456 呪文の練習は、もう終わりです
気がついたら、食堂だった。
さっき立ち上がったときと同じ――ではなく、座っていた。……が、勢いで立ち上がってしまった。
エルフ校長は? ――テーブルの近くに立っている。これは、さっきと同じ。
咎めるような眼差しに、どう反応すればいいかわからなくて困った。
なにか無茶をやったことは、自覚してる。
けど、できると思ってやったわけでも、どうなるかがわかっていたわけでもない。というか、なにがなんだかよくわからない。
向こう側? でのエルフ校長の口ぶりから察するに、呪文に関係あるんだろう……くらいのことしかわからない。
呪文経験者でなければ、あの魔法を察知することも、それに割り込むこともできないんじゃないかな。だって、達人級の魔法使いであるウィブル先生も、ジェレンス先生も、無反応だったんだから。
……で? 今これ、どういう状況?
「えーっと……あれっ?」
これは、わたしの台詞じゃない。ジェレンス先生だ。
頭をかいて、まずウィブル先生を見、わたしとナヴァト忍者を見、そしてエルフ校長を見た。
「校長、なんかやったんですか?」
いつもより、おとなしげな口調だ。というか、自信がない感じ?
対するエルフ校長は、声が硬い。
「……そうともいえますし、そうでないともいえますね。ルルベル、来なさい」
「はい、先生」
ここは、おとなしく従うしかないだろう。なんか、ふわふわしてるし。
わたしたちが昼食のテーブルを後にしても、先生たちは無言だった。おそらく、ふわふわ感に包まれてるんだろう。わたしと同じ状況なら、けっこう混乱してるはずだ。
なにがあったか覚えてるのに、その記憶がどんどん曖昧になる。たぶん、しばらくしたら忘れちゃうんじゃないだろうか? えっ、それ嫌だなぁ……。
わたしと、自動的に追随するナヴァト忍者を連れて、エルフ校長が向かった先は校長室だ。
部屋に入ると、エルフ校長は特大のため息をついた。
「校長先生、わたし――」
「座りなさい。かなり疲れているはずです。あんな無茶をしたのですからね」
「――それより、どうなったんですか。わたしの願いは、聞き届けていただけたのですか?」
どんな無茶かってことにも興味はあるけど、まずそこだ。
結局、一連の会話は「なかったこと」になったのか? わたしも、徐々に忘れていくのか?
「いったでしょう。はじめたら、途中でやめることはできません。ですから、ある程度は消えています」
「そんな……」
「ただ、当初意図したほどのものではない。僕の目論みでは、僕が姿をあらわすより前の時点まで戻すつもりでした。でも実際には、かれらはもうその話をしていて、僕が忘れろと命じたことまでは覚えています――満足ですか?」
わたしはナヴァト忍者をちらっと見た。一連の会話、意味不明なんじゃない?
「校長先生、ナヴァトにも事情を説明しても?」
「必要ありません」
「……わたしは必要だと思うんです」
ふたたび、ため息。
「好きにしなさい。どうせ、僕の言葉など聞く気がないのだから」
やさぐれてる!
とはいえ、わけのわからない話を目の前でされるナヴァト忍者の心境も、察するに余りある。
そちらを向いたわたしに、けれど、ナヴァト忍者は首を左右にふった。
「無用です、聖女様」
「えっ?」
「校長先生の忘れろという命令は、適切なものだったと思います。この先の話の仔細を知る必要がないという判断も、おそらく適切なのでしょう。俺に時間を使うより、今はおふたりで話し合ってください。聖女様と校長先生のあいだに生じている認識の齟齬を埋めてください。……その上で、どうしても俺が知っておくべきと思われるのでしたら、後刻あらためてお伺いします」
……ナヴァト忍者すごいね。
「わかった。ありがとう」
「かまわなければ、退室しても?」
そりゃそうか。今の意見なら、そうなるか……。
なんか、仲間はずれにするみたいで嫌だけどと思いながらエルフ校長に視線をやると、難しい顔で告げられた。
「ひとつ約束してください。リートが来ても、先ほど昼食の場であったことについては報告を控えると」
あー……ナヴァト忍者、問われれば答えかねないからな! だってリートが隊長なんだし。
「俺はもう、あの場であったことについては忘れました。聖女様も、かまいませんか」
わたしが頭を縦にふるのを見て、ナヴァト忍者は退室した。
ほんとすごいな、ナヴァト忍者! 判断が大人っていうかさぁ。わたしの子どもっぽさが際立つね。
でも。
わたしは自分を知っている。嫌なものは嫌で、許せないものは許せない。どうにもならない。
だから、エルフ校長と話し合おう。せっかくナヴァト忍者が機会をつくってくれたんだ。
「先ほどの情報が危険だと判断なさるのは、理解できます」
いつのまにか、エルフ校長は奥のデスクの前に立っていた。後ろの窓からそそぐ光が、その輪郭を白くぼやけさせている。俯き加減の横顔、デスクに添えた手。伏せた眼を覆う長い睫毛。
なにもかもが、幻みたいに美しい。
エルフ校長が無言なので、わたしは言葉をつづける。
「……こんな中途半端なことになって、不本意でいらっしゃるのも想像がつきます。でも……わたしには、許せません」
「記憶を奪うことですか」
「はい。誰かの頭の中を他者が自由にするなんて、そんなの、絶対に駄目です」
思考の自由は、だいじだぞ。他人の考えをコントロールしようとするやつなんか、最低に決まってるじゃん。
さっきのエルフ校長は、その最低になろうとしてた。それも、わたしのために。
そんなの絶対……絶対! 許せないよ!
「……君は理解してはいませんよ」
「はい?」
「想像もついていない」
わたしにはエルフ校長の考えなどわからん、ってことか。……そりゃまぁそうだな。
「ご不快でしたら、訂正します」
「僕にも、君のことがわかりません。いえ、違いますね。わかるが、わかりたくない」
「わかるんですか?」
「許せないことが、自分のために実行される――それが嫌なんでしょう」
図星である。わかられている!
「たぶん、その通りです」
「危険なのです。君が考える以上に」
「今までだって――」
「聖属性魔法がどれだけ特別なものか、君は理解していない。自分が使えるから。しかも、自己評価が低いから。魔王の封印ができる、それ以外に価値はないと思っているから。その使命だけ果たせればいいと思っているから。皆にあわせて仲良く楽しくやっていきたいだけだから」
おぅ……畳み掛けるじゃん!
「――それは、そうです。だって、そうじゃないですか」
「まったく、わかっていない」
吐き出すみたいな口調だった。
言葉遣いもなんだか、いつもと違う。さっきから、ずっとそうだ。
エルフ校長はようやく顔を上げ、わたしを見る。そして、ゆっくりと告げた。
「君に呪文を教えたのは、間違いだった」
まるで不吉な予言のよう。この先なにかが起きるという含みを孕んだ言葉だ。
「なぜですか」
「呪文を唱えるとは、世界と対峙することであり、同時に一体化することでもある――人間はその境界を飛び越えるのが不得手だ。でも、君は違う。逆だ。飛び越え過ぎる。かるがると、まるで障害もなにもないみたいに。自分でも気づかないまま、世界の語り手になってしまう」
「……よくわかりません」
口ではそう答えた。だって、わからないもの。
でも、心の奥底では違う。
わかっていた。
呪文を使うってそういうことで、ふつうのこの現実とは違う領域に行かねばならない。それは、なんとなくわかってる。
そしてどうやら、それができる人間は少なそうだということも――あのファビウス先輩ですら、呪文を唱えてもなにも起きないと話してたくらいだから。
魔力があるとかないとか、あるいはそれを的確に制御するとかしないとか。魔法を使うにはそれが問題になるけど、呪文は違う。そんなことは、問題じゃない。ひょっとすると、魔力の有無さえ重要じゃないだろう。
必要なのは、世界と語れるかどうか。語る側に立てるかどうか、だ。
「このままでは、君は――」
そこでエルフ校長は言葉を切った。
室内に流れていた微妙な空気が消え、エルフ校長の顔に微笑が戻る。
「このままでは、どうなるんですか?」
「――やめておきましょう。言葉にすると現実になってしまいそうですから」
「校長先生」
ただ、とエルフ校長は少し時間を置いてから告げた。さっきまでとは違う、やわらかな声で。
「呪文の練習は、もう終わりです。僕が呪文を教えることは、二度とないでしょう」
最近、更新が滞りがちですみません。
台風が来ると体調が悪くなってしまう傾向が強いのですが、今いる台風が鈍足過ぎて辛いです。
被害を出さずにさっさと通過してくれと、ずっと祈ってます。
あと、FANBOX の方では更新があり、リクエストSSのジェレンス先生&ファシリア様 を更新しました。支援者様限定ですが、よかったらどうぞ。




