437 なんだその隙のないクソゲー!
今日はどのみち、もう仕事にならないから……と、ファビウス先輩がいって。
このへん、なんとなく前より正直になったというか、ごまかさなくなったかな? って思う。
はじめの頃だったら、仕事なんてワードを持ち出さず、君ともっと話したいからみたいな進めかたをしたよね。ファビウス先輩ってさ。
そういうのもいいけど、今の率直な感じ、もっとイイ……つまり、す……ですよ。うん。
「ご迷惑ばかり、おかけして……心苦しいです」
食後のお茶から、もう中庭である。親衛隊の見張りは交代制で、今はリートが廊下を散歩している。さっき魔力玉を渡したので、なにか練習しているのかも。リートってほんと、魔力玉が好きよね。
「それはいいんだ。でも、今日は心配したよ。腕輪の位置情報が急に変化したから」
あ。……あー! そりゃそうか。
校内からいきなりトゥリアージェ領だもんな。びっくりするよね。
「すみません、ご連絡する暇がなくて」
「行き先が行き先だったから、どうせジェレンス先生だろうと自分を納得させるのに忙しくて……なにも手につかなかったよ」
御明察。どうせジェレンス先生でした!
「……ほんとに、すみません」
「君が無事だったから、それはもういいんだけど……やはり改善の必要があると思ってね。君が戻って来るまで、そのへんの設計をしてたんだ。ただ、どうしても君の個人的な領域に踏み込むものでもあるから」
ここで、言葉を切って。ファビウス先輩は、視線を下に落とした――何回でも思うけど、睫毛なっが!
その睫毛が上がり、カラー・チェンジする眸がわたしをみつめた。今は、かなり暗めの青紫だ。日没後の空みたい。
「だから、ちゃんと君の許可をとりたいと思って」
「はい、どうぞ」
思わず返事をすると、ファビウス先輩の口角が上がった。
「駄目だよ。内容を確認する前に肯定したら」
「ファビウス様を、信じてますから。……それでも、事前に相談してくださるのは嬉しいです」
「うん」
「その……わたしの考えを尊重してくださるの、とてもありがたいというか」
「そうだね。そうすべきだと……そうしたいと思ったんだ」
これも変化だ。ちょっと前のファビウス先輩なら、わたしに説明しなかったと思う。実際、いつのまにかストーキング呪符を仕込まれてたりとか……いろいろあったなぁ。
そりゃね? そりゃ、わたしは知ってると顔に出ちゃうとか、意識して挙動がおかしくなるとか、そういう問題はあると思うんだ。
でも、やっぱり。教えておいてほしい。
わたしにだって自分の考えがある。そこを尊重してもらえるかどうかって、重要だと思うんだ。すごく。
「ありがとうございます、ファビウス様」
「放っておくと、僕はいくらでも増長するよ? 不満があったら、ちゃんと厳しくいってね」
「不満なんて。むしろ、ファビウス様みたいなかたに、こんなに親身になっていただくことの方が……畏れ多いっていうか……」
「そのへんの認識から変えていこうね」
にっこり笑って、ファビウス先輩はわたしの手にふれた。わたしの右手に、ファビウス先輩の左手がかさなる――そのまま、指と指がからめられる……ひぃぃ……! か……顔が熱い、熱い熱い熱い!
わたしたちはカウチ・ソファに並んで座っている。だからその……距離が近い。
俯くと、からんだ指がどうしても視界に入ってしまって。ますます顔が熱くなった。
「社会的地位でいえば、聖女は王族とそう変わらない」
「……はい?」
「僕がいったように、くり返してみて。社会的地位でいえば、聖女は王族とそう変わらない」
……顔を熱くしてる場合じゃなかったようだ。
いわれた通り、口にしてみる。
「社会的地位でいえば、聖女は王族とそう変わらない」
「君はまず、これを心に叩き込む必要があると思う」
「叩き込む……ですか」
ぎゅっ、と。からんだ指に、力が入った。
「そう。もう一回、いってみて」
「……社会的地位でいえば、聖女は王族とそう変わらない」
「君も実感しているだろうけど、現状、この原則は建前でしかない。王族は君に服従を求めるだろうし、君だって王族に反抗するのは無理だと思うだろう?」
「はい」
「だけど、この先について考えよう。魔王が復活すれば、聖女の重要性は増す。そのとき、自分の意見をいえなかったら? 諾々《だくだく》と従うしかなかったら? ……僕は君の考えかたが好きだ。どこにでも平和の道を見出そうとする、心根のやさしさが好きだ。なんでもまず信じようとしてくれる、そういうところが好きなんだ」
……たとえ顔を熱くしている場合ではないとわかっていても! 熱く! なっちゃうんですけども!
わたしも、指に力を入れ返すけど――まぁ、俯いちゃうよね。
無理無理! この状況でファビウス先輩と顔を合わせるの、ぜっっったいに! 無理!
「君の考えを押し通すためには、立場が必要になる」
「……王族とそう変わらない、社会的地位?」
「うん。必要になってから急に求めるんじゃ、間に合わない。君がどんなに強くても、魔王の眷属に対して絶対的な力をふるえるとしても、利用されてしまう。そうならないよう、周りに知らしめておく必要があるんだ。君にも君の考えがあることを、そしてそれを押し通す権利があることをね」
急に権力を握って、すぐさま偉そうに命令できる人間もいるだろうけど……と、ファビウス先輩はつぶやいて。
「だけど、君はそういうひとじゃないから。皆の要望に応えようとしてしまうだろう。周りの認識はもちろんだけど、君自身の意識の持ちようも変えていく必要がある。少なくとも、僕はそう考えてるんだ。……ルルベル、君はどう?」
問われて、わたしは顔を上げた。まだ顔は赤いだろうけど、俯いて答えるような内容じゃないと思ったから。
「ファビウス様は正しいです。先々を考えれば、わたしの意識も変えていくべきです。ただ……難しいとは思いますけど」
「うん。変わるのは難しいだろうし、少し怖いんじゃない?」
「そうですね。できるかどうか……いえ、できなきゃいけないんでしょうけど、自信がないです」
この染み付いた平民根性を、克服しないと。
「今だって、実は強いと思うけどね」
「え?」
ファビウス先輩は、少し悪戯っぽい笑みを見せた。
「だって君、ウフィネージュ殿下に反抗できるんだから」
ああーっ! 前科を掘り出されてしまったーっ!
「それ……は、その……。流れで、というか」
「流れでもなんでも、反発できるのは大きいよ。身分や力の差を理解していても、自分の意は通すって思えるんだ。それはもう、できていると考えていい。根本的な部分では、もう大丈夫なんだ――」
ファビウス先輩は笑顔をおさめ、真剣な表情で言葉をつづけた。
「――君の場合、一対一の場面でなら強く出られる傾向があると思う。ただ、集団を意識すると難しくなるんじゃないかな。どうしても、身分のことが気になるだろう? だけど、それじゃ駄目だ。支配される側であるという意識は薄めていかないと。早急にね。」
「はい」
うん。たしかにそうだ。
社会的な身分を意識することもそうだけど、瞬間的には反発できても、時間があると身のほどを考えちゃって、強く出られないような気がする。
「そこで、この宝石が使えるんじゃないかと思うんだ」
宝石……って、下賜されたアレだよね?
アレは今、テーブルの上に載っている。手触りのいいハンドタオルの上に置かれているのは、箱もなにも付属してなかったからである。
「どう使えるんでしょう?」
「本来、下賜されたものを砕くのはあまり感心しないとされる――それはわかる?」
「そうなんだろうな、とは思ってました」
「でも、今回はあちらが指示したんだよね? 砕いて装飾品にするように、って」
「はい」
ファビウス先輩によれば。考えられる、嫌な感じの展開はこう。
・砕かない、装身具にしない→命令をきかないことを取り沙汰できる
・砕かない、装身具にした→命令を(一部)きかない、装身具がダサくなって笑いもの
・砕く、装身具にしない→よほどの理由がない限り、論外の対応
・砕く、装身具にする→下賜品を砕いたものを身につけ(見せびらかし)、最悪の評判が立つ
……なんだその隙のないクソゲー!
「でもこれって、あくまで王族の方が聖女より偉いという力関係に根ざしたものなんだよね。ちょうどいいから、そこに楔を打とうと思うんだ」
ええぇ……。いや、変わってかなきゃいけないのは理解してるけど! 宝石の扱いで、煽り返そうってことだよね?
大丈夫なのか、それ。できるのか、わたし!




