41 あんたのものさしで他人を評価して馬鹿にするな
結論からいうと、シスコは誘えなかった。わたしが教室に着いたときには姿がなかったのだ。
リートがいうには、どうせ午後も自習だしレポートくらい家でも書けるから果物の手配をしてきます、えっリートさんもほしいですか、ついでに手配しますね、待っててくださいね――と、前のめりに帰宅してしまったそうだ。
高価らしいシュガの実を大丈夫なの……と案じたところ、大層な資産家らしい。リート調べによる。シュガの実くらい、そのへんに生えてる雑草と同じ感覚だろうねと性悪笑顔で語るので、足を踏んでやった。おまえ、用意してもらってそれはないだろう。……ま、避けられたんだけども。さすがリート。
「そうなの。残念ね。でもシュガの実は、ほんとに効果あるから。手配してもらえて、よかったわね」
職員専用のバルコニー席は、素晴らしい眺望だった。学園裏の木立は、森……と呼ぶには少し狭いけど、けっこうな面積がある。その向こうは小高い丘になっていて、王室の皆さんが避暑に使われるという夏の離宮が建っている。丘の向こうは川で、そちらから涼しい風が吹くのだそうだ。……とはいえこのへん、暑いより寒いの方が厳しい気候だから、避暑って必要? って感じではあるけども。
まぁその森、丘、離宮……の眺めが楽しめるわけだ。一階の大食堂では、こうはいかない。
「昨日、たぶん昼に飲んでるんですよね。その果汁」
「そうなの?」
「ジェレンス先生と外出してたんですけど、買ってきてくださったのが、半割りにした果物にストローさしたやつで……」
あぁ〜、とウィブル先生は目をくるっと回した。このひとがやると、すっごい可愛いよな。魔性先輩なら間違いなく「可愛い」ってうっとりした顔で見るやつだ。わたしはやらない。
「それは間違いなくシュガの実でしょうね」
「幸運だな、君は」
このセリフを吐いたのはリートである。
幸運なわたしの護衛を担当できて、君も幸運じゃないのかね? シスコがシュガの実を融通してくれるし、こうして職員専用バルコニーで食事もできるんだし、どうなのかね? んんー? って上から目線でいってやりたいが、あいにくリートの方が背が高い。座高はそんなに変わらない。むかつく。
そう、リートは「ウィブル先生の奢りに違いない」と察して、ついて来たのである。名目上は、君の護衛としてとかいってたけどね……絶対違うだろ! わかるんだからな!
「事前に飲用してても、相当きつかった? 魔力切れの倦怠感」
「はい」
「今まで、魔力を使い切ったことはなかったのよね?」
「そう思います。魔法の使いかたとか、なにも知らなかったですし」
「じゃ、今日は魔力切れまでやらない方がいいかも」
「そうなんですか?」
「魔法を使うのはつらいこと、って身体に覚えさせちゃうと、よくないのよ」
ウィブル先生はお上品にパンをちぎりながら答えた。
「魔力切れで、そこまで影響ありますか」
この質問はリート。飲むように食べてるくせに、まともに発話できるくらい口の中がすぐ空になるの、なんらかの魔法を使ってるんじゃないの? ねぇ……えっ、ひょっとしてほんとにそうなのかな。だってこいつ、生属性だしな? 身体強化で高速咀嚼とか……いやまさかそんな……。
「あんたは問題ないと思うの?」
「精神的によほど虚弱でもない限り、魔力切れが連続した程度で気もちが萎えることはないでしょう」
ウィブル先生はちぎったパンを丁寧に食べてから、こう答えた。
「総魔力量が少ないほど、魔力切れで覚える倦怠感も軽いことは教えたはずだけど、忘れちゃったのかしら。もちろん逆も真。つまり、魔力量が多いと、魔力切れで覚える倦怠感は相当なものよ。だからリート、あんたが体感してる魔力切れって、一般の魔法使いのイメージするそれとは全然違うものなのよ」
「そうですか」
「あたしがいいたいこと、わかる?」
一瞬、考える風にリートは動きをとめたけど、穿った見かたをすれば、直前に口に入れた肉を飲み込む時間だったのかもしれない。
「俺の体感は個人的な体験に過ぎず、あてにならないということですか?」
「あんたのものさしで他人を評価して馬鹿にするな、ということよ」
リートは不満そうな顔をしたが、反論はしなかった。
ウィブル先生は、そのまま指導をつづけた。
「本人がやる気であっても、身体が感じる不調で勝手に行動に制限がかかることもあるの。それはもう、実証されてるの。あんたはそこまで把握してる? 理解できてる? ねぇ、ひとを怠惰だとかやる気がないとか、さげすむのは気分がいいだろうけど、あんた個人の気分がいい以外になにか利点がある? ないわよね? 客観的に正当な評価をすることを忘れるようなら、あんたは魔法使いとして三流止まりで終わるわよ。残念ね、素晴らしい素質があるのに」
ぴしゃりといったウィブル先生は、過去最高にかっこよかった。わたしの中で、ウィブル先生のイケメン力が最高峰に達した瞬間である。
感動のあまり完全にぽかん顔になっているわたしに視線を向けて、だからね、とウィブル先生は話をつづけた。
「無理をすればいい、我慢すればいい……ってものじゃないのよ、訓練って。もちろん、ある程度は負荷をかけていかないと、なにも伸びないわ。でも、どんなに強い心だって負荷をかけ過ぎれば折れてしまう。ルルベルちゃんは、だから、自分の頑張りがたりないなんて思わないようにしてね? 少しでもそう感じたら、いつでも保健室に来て。あたしに話をしてちょうだい」
「……はい」
「ひとりでこの学園に来て、知り合いも誰もいない、まわりは上流階級ばっかり……。そんなところで学ぼうとしてるだけでも、あなたは頑張ってるの。自分を褒めてあげて。それが無理なら、あたしが褒めてあげるから。遠慮しないで来なさいね」
こんなん惚れてまうやろ! と思ったが、羽毛ストールがわたしを正気に戻してくれた。ありがとう、羽毛ストール。
そこからは、まぁ特に問題もなく食事は進んだ。ウィブル先生とわたしはキャッキャと楽しく会話をはずませ、リートは飲むように肉を食べていた。あんだけいわれても、なにも堪えた風ではなく、さすが心臓が鉄……。肝臓も鉄なのでは?
午後からは昨日と同じ特訓なのだが、特別研修室の場所がわからない――食堂へ行くのは匂いでなんとかなったのだ――と訴えたところ、リートが送ってくれることになった。
ウィブル先生は、あまり長時間は保健室を空けられないそうだ。そりゃそうだよね。頑張り過ぎないでね、と念を押して去って行った。
「リート、いいなぁ」
「……なんだ、いきなり」
「ウィブル先生みたいな師匠がいて、いいなと思った」
リートは思いきり顔をしかめた。
「答えづらいことを、いうな」
「じゃあ答えなくてもいいけどさ。同じ属性の師匠がいるってだけでも、うらやましい」
無言。うん、君はそういうタイプだ、知ってる!
……と思っていたのに、不意にリートが口をひらいた。
「師匠なんて、いない方がいいぞ。好きにできて」
「そう? 誰も参考にできないのって、不安じゃない?」
「先行例がある。すでに証明がなされている。確認は終わっている――そういう世界は、狭苦しい」
そうつぶやいたリートの声が、思いのほか切羽詰まった感じで。わたしは、ちょっとびっくりした。鉄の心臓の持ち主であるリートが、そんな風に考えてるなんて。予想外もいいところである。
「リートはそういうの、気にしないと思ってた」
思ったことがつい口から出る方なので、そのまま感想を述べてしまったけど。
魔力の総量が少ないリートが、どれだけ無理をしているかなんて、ちょっと考えればわかることだ。たぶん、リートはいつも必死なのだ。突破口を探して、足掻きつづけてるんだ。なにかをやろうとしたときに、それは不可能だ、前例がある、証明済みだといわれたら――そりゃ不愉快ではあろうなと思う。
はじめて魔力を使いきりました〜、なんてぬかしてる新人が、名だたる天才たちの指導を受けてるのだって、癪に障るだろうな。わたしとしては、交代してあげたいくらいだけどさ。
だからって、他人が自分と同じにできなきゃ馬鹿にしていい……ってことには、ならんがな!
「そういうのって、どういうのだ」
「つまりさ。先行例があっても、やってみたければやる? とか。証明されてることでも、自分でやってみないとスッキリしない、とか? あとはそうだな、確認したって誰が? 俺じゃないだろ? 信じられるもんか……みたいな感じだね!」
リートはわたしの顔を見て、は、と半端に笑った。
「なんだそれ」
「わたしから見たリート。弟じゃない方の」
「無駄口たたくのは自由だが、道、覚えろよ? ここと次の角は似たような構造だが、ここは曲がるな。曲がるのは次だ」
目印……目印をくれ! 似たような構造、って目印にならないから!




