387 地の果てまでも運んでやろう
ナクンバ様に「もう降りたいか」と問われたときは、なに当然のことを……と思ったけど。
わたしが馬鹿でした。
掃討戦になってるって、戦いはまだ継続中って意味だよ。知ってた? わたしはうっかりしたよ……もう終わりなんだな、って思っちゃったよ。家に帰るまでが遠足なのと同じだとか、考えたくせにね……。
ぶっちゃけると、魔物の死体とか、人間もその……うんやめた、ぶっちゃけないでおくね!
いろいろ見えたよ! 以上!
「あの魔法使いの居場所なら安全かと思ったが、あやつめ、一箇所に留まることを知らん」
ジェレンス先生ですね、わかります。どんどん瞬間移動してるんですね、想像通りです。
リートのところに行ってもらおうかとも思ったけど、脳内リートがいつもの顔で「せっかく安全な場所にいられるのに、なぜそれを放棄する?」とディスってくる姿がありありと浮かぶよね……。
「ナクンバ様すみません、やっぱりもうちょっと乗せていてもらえますか? わたしはもう魔法が使える状態じゃないですし、皆の迷惑になっても困りますから」
「たやすいことよ。望むならば、地の果てまでも運んでやろう」
いや、それは望まないかな……。
というわけで、わたしは少し高度を上げたナクンバ様の背中から、あらためて戦場を見下ろすことになった。
なんで高度を上げたかっていうと、ナクンバ様の影が落ちるだけで魔物があたふた逃げ回って動きが読みづらくなるから。……と、人間も動揺して転んだり動きが止まったりしがちだから……。
存在がすでに兵器だな、ナクンバ様。
わたしが必要になったらジェレンス先生が呼びに来るだろうから、それまでは距離をとっておこう。
ちょっとショックだったのは、植えたばかりの聖属性の樹が何本も立ち枯れていること。魔王の眷属の魔法のせいかな……寿命数十分とかで枯れちゃったのかと思うと、せつない。
飛竜の生息地に育っちゃった大樹と比べると、こちらは長持ちする種子のはずだったんだ。つまり、聖属性魔力に覆われたエリアを作ろうって計画を兼ねてたんだよね。
理由はもちろん、ハルちゃん様の予言があるから。
これから先、トゥリアージェの領地と周辺は、魔王関連の危険な状況になりやすいんだもの。意義のある植樹でしょ?
利敵行為だと、反対の声もあったらしい。
わたしはその場に居合わせてないから、話し合いの詳細は知らないけど……まぁ、心情としては理解できる。
でもさー、国境のあっちかこっちかなんて、どうでもよくない? ニンゲン、愚カ……皆デ滅ビル……みたいな展開にならない方が重要だよ。
なんか、ため息が出ちゃうな。
ふつうの学生に戻りたいのは嘘じゃないけど、それは人間の世界に戻るってことで。人間の世界には、国境とか身分といった「隔てるもの」が、たくさんあるんだ。自分の利益のためなら、皆の不安や怒りを煽って敵対させる人間が、いるんだよ……。
あー嫌だ嫌だ。
「どうしたのだ、ルルベル」
「どう……とは?」
「浮かない呼吸をしているだろう」
浮かない呼吸! 初耳だわ! ふつうは浮かない顔とかいうだろ……息遣いで判断されるの? こわ!
「これから直面するであろう、いろんなしがらみについて考えてしまったら、うんざりしたんです」
正直に白状すると、ナクンバ様は鼻からぷすっと煙を上げて。
「やはり、世界の果てまで連れて行こうか?」
さっきは遠慮したいとしか思わなかったけど、それも悪くないかもねぇ……と、ちょっと思っちゃう。
いやいや、駄目だ駄目だ。わたしは戻って、シスコと女子会するんだよ。
「ナクンバ様は、世界の果てに行かれたことがあるんですか?」
「ああ……創世の時代にな」
……なんかビッグな話題が飛び出したぞ! 創世の時代て。
ていうか、うんと遠くの比喩表現じゃなくて、実際にあるの? 世界の果て、っていう場所が。
「どんなところなんです?」
「すべてが尽きる。空も、大地も、海も。ただ雨だけが降っている」
「雨?」
「そうだ。世界はすべてその雨に飲み込まれ、混沌の渦となって宇宙へ消える」
宇宙……。えっ、すごい世界観だな!
「なんだか、じめじめしてそうな場所ですね」
「そうでもない。あの雨は、ただの水ではないのだ。それに、雨の底には影の蛇が潜んでいる」
「えっ、なんですそれ?」
そこからしばらく、わたしは悠々と空を飛ぶナクンバ様の背中で、そんなの初耳ですねっていう神話のようなおとぎ話のようなものの断片を聞くことになった。
ものすごく教養のあるひとなら、知ってる話なのかな……。下町のパン屋の娘レベルの常識だと、なにもかも初耳なんだけど。
世界の果てって、世界の終わりが見える場所らしい。視界はすべて雨で遮られてるけど、もちろん通常の雨とは違い、水滴が降ってるわけじゃない。世界が溶けていってる――ひょっとすると、例のエルフの里の宝物みたいなものなのかも? 巨大な万物融解装置。
その雨の底にいる影の蛇は、すべてを反転する力を持っている。だから、溶けた世界を再生することができる……という理屈らしい。
蛇はずっと眠っていて、世界を夢みている。それが再生の夢で、世界は崩壊した端からまた再構成されて、それでバランスがとれているのだそうだ。
影の蛇に話しかけたエルフの物語とか、蛇の夢に踏み込んだ魔法使いの話とか。いろいろ逸話があって、すごく面白い。
「じゃあ、影の蛇が目覚めたら世界は終わるんですか?」
「そうだろうな」
「魔王のせいとかじゃなく? ……それなら、魔王って放っておいても大丈夫なんですかね」
「それは少々話が違う。魔王がこの世を支配すれば、この世の終わりとさほど変わらんことになる――魔王とその眷属以外にとってはな。魔王が封印されている今の状態が、眷属どもにとっては苦しいのと同じだ」
「なんだか怖いですね」
得体の知れない誰か――神話的存在の蛇だけど――に命運を握られてるって、なんか不安だ。
どんなに頑張って魔王を封印しても、影の蛇が目覚めたら意味がなくなってしまうのだ。迷信でしょって笑い飛ばしたいけど、語り手がナクンバ様だからなぁ……。
でも、わたしの感想を聞いたナクンバ様は、声もなく笑った。
「安心しろ。どちらが権力を握ろうと、世界はつづく。影の蛇が目覚めん限りはな。そして、蛇を目覚めさせる方法など、誰も知らん」
エルフが話しかけても、魔法使いが踏み込んでも――影の蛇は目覚めない。
「でも、たとえば魔王がはたらきかけたら?」
「それこそ、あり得ん。魔王は消えたがりではないぞ。むしろ、在りたがりだ。そうでなくば、懲りずに封印を解いたりはせん」
在りたがり……って表現、どうなんですかね? いや通じるけどさ! そして、ナクンバ様の語彙ってわたしに依存してるっぽいけどさ!
「人間の方が、消えたがりになりそうですか?」
「魔王やその眷属よりは、そうだな。眷属は、消えるより悪いことなどないと考える存在だ。人間は、そうでもないだろう」
「ナクンバ様は?」
「ルルベルよ、我がどんな存在だったか忘れたのか?」
「えっ? ……飛竜、ですか?」
「そうだ。飛竜だ。この世に在っても無駄で希望がないと感じた我は、飛竜に変じた。それは、消えたがっても消えられぬということだ。ある意味、拷問のようなものだな」
消えたくても消えられない……そんなことが、あるのか。
創世の時代を知っている神話的な存在って、やっぱり人間とは根本的に違うんだな。
「今は、どうですか」
「どんな答えが望まれているか、わかっているぞ」
「……わたしがなにを望んでいるかは関係なく、ナクンバ様が感じてらっしゃることを知りたいです。教えてください」
「聖なる乙女との会話を楽しんでおるよ」
「ほんとに、楽しいですか?」
ぷすっ、ぷすっ。ナクンバ様の鼻から煙が出る。
「これが楽しくなければ、なにを楽しいといえばいい? ああ、楽しいとも! 楽しいとも!」
力説されると、却って疑わしく思えたけど……。
でもまぁ、それを否定してもしかたがないもんな。
「わたしも楽しいです、ナクンバ様とのお話」
女子会はまだできそうもないから、竜とのお話し会で手を打とう。
実際、これってむちゃくちゃ貴重な体験よね!




