406 ナクンバ様には髪は必要ないです
昼食の席にあらわれたナヴァト忍者は、とても疲れた表情だった。
レアである。いつも超然としてるというか、疲れてもそれを態度に出さないタイプっぽいし。
……なのでつまり、ナクンバ様がよほどアレだったのである。
「ナヴァト、愚痴があるならいくらでも話して?」
責任を感じるのは当然のことだ。ナクンバ様とのお出かけにゴー・サインを出したのは、わたしだもん。
あと、なにがあったか知りたいよね。ことによってはアフター・フォローの必要があるかもしれない。それにまぁ……純粋な好奇心も、もちろんあるよ。
「いえ……」
「林の中を散策しただけだ」
ナクンバ様は、つねに偉そうだ。そういう意味ではリートっぽいが、ぜんぜん似てる気しないな。
なお、今のところ姿は見えないままである。
「火を吹いてないでしょうね?」
気が気ではないという声で割り込んだのは、エルフ校長。
この学園の土地は、エルフ校長が大親友であったらしき初代国王陛下から賜ったもので、当然、ものすごい執着がある。長年苦楽を共にしてきた木々など、いうまでもなく特別扱いだろう。人間より寿命長いしな!
「燃やしてはおらんぞ」
……火は吹いたって意味だな。
「大丈夫です、燃えてはいません」
ナヴァト忍者の追認により、有罪であることは明白。
「ナクンバ様? 火は駄目ですって申し上げましたよね?」
「火事にはなっていない」
「……着火するところまでは、いっちゃったんですか」
ナクンバ様は答えてくれなかったので、わたしはナヴァト忍者を見た。
疲れた表情のナヴァト忍者は、正直に白状した。
「はい」
「ナクンバ様!」
思わず大声をあげてから、わたしはハッとした。職員専用席とはいえ、食堂の一部ではあるのだ。
「大丈夫よ、ルルベルちゃん。いくらでも怒鳴って平気」
すかさずウィブル先生が教えてくれた。安心と安全のウィブル遮音。
「ありがとうございます……うっかりしました」
「うんうん。わかるわ。ナヴァトも気を抜いていいわよ。ずっと力を使ってたら疲れちゃうでしょ。昼食のあいだは、アタシが肩代わりしてあげるわ」
安心と安全のウィブル生属性魔法。
……いや怖いだろ、ナクンバ様の見えかたをどうにかするナヴァト忍者の魔法と違って、ウィブル先生のは見聞きする側の感覚をいじってるわけで……けっこうな範囲且つ大人数の認識阻害魔法だよ?
こわ。
「ウィブル先生は、すごいですねぇ……」
「どうしたの、急に」
「なぜ髪が紫なのだ?」
質問したのはナクンバ様。ウィブル先生は、ふふっ、といつもの羽毛ストールに顎を埋めて答えた。
「美しいからよ」
「とてもお似合いだと思います」
「ありがと、ルルベルちゃん。まぁこれも、昔の実験の成果なんだけど」
「実験? 生属性魔法のですか?」
「そう。髪にも血を巡らせることは可能なのかっていう」
……なにやってんの、このひと。
ウィブル先生は……ウィブル先生だけは、学園の良識だと思っていたのに!
わたしは引いたが、ナクンバ様は乗ってきた。
「可能だったのか?」
「あら、興味を持ってくださった? やってさしあげてもいいけど、竜には髪がないものねぇ……。生やすところから、かしら?」
なにいってんの、このひと!
「やめてください先生」
「やだルルベルちゃんったら。そんな真顔で」
真顔になるほど、やめてほしいからです!
「髪は、生やすとしたらどこに生やすべきなのだ?」
「頭でしょう? 頭以外の場所に生えている体毛は、髪とは呼ばないもの」
「なるほど、そういうものか」
「ナクンバ様、わたし思うんですけど、ナクンバ様には髪は必要ないです」
「しかし、人間は皆、髪が生えておるではないか」
「生えてない場合もあります……いやそんなのはどうでもよくて、ナクンバ様は今の竜としてのかたちが最高ですから! もう完成されていて、完璧ですから!」
空中から、プフン! という音がしたい。たぶん鼻息だろう。
「当然だろう。我は完璧だ」
「はい、素晴らしいです。ただ……」
「ただ?」
「必要もないのに火を吹くのは、いかがなものかと」
上げられて得意になったところで下げられてしまったナクンバ様は、ふたたび、プスンと音を出した。今度は、ちょっと湿り気がある感じだ。つまり、しょんぼりである。
「我は悪くない」
「次からは、もっと気をつけてくださいね? 学園で火事が起きたりしたら、わたし、とても困るので」
「よくわかった」
たぶんわかってないと思うが、あまり詰めても逆効果だろう。
わたしがうなずくのを待っていたかのように、ウィブル先生が尋ねた。
「ところで、今日はリートは?」
「あー……なんか、例の魔法実技発表会の詳細情報を手に入れるために、探りに行きました」
「あれねぇ……」
「先生は、なにかご存じですか?」
「なんにも。的抜きでしょ? 遊びとしては知ってるわ」
「あ、やっぱりあるんですか……そういう遊び」
「最近は、あまり流行じゃないけど。アタシが学生だった頃は、学生主催の競技会とかあったわよ」
ウィブル先生は、ちょっと遠い目をした――学生時代のことを思いだしているのだろう。できればナクンバ様に髪の毛を生やしたり血を通したりする案については、このまま忘れてほしい。
「楽しそうですね」
「そうでもなかったわ。いじめに使ったりする不心得者もいたし」
「いじめ……」
「あきらかに無理な子を、選手として出場させるわけ。さあやってみろ! っていわれても、魔法の属性には向き不向きってものがあるじゃない?」
「それは、たしかに」
「アタシもいじめられる側だったしねぇ」
……は?
「ウィブル先生が?」
「ウィブルは当初、自分の実力を隠していたのですよ」
エルフ校長が解説してくれたけど……いやでもなんで?
「どうして、そんなことを?」
「目立ちたくなかったの。お貴族様が多くて、平民は少なかったし。今も同じでしょ?」
「それは……まぁ」
「ルルベルちゃんは偉いと思うわ。そんな環境でも、すくすくと成長してて」
「いえ、だって……わたしは聖属性だから、特別扱いをされているだけですよ」
「ウィブルも本性をあらわしてからは強かったんですよ」
……本性。
「あらやだ校長、やめてください、恥ずかしいわ」
「いつ、誰に、どういじめられていたかを、しっかり記録していたのですよ、ウィブルは。そしてそれを『復讐するリスト』として公開したのです。なかなか衝撃的でしたよ」
こわ!
「え、そんなことしたら、よけいに被害が増えたりは……」
「しなかったわよ。だって実力を隠すの、やめたし。アタシがその気になれば、そうねぇ……骨をすごぉく脆くして骨折しやすくするとか、ちょっとした切り傷なのに血が止まらないとか……」
「えっ、冗談……ですよね?」
ウィブル先生は、ふふっと笑った。いつものように、妖しく。
「冗談で済むあいだに、二度と近づくなって話をつけたから……まぁ、冗談ね?」
「……冗談で済んでよかったです」
生属性こわ! こわ!
「実際にやってたら、退学処分も視野に入れなきゃいけないでしょ。こっちをいじめてくるクソ――おっと失礼、まぁ美しくない存在に足を引っ張られて、人生を棒に振るのは馬鹿らしいもの。だから、実演会で『その気になれば、なにができるか』をしっかり披露して差し上げたの」
「それで済んだんですか……」
「ええ。ジェレンスに後ろ盾になってもらったしね」
なんでここでジェレンス先生? 貴族だからなんだろうけど……。
いや待って。学生時代の凶暴そうなウィブル先生と、昔から変わってなさそうな俺様ジェレンス先生を組ませるのって、最悪では?
「それで雑魚とは縁が切れたんだけど、代わりにジェレンスとの腐れ縁がつづいてるのよねぇ、今も。どっちがよかったのかって真剣に考えることがあるわ。あいつ、面倒なことがあると説明なしで丸投げしてくるから。平民に社交投げんな! って話よ」
「あ、わかります」
王子が来るっていうのに置き去りにされた経験を踏まえ、わたしは深くうなずいた。
以降、我々はジェレンス先生がいかに自由かという話で盛り上がったのである。




