451 なんでお勉強ができないんだろう?
「おや、ルルベル嬢」
教室の扉を開けたとたん、まずスタダンス様に声をかけられるのは、想定外だった。
そういえば同級生でいらっしゃいました!
……ごめんなさい、わたしはシスコ、シデロア、アリアン、リルリラあたりのことしか考えてなかったです。
「おはようございます」
「おはよう。今日は校長室で特訓じゃないの?」
気軽に挨拶してきたのは王子だ。そういえば同級生以下同文。
「校長先生に、たまにはふつうの学生生活を送るようにとご指示を受けまして」
「それで来たんだ? ふつうの学生生活かぁ……ふつうって、なんだろうね?」
いきなりそんな哲学みたいなこと問われましても。
「まぁ、校長室で特訓を受けるのは、ふつうじゃないですよね」
「たしかにね」
「では、机を並べてともに学べるのですね、今日はルルベル嬢と」
いや……わたしが机を並べたいというか隣に座りたいのはシスコだけど?
「スタダンス様、ルルベル嬢はご友人がたとお過ごしになりたいと思いますわ」
そこで、さりげなくフォローしてくださったのは誰あろう! エーディリア様である……。
すみません、エーディリア様のことも意識になかったです、ほんっとすみません!
「我々も彼女の友人ではないのか……」
スタダンス様は、ちょっとショックを受けられたご様子。
ああ〜、ほんっとぉぉに! すみません! ……すみませんけど、貴重な教室タイムはできればシスコと……。
「そんな風に自分の都合だけでお考えになるのは、スタダンス様の悪い癖ですわ」
わりとピシャッと容赦なく。スタダンス様にさらなるショックを与えたところで、エーディリア様はわたしに目線をくれた――なんとかするから、さっさと行きなさいってことのようだ。
でも、そこで別の邪魔が入った。
「ナヴァトも……久しぶりだな、姿を見るのは」
「はい、殿下。ですが、先般の魔法実技発表会でお会いしております」
そういえば!
さっきから「そういえば」連発してる気がするけど、そういえば! 競技に参加するために、ナヴァト忍者も姿を消してなかったし、王子も参加してたんだもんな。やったことは、八百長の告発だけども……とにかく同じ場所にはいたわけで、当然、お互い姿は見てるはずだ。
「ああ、たしかにそうか。……あのときはルルベル嬢のことしか見ていなかったから」
ロイヤル・スマイルとともに、誤解を招きそうなことおっしゃらんで……。
「なんだかもう遠い昔のことみたいですね」
わたしは世間話を終わらせようとしたんだけど。王子はぐいっと距離を詰めてささやいた。
「ナヴァトが姿をあらわしているということは、特別な事情があるのだろう。なにか手助けできることはあるか?」
なるほど、ナヴァト忍者の前のご主人様だっただけのことはある。なんらかの異常事態だと判断したんだろう。
……おかしい。ちゃんと頭は回るのに、なんでお勉強ができないんだろう?
「いえ、特には」
お忍びで教育実習中のエルフ校長を見えなくするためであって、べつに危険があるとかそういう話じゃない。妙に勘がするどくて困るな……と思っていると。
ナヴァト忍者が、こういった。
「かたじけなくも学生生活を楽しむようにと――聖女様が。姿を消していては誰にも認識されませんので、今日はこのようにしております」
ちょっとぉ! それ、さっきの雑談の内容じゃん!
でもまぁ、ごまかしとしては悪くない。誰にも疑われてなさそうだし。ルルベルなら、いいそう〜! って顔で見られている。王子、スタダンス様、エーディリア様の心がひとつになってるよ。
わたしって、そんな風に思われてるのか……。間違ってるわけでもないのが、なんとなく悔しい。
ま、いいですよ。今の話を信じてるなら、利用させてもらおうじゃないの。
「そういうことです。そうだナヴァト、せっかくなんだし殿下とお話ししてみたら? つまり――」
「――机を並べて、ということか。それも悪くないな。長く仕えてもらったが、あまり会話を持ったこともないし」
王子が乗り気なので、ナヴァト忍者の顔を見る。ナヴァト忍者は少し考えてから、わかりましたとうなずいた。
「教室内でしたら、聖女様もご安全でしょうし」
まぁな。見えないエルフ校長がついてるし、いざとなったらナクンバ様がビーム的なものですべてを滅殺してくれるだろう。そうならないことを祈るばかりでございますが!
「たまの自由を満喫してちょうだい。では、わたしは失礼しますね」
わたしは階段を下りて、シスコたちがいる場所に向かった。
「ルルベル、おはよう」
「おはようルルベル。あなたが教室に姿をあらわすなんて、珍しいことね?」
「おはよう……」
シスコ、アリアン、リルリラ――シデロアが、いない。
「あの……」
「シデロアなら、今日も休みだと思うわ」
問いに先んじて答えられてしまった。答えたのは、アリアンだ。
「なにか事情があるの?」
「さあ」
冷たい。もともとアリアンはクール・ビューティー系だけど、それにしても冷たい!
「喧嘩でもしたの?」
思い浮かんだ言葉をそのまま問いかけて、あっデリカシー不足だコレ……と思ったものの、もう遅い。
アリアンは冷たい眼をわたしに向けた。
「その通りよ」
ストレートな質問には、ストレートな返答。
アリアンだものな、と思う。遠慮がないというか、根はまっすぐというか、そういう子なんだ。
へたにごまかすより、わたしも正面から向き合おう。たぶん、その方がお互いのためだ。
「それはその……やっぱり、例の狼伯爵ってひとのことで?」
「そうなるわね」
なるほど。
アリアンはシデロアとサルなんとかの婚約に批判的だったからなぁ。たぶん、帰りの馬車でもサルなんとかを貶したんだろうな。それこそ遠慮なく。
シデロアもシデロアで、黙っていわれてるタイプじゃない。彼女だってサルなんとか伯爵との婚約に乗り気ではないんだろうけど、親が決めたことに逆らわないのが貴族令嬢というものだ、って決まりを優先してる。それは、ふだんのつきあいの端々から感じ取れるし、アリアンも大筋は同じなんだろう。
自分ではなく親友のことだからこそ――やりきれなさに耐えられなかったんだろうな、と思う。
わたしだって、もしシスコが納得いかない婚約を強いられることになったら……。
「おぅ、生徒ども! 元気にしてたか!」
そのときドアが開いて、ジェレンス先生が入って来た。
おお……やっとトゥリアージェ領の用事から解放されたのかな? ジェレンス先生が滅多に姿をあらわさないという話は、夕食のときに聞いてたから……今日もあの「自習という名の放置プレイ」が得意な代理の先生かと思ってた!
ジェレンス先生は颯爽と教壇に向かうと、手にしていた分厚い本を置き、くるっとこちらを向いた。教室をひと通り見渡す眼差しは、するどい。
「じゃ、ひとりずつ進捗聞くからな。自分の番になるまでは、おとなしく自習してろ……ってルルベル? なんで来てるんだ」
いやほんと、するどいよね……。
「校長先生のご指示で」
「……ふぅん?」
ジェレンス先生の視線がナヴァトの方に動き、なぜか――悪い笑顔になった。
「なるほどな。せっかく教室に来たんだから、おまえとも話をしねぇとな?」
悪い顔でこっち見んな! イケメンが台無しだぞ!
……と思ったのが伝わったわけじゃないだろうけど、ジェレンス先生はまた教室全体に目線を配りつつ。
「……まぁ、順番だ。よーし、端から回ってくぞー」
と、生徒の多くを絶望させる宣言をした。
まず絶望。次いで、端ってどこ? である……おっ、どんどん階段を上っていくぞ……あ〜、最後列近辺を目指してるのか。王子……これ王子狙われてる!
「よう、ローデンス。俺が留守にしてたあいだ、ちゃんと自習してたか?」
「はい先生」
「そりゃよかった。さっそく成果を見せてほしいところだが、教室で自爆されても困るしな。どうせおまえの個人的な指導教官も受け持ってるんだから、実技は後刻ってことにしてやろう」
「はい先生」
一回めと二回めの「はい先生」のニュアンスの落差よ……!
「ナヴァトも、久しぶりだな。おまえ、実技どうするか決まってんのか?」
「いえ、まだです」
「のんびりしてんなぁ。仕事に穴を開けない範囲で、うまく立ち回れよ。俺でも校長でも誰でもいいから、捕まえやすい教師に話を通せ」
「はい」
実技……。実技?
あっそうか、実技試験か! わたしはどうすりゃいいのって当惑したのが、はるか昔のことのように思えるよ……そして今に至るまで、問題はなんも解決してないのである。
えー、どうすんの?




