392 もう悩殺された! はいチョロかった!
とにかく心を強く持て、というリートのありがたい訓戒をいただきつつ食事を終えれば、もう日が暮れていた。
そんなに時間が経っていたとは、びっくりだよ。
ぜんぜん実感なかったとつぶやいたら、リートには呆れられたが、ナヴァト忍者には心配された。
「呪文のせいではないですか?」
「あ……なるほど」
呪文って唱えるとトリップしちゃうから。時間感覚も当然、おかしくなるんだな。
そりゃお腹も空くよね……お昼をスルーしちゃったんだもの。
「でもまぁ、わたしは運動してないから……。そっちは大変だったんでしょう?」
「俺はさほどでも。シュルージュ様の部隊について移動していただけです。隠行の維持を優先するよう指示されたので、あまり戦闘には参加していません」
あまりってことは、多少は参加したんだろうなぁ。
「俺はかなり面倒なことになったな」
「やっぱり種子を育てる関係で?」
「ああ。移動して、戻って、移動して、戻って、だった。あんなに苛立つ戦闘は、二度と経験したくない」
「シュルージュ様は、置き魔力をなさってました」
「置き魔力……」
「育成用の魔力を土にこめてから移動なさるんです。補助役の魔法使いが引き継いでましたね」
「俺には真似できんな」
リートの声には、羨望の色が濃い。あら珍しい。
「ひとりだからねぇ」
「いや、そんな余剰魔力がない。俺の場合、常時使い切る勢いだからな」
悪びれることなく律儀に説明してくれるあたりが、リートだ。魔力量が人並みより少ない、ということに……なんの屈託も覚えないはずはないだろうけどな。
「それにしても、生属性魔法使いって強いね。いろんなことができるし……わたし、入学するまで考えてみたこともなかったよ。生属性っていえば、治療のためのものだって思い込んでた」
「シュルージュ様や隊長は、別格です。あ、ウィブル先生もです」
「そうなの?」
「はい」
騎士団勤めの経験者であるナヴァト忍者のいうことだから、まぁまぁ信憑性ありそうだな。
「じゃあ、生属性がすごいんじゃなくて、リートたちがすごいんだね」
「今さらなにを」
まったく謙遜しないあたりも、リートだね!
お湯を沸かしてお茶を淹れ、さすがに明日の朝にはジェレンス先生が食料を届けてくれるだろう……夕飯はスルーされたらしいけど……もう寝るべ寝るべ、なんて雰囲気になってるところへ。
「おっ、なんか美味そうな匂いがする」
ジェレンス先生である。
「ジェレンス」
そして、シュルージュ様である!
「はい、伯母上」
「何度もいうようですが、術の運用が雑です。だから、同行者が無駄に混乱するのです」
「はい、伯母上。申しわけありません、伯母上」
「謝意を感じない謝罪ほど、相手を苛立たせるものはありませんよ」
「申し……いえ、だからその……申し開きのしようもないです、伯母上」
「謝意がないことを自白するのも、どうかと思いますね」
ジェレンス先生は黙った。……コントか!
と、シュルージュ様がわたしの方に向き直られ、深々と一礼なさった。
「ご挨拶が遅れ、申しわけありませんでした。事後処理のためとは申せ、礼を失するおこない」
「いえ、そんな……! どうぞお顔を上げてください」
頭の中を、ジェレンス先生より強いとか、血を薔薇にして敵に刺すとかいう情報が駆け巡っている。
敵じゃないのに、なぜかちょっと……ほんのちょっとだけど、怖い。底知れなさを感じるのだ。
「そちらがナクンバ様ですね。このたびは、飛ぶ魔物を引き受けてくださり、助かりました」
ナクンバ様は、ブフッ、と鼻息で返事をしたが……。
えっ、シュルージュ様すごくない? このサイズの違いをガン無視? 動揺しないの?
ジェレンス先生の方は、楽しそうに声をかけてきた。
「ずいぶん小さくなったなぁ! ルルベルがお願いしたのか?」
「ジェレンス」
「はい、伯母上」
「しばらく黙っていなさい」
ジェレンス先生は口を開け、それから顔をしかめて口を閉じた。
シュルージュ様はふたたびわたしと視線を合わせ、それは華やかに笑まれた。
「口をきけないようにしました。邪魔なので」
容赦ないな!
ジェレンス先生が強制的に静かにさせられたところで、リートが小屋の中から寝袋を持って来てシュルージュ様に勧めた。もちろん寝るんじゃなくて、座るときに敷いてくださいという意味だ――そう、我々は外で食事をしており、ろくな家具もないので地面に座っていたのである。ジェレンス先生とシュルージュ様が来たところで立ち上がったはいいけど、このまま立ち話もどうなのかと思っていたところだった。
さすがリート! 妙に気が利く!
「それでは、おおまかにご説明しておきます」
聖女様に関係がない話でもありませんので――とシュルージュ様が語り出したのは、例の事後処理ってやつだ。二国合同作戦だったし、内情はけっして一枚岩でもなかったので、勝ったらそれでめでたく終わったりはしないのである。
ニンゲン、メンドクサイ。
シュルージュ様によれば、市長はだいたいこっちの味方。今後のこともあるし、今回まともな動きをしなかった自国の政権には不信感があるらしい。
で、例のハイデウス=エル・パトラっていう、ほら……我々に反感しか持ってなさそうな人物ね。彼、ナクンバ様にむちゃくちゃ感銘を受けたんだそうな。
つまり、激戦区にいたわけね――安全な場所でふんぞり返ってるだけのタイプではなかったようだ。
「あのような存在を我が央国が独占するのは看過しがたいと申しておりました」
「ナクンバ様は、どこかの国にお味方なさるといったお考えではないのに」
「あの者の主張を突き詰めると、俺に寄越せ、ということですね」
わぁ……! 超訳! 一国で独占するなって、そういう意味なの……。
「はじめから、小さくなっておくべきだったな」
これはナクンバ様の感想。
ナクンバ様が喋ったときでさえ、シュルージュ様はまったく動じなかった。……感心を通り越して怖い!
でもかっこいい!
「その場合、パトラ卿の興味は聖女様に集中することになったでしょう。却って、よかったかもしれません」
「はい?」
「央国が聖女様を独占するのはおかしい、といった主張になるかと」
「いやでも、わたしはなんにも――」
「我が小さくなれば、地上からは姿が見えんだろう。浮かんでいるのはルルベルだけ、ということになる。そのルルベルが高速で飛行し、飛ぶ魔物どもを始末したように見える、ということだ」
ナクンバ様の理解が早い! えっ……あー、そういうこと?
まぁ……いってることは間違いでもない気はするあたりが逆に、よろしくないのよね。国同士のパワー・バランスを崩す存在ってことでしょ。対象がナクンバ様でも、聖女でも、そこは同じだよなぁ。
「パトラ卿の目には、ナクンバ様だけが映っていたのです。ですから、あれが欲しいという反応になったのでしょう」
「欲しい、だけで済めばよいがな」
「よくないよ……」
思わずつぶやいたわたしの手に、ナクンバ様は鼻面をすりっと擦りつけた。
……えっ。
ちょっと待ってなに今の、可愛い! これ以上、可愛いを極めないでくださいません? 悶死する。
でも、もっとやって!
「ルルベルよ、ひとは力を手に入れたがるもの。だが、すべてを手に入れることはかなわない――おのれのものにならぬ力を、どうすると思う?」
「どうするんですか?」
「奪えぬならば、それは敵がふるう力だ。恐れ、滅ぼそうとするだろう」
「そんな乱暴な!」
「権力欲が旺盛であるとは、そういうことだ。話を聞くに、パトラ卿とやらは、そう考えるであろうな」
「わたしは敵じゃないですよ……」
ナクンバ様は、小さな眼をぱちりとしばたたいて、わたしに告げた。
「我は知っているよ、そなたの真心を。だが、それに気づき、素直に受け入れる者ばかりではないのだ」
そうしてまた、鼻面をすりっと……ぎゃああああ、可愛い可愛い可愛い!
なんなのこの竜、わたしを悩殺する気なの!? もう悩殺された! はいチョロかった!
ナクンバ様は絶対に……絶対に渡さん!




