450 歩く校長室とでも思ってください
ほどなく。心理的に埋まっていたわたしのもとへリートがやって来て、宣言した。ファビウス先輩との打ち合わせが長引いているので、就寝前のお茶の時間も使うことになった。よって、もう寝てヨシ! と。
打ち合わせの内容は知りたいけど、ファビウス先輩とちょっと気まずいのも事実なのでね……。
くれぐれも夜更かしさせないようにとリートに念を押して、わたしは寝ることにした。
……まぁ、そう簡単には寝られなかったけども!
肌触りの良いタオルにくるまれていたナクンバ様が、どうしたのかと声をかけてくるレベルで……寝返りうったり起き上がったり、落ち着かないまま朝が来てしまった。
あ〜なんか昨日は一日が長かったな〜、あんまり寝てないから長くて当然かぁ〜、はははは! ってヤケになって笑いながら起床。朝食をいただいてから、リートとナヴァト忍者を引き連れて校長室へ。
「おはようございます、本日もよろしくお願いします」
「おはようルルベル。今日は、ちょっと勉強のしかたを変えてみましょう」
昨日、見顕しの呪文のパフォーマンスがうまくいかなかった――いや、うまくいったけど、わたしの学習に影響しなかった――せいで、すっかりしょんぼりモードだったエルフ校長。
今朝は一転、なんか元気そうだ。やる気に満ち溢れてるというか?
「逃げたり避けたりなさらないんですね」
「ええ。頑張ってみようと思います、今回は」
決意宣言をするエルフ校長は、いつもと違って凛々しい感じだ。
キリッとした表情を、わたしではなくナヴァト忍者に向ける。
「ナヴァト、今日は僕の姿を隠してもらえますか?」
「はい。そうすると、俺は姿を隠せませんが、問題ないですか?」
「僕は問題ないですね。ルルベルは?」
「もちろん、好きにしていただいてかまいません。リートはどう?」
なんの文句もないけど、狙いがわからんな……と思っていると、リートが難しい顔でエルフ校長に尋ねた。
「姿を隠すということは、校長室から出るわけですか? 教室に行かれるおつもりで?」
「そうです」
リートのお察し能力が高い! すげーなボタンがあったら連打してるわ……。
「少々予定が狂います。今日のところは、おとなしく校長室で呪文の練習をつづけてもらえませんか」
堂々と自分の予定を優先させようとするあたり、さすがリート!
「ちょっとリート、せっかく校長先生がやる気を出してらっしゃるんだから」
「校長室を出るなら、君の警護が優先となる。結果、予定していた行動をとれなくなる」
「予定ってなに?」
「チェリア嬢を煽っているらしい生徒会に探りを入れる」
意外と素直に話してくれたのは、わたしが知っていても問題ないという判断だろう。
生徒会……生徒会?
「生徒会が煽ってるの? ていうか、煽るって、聖女としての優位性とかそういうの?」
「ファビウスとの婚約だ」
そっちかー!
あまり考えたくない話題にわたしが顔をしかめる横で、エルフ校長は顔色も変えずにこうだ。
「安全かどうかでいえば、安全だと思いますよ。僕が付き添うのですから」
あっ……。
なるほどね、姿を消して同行するわけね、エルフ校長が。
……なんのために? ていうか、どこへ?
「我もついておるぞ」
ナクンバ様が手首でぷすんと宣言したけど、リートは無視して話をつづけた。
「ですが、校長室の中の方が万全でしょう」
「僕のことは、歩く校長室とでも思ってください」
校長先生? 人間は……いやエルフも、部屋じゃないんですよ? 部屋だと思えるわけないですよね? って、ツッコミたい……。
「では、俺は護衛をはずれても?」
「ルルベルは、責任をもって僕が守ります」
「わかりました。ナヴァトも聞いたな?」
「はい」
……責任の所在を明確にしてる!
「生徒会の皆さんとも親しくなったの?」
わたしが訊いてみると、リートは悪そうな笑顔になった。
「とりあえず、表面上はな」
「……リートの社交能力、意外とすごいよね」
「目的がはっきりしていれば、達成のために計画を練り、手順を踏むだけだ。……では校長、よろしくお願いします」
副音声で「ルルベルになにかあっても、俺の責任じゃないからな」って聞こえた気がしたよね……。
わたしの身の安全よりも、自分が責任をとらされるかどうかが重要なのだ。リートは今日もリートであった。完。
大股に歩み去ったリートを見送って。さて、とエルフ校長が仕切り直す。
「僕たちも、行きましょうか」
「はい。……どこへでしょう?」
「教室ですよ。今日はルルベルに、ふつうに生活してもらおうと思って」
えっ、教室! 行けるのは嬉しいけど、たまにしか行かないから忘れられてそうっていうか、なんだコイツって思われそうで緊張するぅ!
でも頑張れわたし、シスコがいる! シデロアとアリアン……はどうだろう。今日は戻って来てるのかな。リルリラがいたら、少なくともアリアンへのアタックの結果は聞かせてもらえる……はず。
「わかりました。それって、呪文の特訓のつづきですか?」
「そうですね……ルルベルが生徒として至らないというよりは、僕が教師として能力不足であるがゆえの、今日の実習です」
「実習?」
「教育実習です。生徒がなにを考え、なにを望んでいるのか。ほかの教師は、なにをどう教えているのか。そういったことを、実地に学んでいきます。ですので、ルルベルはなにも特別なことをする必要はありません。学生生活を楽しんでください」
ナヴァトもですよ、とエルフ校長は言葉を添えて、ナヴァト忍者から真面目な「はい」を引き出していた。
なるほど……エルフ校長は教師らしくないっていうか……独自路線であり例外カテゴリに存在してる感じはあるから、人間の教育について考え直したい……ってことなのかな。
「お言葉に甘えて、学生生活を楽しみつつ、学業を進めたいと思います」
「その意気です。ではナヴァト、僕を消してもらえますか。ここから、はじめましょう」
そういうわけで、わたしは見えないエルフ校長と見えてるナヴァト忍者を従え、教室へ向かった。
校長室からだと遠い……見えないエルフ校長と会話をするわけにもいかないし、ナクンバ様もアウトだろう。となると、無言を通すかナヴァト忍者と会話するかの二択なんだけど。
ナヴァト忍者、たまに尊みが人類突破することを知ってしまったわたしとしては、無言の方が気楽なのでは? と思わなくもないが、なんか気詰まりなので。
「わたし教室行くの久しぶり。ナヴァトはどう? あー……えっとその、姿を見せた状態で、ってことだけど」
「そうですね。かなり久しぶりではないかと」
「一回も姿を見せてない、ってことはないよね?」
「はい。聖女様のお供としては、姿を隠さずに入室したことがあります」
そうなんだ。……そうだよな? なんか見えてたことあった気がする。
「それは、なにか理由があったの?」
「隊長のご指示です」
「リートはどういう意図だったのかな?」
「わかりません」
……そう、上官から指示されたら反論はおろか真意をたしかめることさえなく従うのが、ナヴァト忍者である。
「うーん……ナヴァトにも友人をつくってほしい……みたいなことは、考えなさそうだしなぁ」
「聖女様でしたら、そういう理由でお命じになりそうですね」
もちろんナヴァトだって、なにも考えても感じてもいないわけではない。
命令なら無条件で即座に実行する、ってだけのことで、たぶん軍人として叩き込まれているのだろう。騎士団出身、すごいな。
「護衛としての都合があるだろうから、無理にそうしろとはいわないけど……でも、ナヴァトにも自分の人生を楽しんでほしいな、とは思ってるよ」
「俺は楽しんでいますよ。むしろ、聖女様にこそ楽しんでいただきたいですね」
「わたし? わたしだって、楽しんでるよ。下町暮らしじゃ体験できなかったようなこと、たくさん出会ったし。今こうしてナヴァトと話してるのだってそうだし、校長先生の特訓受けたりするのも、前なら考えられなかったようなことだし」
「ですが、肩書きが重いでしょう」
「……聖女の、ってこと?」
はい、とうなずいて。ナヴァト忍者は、犬っぽい――今日は笑顔ではないけど、なんかもうほんと、犬っぽい――純粋で真面目な表情でこうつづけた。
「聖女としてのお立場も、たまにはお忘れになってかまわないと思います。聖女様……いえ、ルルベル様として、十全に生きていただきたい。俺は、いつもそう思っています」
……くっ! 尊いッ!
またしても深い穴に陥る心境――聖女ルルベル、ふたたびの享年十六歳!




