女様は、いつお聞きになったのですか」
「わたしが聞いたのはほら、トゥリアージェで戦闘があったとき。ずっと、ナクンバ様に乗せてもらってたでしょ?」
「ああ……なるほど。完全な終結まで、かなり時間がありましたね」
「うん。皆まだ戦ってたのに、わたしは空の上で。のんびり昔話を聞いてた……ちょっと恥ずかしいな」
「聖女様がいらしたから、あの程度で済んだのです。ナクンバ様が、空を飛ぶ魔物のほとんどを引き受けてくださいましたし。でなければ、もっと被害が出ていたでしょう」
「……そっか」
吸血鬼騒動や東国で巨人の穢れを浄化したり……いろいろあったけど、実際の戦場らしい戦場を見たのは、あれが初体験だったな。
悲惨なんだってことを、実感した。
大量の魔物に襲われるのは、怖かった。ナクンバ様がいなければ、わたしなんて秒でやられてしまっただろう。
魔王の眷属との戦いでは貴重な戦力のはずの聖属性魔法使いだというのに、ほぼ戦闘力ゼロって感じだったよね……おかしくない? 物語なら、大活躍して、かっこいい場面になるようなシチュエーションだったはず。
……だけど、現実は厳しい。かっこいいで済む話じゃない。魔物も死ぬけど、人間も死ぬ。たくさんの血が流れる。
もう……見たくないな。あんなことは、起こってほしくない。
わたしがぼんやりしていると、ナヴァト忍者がナクンバ様に尋ねた。
「ナクンバ様、影の蛇の夢に立ち入った魔法使いとは、誰なのでしょう?」
ちょっと義務的な感じ? わたしが勧めたから、質問せねばならぬと思ってしまったのかも。そんな意図はなかったけど、ナヴァト忍者はまっすぐだからなぁ。
「知らん。その頃は、人間の名に興味などなかった」
「では、ナクンバ様はなぜ、そんな事件があったことをご存じなのですか? つまりその……観察なさっていた、とか?」
「我は半分、あちら側にいたようなものだからな」
ルルベルの声を聞き、聖属性の魔力を感じ、この世界に顕現するまでの長きに亘って――と、話はつづく。
ナヴァト忍者は眉根を寄せ、よくわからないという顔をした。
「……あちら側、ですか?」
「世界が溶けて消えている側だ」
当たり前のことのように、ナクンバ様は答える。
ナヴァト忍者の表情は変わらず、よくわからないという顔をわたしに向けた。
……え? 説明求めてる? そんな見られても、わたしもわからんけど?
って……ちょっと待て。わからん以前に、なんかキー・ワードが出てきた気がするぞ。
思わず、くり返してしまった。
「あちら側?」
「諾」
いや、諾……じゃなくて!
「あちら側って、世界が溶けて消えてる側ってことですか?」
「そのようなものだろう。夢みる側とも表現し得る」
夢みる側。
影の蛇と同じ側ってこと? 世界が夢で、周りはぜんぶ消えようとしていて、それを夢で再構築してる……。
「あの、もしかして……呪文って、そういうこと?」
「我に呪文の知識はない」
「だって、呪文って」
わたしは足をとめた。わたしの腕輪に擬態しているナクンバ様も、お供のナヴァトも、全員がそこに留まることになる。
学園の敷地内の林は、本来そうあるべき面積より広い気がする。それこそエルフの魔法で「どこでもない」空間になってるのかも。
あるのは、葉を落とした樹と、常緑樹。下生えに、枯れ葉。視界に入るのは植物ばかりだ。
今のわたしなら、この「植物ばかり」の空間に心を寄せることができる。もちろん、エルフほどうまくはないだろうけど、できるだろうってわかってる。
「呪文を使うときは、世界にならなきゃいけない……わたしの実感としては、自分が世界に溶けていくみたいな感じで……」
エルフ校長は、教えてくれた。空を流れゆく雲になった気もちで。風が吹き抜ける梢の気もちで。はらりと落ちる一枚の枯れ葉の気もちで。
人間には越えづらい境界。誰が唱えても効力を発揮するわけではない、呪文。
わたしは……あちら側に行けてしまうんだ。
今さらだけど、えっ、なにそれ。
「世界の果てに、いるようなものか」
「……わたしは世界の果てを知らないし、それは、わかりませんけど……でも、ちょっと違うかも。どっちかというと――」
世界の果てで、すべては溶け消える――そして、影の蛇が夢みることでそれを再生する。
ああ、そういうことか。
わかった。
「――夢をみる側になってるんですよ。たぶん、それが呪文を使うってことなんです」
魔力がなければ魔法を使えないように。呪文を使うには、夢みる力が必要なのだ。
そしてそれは、たぶん――すごく、危険なことなのだ。
「聖女様は、世界の果てにいるという影の蛇と同じことがおできになるのですか?」
なかばは当惑したように、残り半分は畏敬の念をこめて。ナヴァト忍者が、わたしに問うた。
でも、それもまた違う。
「まさか。わたしはそんな達人じゃないよ。ただ、呪文に熟達していれば近いことができるんじゃないかと思う。つまり、世界をそのまま語り直せる? みたいな……うまく説明できないけど――」
エルフ校長は時間を戻そうとしていた。あれはたぶん、大技なんだろう。より深く、より遠く。この現実とは隔絶したといえるほど遠い「あちら側」から世界を俯瞰するように、唱えるべき呪文だったんだ。
それなのに、わたしはその「あちら側」に行ってしまって――あちら側が「こちら側」になってしまった。だから、エルフ校長はおどろいたんだ。こちら側にいるのはなぜだと尋ねたんだ。
割り込みをかけたわたしが、これはマジでヤバいと思うほどキツかったのも、そのせいかも。
そして――そして?
「――なんでだろう」
「いかがした?」
「なんで……わたし、それがすごく危険だって知ってるんだろう」
ナクンバ様もナヴァト忍者も置き去りになっていると、薄々勘づいてはいた。だけど、気になるのはそこだ。
あのとき、わたしは胸が痛くて……ヤバいと思ったのは事実。でもそれは、そのときの自分の身体の状態を「ヤバい」と思っただけであって、あちら側にいることを「ヤバい」と思ったわけじゃない。
でも、なんでだろう。今のわたしは知っている。迂闊にあちら側に行くのは危険で……。
「あっ」
わたしは思いだした。あまりこちらに踏み込んでは駄目だよ、と諭す声を。
――そう何回もは助けてあげられないんだよ。
あれは……誰?
休みが多くてすみません。
あまりに詰まったので、気分を変えようと短編を書いたりしました。
よかったらお読みください。
できる令嬢でございましたら、リスクヘッジは当然の嗜みですわ
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