404 力を得た者こそ、弱者の知を失うべからず
「はぁ〜……」
ため息をついたのは、今がそれに適切なタイミングだからだ。
校長室に入ってからでは、エルフ校長に心配されてしまう。心配されるだけならともかく、やはりエルフの里へ行きましょうってなりかねないから困る。
「今日は、ナヴァトだけ残して俺は偵察に行く」
ため息はガン無視されたが、まぁリートだし……って、偵察?
「なんの偵察?」
「例のぶっ飛ばし大会だ」
なんか物騒な名前になってる!
「魔法実技発表会ね……。でも偵察って、なにを?」
「当日になって、細則が発表されると睨んでいる。つまり、俺たちには対策のための予備期間が与えられない」
「俺たちっていうか、全員ね」
「第二の聖女を含む三人組だけは違うだろう。かれらは知らされているはずだ」
「……そうかもだけど、決めつけるのはまずいんじゃない?」
「王女殿下がそういうことをしないはずがない。よって、偵察対象は第二の聖女だ」
「はぁ?」
「王女周辺は警護が固い。付け入る隙が皆無ではないにせよ、咎められて出場停止にでも追い込まれたら困る。その点、第二の聖女の方は観察しやすい。誰にも囲まれていないからな」
いっそ出場停止にしてくれ……そしたら伯爵令嬢たちも納得してくれるんじゃない? 無理?
「誰にも囲まれてないってことも、ないんじゃないの?」
「遠くから観察している者はいそうだな」
まぁ……わからんでもない、と思っちゃうのが申しわけないが。わからんでもない……。
「チェリア嬢に探りを入れるだけでも、出場停止にされたりするんじゃない?」
「可能性としては、すべてを考えておくべきだろうな。俺が出場停止になったら、ファビウスを無理やりねじ込めばいい」
「いや無理でしょ! ファビウス様は学生じゃないし」
「喜んで根回しすると思うが……。わかった、代理については考えておこう」
「出場停止になる前提で偵察に行くのって、どうなの!」
「危機管理上、当然のことだ」
危機管理っていえば、すべて通ると思うなよー!
……しかし、リートは去ってしまった。ナヴァト忍者とふたり、校長室の前でリートを見送る――すごいスピードで消えたから、たぶん魔法で身体強化してるな……。
「やる気に満ちてるね、リート」
「そうですね」
「ナヴァトはどう? こんな面倒なことに巻き込んじゃって、ごめんね」
「いえ。……こう申し上げるとご迷惑かもしれませんが、俺としても、聖女様があんなのに負かされるのは不本意です」
おぅ……。ここにもおったわ、勝利こそ正義派が。
「そっか。まぁ……わたしもべつに負けたいわけじゃないんだけど」
「勝ちたくもない、ですか?」
勝ったら気もちいいかもだけど、同時に、気もちよくないかもって想いも……あるんだよなぁ。
「誰かが勝つってことは、ほかは負けるってことだもの。自分が負けるのは気分よくないよ。それは知ってる。ってことはだよ、自分が勝つと、負かした誰かは気分が悪くなる、それがわかってて勝ちに行っていいのかなって迷いがね……」
「さすが聖女様ですね」
ナヴァト忍者は感心した風だ。こんな風に考えたこと、なかったんだろうなぁ。
「ううん、さすがって話じゃないよ。甘いってことなんだよね……たぶん」
勝ち負けが切実な状況で生きてきてないんだな、って。最近、なんとなくわかってきた。
生きるか死ぬかに直結しそうな勝負ってものが、認識できてなかったわけ。のんびりした人生を送ってきたからね、パン屋時代は。貧乏ではあっても、食うや食わずレベルじゃなかったから……わたしの根幹をなすのは、そういう幸運な平民の感覚なんだ。前世の影響も大いにある。
でも、今は違う。それこそ危機意識が必要な状況なんだよね。聖女として負けると、みっともないとか恥ずかしいとか、そういう問題に留まらない可能性もあるから。
聖女の称号を剥奪されても、まぁいいんだけど……シェリリア殿下がどうお考えになると思いまして、皆様? って気分だよ。吸血鬼退治やその後の噂の流布に助力してくださったノーランディア侯爵家とか、忠誠を誓ってくださったシュルージュ様とか、そのへんの信頼や期待も裏切ることになるわけで。
「なんの話です?」
気がつくと校長室のドアが開いて、エルフ校長が顔を覗かせていた。
あー……なかなか入って来ないから気になっちゃったんだな! しまった。
「すみません、遅くなりました」
「いえ、遅くはなってないですよ。それで、なにが甘いんですか?」
エルフ校長は話題逸らしに強そう……気が散っても忘れないからな!
しかたなく、わたしはそれ以上の抵抗を諦め、ざっと話の流れを説明した。
「その催し自体を、中止に追い込みましょうか」
「いや、そこまで気にしてるわけじゃないんですよ、ちょっと口走ってみただけで」
これはウフィネージュ様プッシュの案件。それをエルフ校長がとりやめさせると、どうなるか?
ただでさえ険悪な王室とエルフ校長の関係が、終わってしまいかねないのだ。今までは、険悪といってもエルフ校長が一方的に嫌ってる感じだったけど、このままだと双方ともに険悪ぅ! になるじゃん。
「ですが、あまりに傲慢です」
「傲慢?」
「王太女は、学園の真の支配者が誰かを忘れているのではありませんか」
ほら剣呑! 剣呑!
「我が焼き払ってもよいぞ」
校長室に入ったからって擬態をといたナクンバ様、そういうとこだけエルフ校長に同調しなくていいんだーッ!
「炎は控えていただきたいですね」
エルフ校長が、ようやくナクンバ様に直接話しかけた! ナクンバ様のターン!
「ふんっ」
鼻息で返事しないでー!
「あの、おだやかに……おだやかにお願いします」
わたしは平和な人生を送ってきたのだ……敢えてリピートするが、ほんとに! ちょっと前までは、のんきなものだったわけよ。悩みといえば、粘着質な客くらいだったし。
……あのお客、元気かなぁ。べつに元気じゃなくても、なんにも困らんけども。
「ルルベルの願いは、いつも面倒なものだな」
「え」
「ほどほどを望むのは、難しい。だから、面倒だといっている」
「そりゃ……ナクンバ様ほどのお力がおありなら、なんでも燃やしてしまうのが簡単でしょうけど」
ビーム的なやつでな!
「そうだ」
「でも、燃やしたものはもう戻って来ませんよ。灰から、燃やす前のものに戻せますか? できないですよね。わたしにはできません……だから、燃やさない方法を考えないと」
「なるほどな」
「あ! もちろん、わたしはナクンバ様と違って、なんでも燃やすこともできないので……必然として、燃やさない方法を考える必要があるんです。たぶん、それだけです」
エルフ校長が三階の住人なのは、長命のエルフだからだ。ジェレンス先生が雑なのは、当代一だから。ナクンバ様がなんでも燃やしたがるのも、なんでも燃やせちゃうからだ。
皆、ものすごい力があるから――だから、そうなる。
わたしには、そんな力はない。なくてよかったのかもしれない。
「弱者の知ですね」
そうつぶやいたのは、今のところ校長室に入ることを許されている――呪文の特訓がはじまる前に、追い出されるだろう――ナヴァト忍者だ。
「弱者の知?」
「騎士団の憲章にあります――おのれを鍛え、力を得た者こそ、弱者の知を失うべからず」
朗々と唱えられちゃったよ。イケボなのでこう……無駄にかっこいい。
騎士団憲章って、そんなのあるんだなぁ。
「それは、力にたよるなって意味なんですか?」
「そう解釈していいと思います。騎士団に入れば、皆が切磋琢磨して強さを極めんとするわけですが、その結果、力なき者の考えを失いがちだといわれています。実際……今、聖女様のお言葉を聞いて確信しました。そういうことはあるのだ、と」
わたしの言葉を聞かなくても理解してほしいが、まぁいいか。
どっちかというと、エルフ校長やナクンバ様にわかってほしいけど……どうかな? エルフ校長は、なんとなくわかってくれそうだけど……ナクンバ様は?
「不便だな、弱いということは」
「そうですよ。灰にしたものを元に戻せない程度に弱いのだって、すごく不便だと思います」
天然をよそおって意見してみると、ナクンバ様はまた、ぷすんと鼻を鳴らした。
不本意だという意味だろうが、わたしは間違ってないもん。「とりあえずビーム」なんて野蛮で短絡的な解決法、真の強者の選択じゃないからね、絶対!




