393 パトラ卿はそこまで馬鹿ってことですね?
「ヒルディガー卿の方は、そこまで馬鹿でもありません」
シュルージュ様……それはつまり、パトラ卿はそこまで馬鹿ってことですね?
「協力できそうな感じなんですか?」
「あの男は、自分の発言力を強めることが目的ですから。聖女様やナクンバ様を取り込むといった、短絡的な要求はしませんよ。なにも自分のものにせずとも、いつでも利用できればそれでよいわけです。より正確には、すごい味方を呼べるという雰囲気さえ醸し出せれば、といったところでしょう。実際に呼べるかどうかは問題ではないのです」
「はぁ……」
「パトラ卿の同行を許したのも、そのためでしょうね」
……そのため? って、なにがどういう意味?
きょとんとしたわたしに、シュルージュ様はやさしく教えてくださった。
「引き立て役です」
「引き立て役?」
「ええ。今回の戦ではナクンバ様が目立ちましたから、結果的にパトラ卿はナクンバ様を要求していますが、そうでなければ聖属性の樹木や聖女様ご自身に注目し、自分の配下にとほざいたことでしょう。それを諌めてうまくおさめる――その過程でこちらに恩を売ろうという魂胆です。パトラ卿に関しては、ヒルディガー卿にまかせておけば問題ありませんし、向こうも望むところでしょう」
わぁ……。
「おさめられるんですか?」
「無論です。西国において、御三家の権威は大変なものですから」
「王家よりも?」
「ジェレンス」
ジェレンス先生が、無言で口をむぐむぐさせた。喋れないから返事もできない、と主張しているようだ。
シュルージュ様は無頓着に言葉をつづける。
「教師たる者、生徒に教えておくべきことがあるのではないですか? 我が領に魔王復活の兆しがある以上、聖女様は西国との関係にも心を配らねばならなくなるでしょう――しかたがありませんね。聖女様、西国の王家まわりの問題を単純にご説明します」
「あ、はい。申しわけありません、常識がいささか不足しておりまして」
「とんでもない。甥が無能なのです」
シュルージュ様って、ジェレンス先生にはむちゃくちゃ厳しいな。
後継者になる可能性があるからだろうけど、ちょっと気の毒になってきたわ……。
「西国における御三家とは、王家とほぼ同義です」
「えっと……縁続きで、ということですか?」
「それも間違いではありません。皆、婚姻や養子で深く結ばれていますから。ですが、そもそも国のはじまりから、三つの家が順に王冠を戴く者を出すという誓約を結んでいるのです」
えー……?
「では、我が国の王家みたいな、直系の王族が治めてる感じじゃなくて……?」
「まったく違います。現在の王の治世が思わしくないとされれば、貴族院で譲位の提案をすることができます。この提案は、貴族であれば誰でも可能です――少なくとも法律上は。譲位がなされるか否かは議会で議決されます。次の王の候補者は、原則として御三家から選ばれることになり、ヒルディガー卿は現在、もっとも次の王位に近いとされている人物のひとりです」
「……ということは、ほかにも候補が?」
「三家それぞれに第一候補がいます。ヒルディガー卿は分家筋ですが、他家に王冠をやるよりは、ヒルディガー卿に……というのが一族の総意です。あそこの本家には、玉座を狙える人材がいないので」
なにげなく語られてしまったが、一応、異国の政変に通じかねない情報である。
今回の対応でも、シュルージュ様はそういった点を踏まえて立ち回ってらしたのだろう。隣国の情勢まで含めた、広い視野が必要なんだな。……国境付近の領主って、大変そう!
あと、ジェレンス先生には無理そうね、ほんとに。……失礼ながら。
「すると、現在の西国の王様は、その……譲位を迫られそうな感じなんですか?」
「ご高齢でいらっしゃる上に、たいへん優柔不断なかたなので。魔王の眷属の出現が増え、有事が迫っていると考えられる時期に、君主に戴きたい人物ではありませんね。他国のことではありますが」
なるほど……。
「ヒルディガー卿なら、わたしたちとうまく連携して戦ってくれるでしょうか?」
「連携は望み薄でしょうが、有用と看做されれば邪魔されることもないでしょうね」
「望み薄……なんですか?」
「今回の件でも、わかります。多少の兵は連れて来たものの、彼個人の護衛だと主張できる規模でしかありません。王家に叛意なしと見せるためだと弁明していましたが、実効性のある助力など、なにひとつしていないのです。御三家が来たという事実で逐次投入された兵の士気が少し上がったとか、現地の住民が見捨てられていないと安堵したとか、そういった効果はあります。ありますが、あくまで自国向けのものであって、魔将軍との戦闘で活躍はしていませんね」
なるほど……なるほどしか言葉が出ないよ。
「うまく自分の評価を高めていらっしゃる、と」
「邪魔はしないという点については、わたしからも高く評価しておきましょう。戦闘において、へたに口出しをされるほど、面倒なことはありませんからね。あの男は、それもわかった上で立ち回っているのですから、面倒です」
シュルージュ様の反感を買わないところまで考えてるのか。
ヒルディガー卿すごいな……ただの髭のおじさんじゃなかった!
「冷静に考えたら、それってかなり……ふつうじゃないですよね。だって、隣国の兵を国境の中に引き入れて、自由に戦わせてるわけだから……」
わたしがつぶやくと、シュルージュ様はにっこりと、花が咲くように笑まれた。
「聖女様は、聡くていらっしゃる。その通りです。なかなかできないことを、あの男は可能にしました。ですから、無条件で信頼もできませんが、利害が対立しない限りは悪くない存在です」
利害が対立しない限り、かぁ……。
とりあえず、魔王封印に関してはまったく利害が対立するはずないんだけど……そう楽観視もできないんだろうなぁ。
ニンゲン、トテモ愚カ……ってやつだからな!
「パトラ卿の相手をはじめ、西国関連の話はこちらにおまかせください。聖女様は、一旦は学園に戻られるとよろしいでしょう」
「あ、はい……服とか、お借りしっぱなしなのですが、どうしましょう」
「お気遣い、かたじけなく存じます。ジェレンスに運ばせましょう。こちらにいらしたときにお召しになってらした制服も、持って来させましょうね。ジェレンス」
「う……っと、はい伯母上!」
喋れるようにしてもらったらしい。
「転移陣は描きましたか?」
「え……いえ……」
シュルージュ様の眉が上がった。
「すぐ描きます!」
「気の利かない子だこと。聖女様……余計なことかもしれませんが、ひとつご忠告をさしあげても?」
「はい、もちろんです。ぜひ、お聞かせください」
姿勢を正したわたしに、シュルージュ様は顔を近寄せた。耳もとで、そっとささやく。
「王族を――いえ、どの国に属するかにかかわらず、権力に近い者を信じてはなりません。戦を起こすのは、そういう者だからです。かれらは人々を不安で煽り、怒りを焚きつけ、戦うことは当然であると世論を誘導します。そうなったとき、聖女様――あなた様は誰より利用されやすいお立場でいらっしゃること、どうぞお心に留めておかれませ」
すっと身を離して。
今いわれたことの意味を咀嚼しようとしているわたしに、シュルージュ様はゆっくりと一礼なさった。
「如何なるときも、我らトゥリアージェは御身にお味方するものとお考えください。少なくとも、このわたしが当主をつとめます限り」
「……はい」
「では失礼つかまつります。ジェレンス、できましたね?」
「はい、伯母上」
「ご苦労。ついて来なさい」
「はい、伯母上」
ふたりは転移陣を通って消えてしまった。
従順なジェレンス先生、ほとんど心を殺してそう……。
「シュルージュ様がいらっしゃると、ジェレンス先生が面白いな」
リートの感想が鬼畜!
「ジェレンス先生も人の子だったんですね……」
ナヴァト忍者はジェレンス先生をなんだと思ってたんだ!
とはいえ、まぁ……どっちもわかる。わかるよ。
「ジェレンス先生のことさぁ……無茶苦茶やってたらシュルージュ様に怒られますよ、って脅したんだよね、わたし。そしたら、叱られ慣れてるからって躱されたんだけど……慣れてるから大丈夫、って感じには見えないなぁ」
リートはわたしに視線をやって、こう答えた。
「慣れているのは間違いないし、君はその調子で傍若無人にふるまいたまえ」
傍若無人なんかじゃないし! ……ないよね?




