382 真の規格外ってのは
リートを下ろし――あんまり反抗せず従ったのは、あるだけの魔力玉を持たされたからに違いないと、わたしはコッソリ思っている――わたしとジェレンス先生はふたたび上空へ。
「おうおう、距離詰めて来てんな」
さっきまで目視が難しかった飛竜たちだけど、今はもう、はっきり見える。
何匹いるんだろう? 十匹はくだらないと思うけど……いやいや、それどころじゃないな? 何十匹……?
「ルルベル」
「はい?」
「おまえ覚えてるか?」
「なにをです?」
「校長と、竜を説得に行ったときのことだ」
「はい? そうですね、行きました……それがなにか?」
ジェレンス先生がいわんとすることが、わからない……。と、思ったんだけど。
「とめられただろ、校長に。俺が同行するっつったら、縄張りを主張するオス扱いされる、ってよ」
あーっ! あったな、そんな話!
「……忘れてました。でも、思いだしました!」
正直、思いだしたくなかったけど思いだしちゃった!
ジェレンス先生は、にやりとする。
「ま、今回はちょっと事情が違うからな」
「どう違うんですか!?」
「まず、ここはやつらの縄張りじゃない。なにより、おまえが意思の疎通を果たした実績があるって点が違う。俺も、おまえの保護者……いや、仲間か? まぁ、そんなもんだと認識されるだろ」
「されなかったらどうするんですか」
「そりゃ、パッと」
「……パッと?」
「移動すりゃ無傷で済むだろ」
雑ぅぅぅ!
「それはそうかもしれませんが……」
「なぁルルベル、俺は強い魔法使いだ。常識はずれと評される程度にな」
「今さら主張なさらなくても、存じ上げております」
「けどよ、真の規格外ってのは、おまえみたいなのをいうんだぜ?」
「……はい?」
冗談をいわれたのかと思ったけど、ジェレンス先生は真顔だ。
「本能のままに動く生き物に成り下がっていた幻獣に、知性をよみがえらせる――そんなこと、ふつうはできねぇんだよ。エルフである校長にも、無理だ。やろうと思わねぇからだ」
どんどん近づいて、ぐんぐん大きくなる飛竜たち。
本能のままに動く生き物――たしかに、そうなんだろう。間違ってない。
だけど、わたしは知っている。
エルフ校長が「格の違い」とやらをわからせたときの、あの清浄な……すべてが正しくて認められている空気を。
飛竜たちだって、それを知ってるはずだ。まだ忘れてはいないはずだ。
エルフ校長は、こういっていた――本来であれば、君に頭を垂れ、恭順の意を示すべきですが、と。
そして今、ジェレンス先生は断言する。
「おまえならできる。いや、おまえにしかできない。やつらの目を覚ましてやれ」
聖属性のなんたるかを知り、尊重する者。それが飛竜のあるべき姿。正しい姿なんだ。
かれらを変えるんじゃなくて。元に戻すんだ。
わたしにはできる。わたしにしかできない。
だから、わたしは唱える。
太陽が姿を消してはあらわれるように
くり返す、なにも変わりはしない
治癒の呪文の一部分。
なぜだか、今必要なのはこれだと直感した。
月が欠けては満ちるように
くり返す、なにも変わりはしない
しんとした空間に、わたしの声だけが響く。
世界の音のすべてが、聞こえているのに聞こえない。わたしの声と混ざり合うのに、まったく別のもの。
太陽の光の粒がひとつずつ、ゆっくりとうねりながら世界に降り注ぐのが見える。それは黄金であり、虹であり、まばゆい光であり、やわらかな熱だ。
生命の源だ。
波が寄せては引くように
くり返す、なにも変わりはしない
わたしはわたしのまま、世界に溶ける。世界は世界のまま、わたしの一部となる。
わたしは規定する――世界はそれに従う――原初の言語があたりに浸透し、染め上げる。
清浄の地。不変の正。永劫の空。
それはエルフ校長が唱えた不思議な言葉に似ている。正しくて、認められていて、美しくて――儚い。
でも、これを一瞬で終わらせてはいけない。
わたしは自分の芯にすがる。揺るがせにできないものを守りつつ、世界と同化する。ひろがって、ひろがって、ひろがって――。
闇が光に照らされて消えるように
くり返す、なにも変わりはしない
飛竜たちとわたしのあいだの距離が、ゼロになる。彼我の別が曖昧になり、わたしは飛竜に、飛竜はわたしになる。
わたしは世界で、世界は飛竜で、飛竜はわたし。
眠りが目覚めで終わるように
くり返す、なにも変わりはしない
呪文を唱えるとき、わたしは世界の真理を知る。
それはある種、固定化された「在るべき世界」の像なのだと思う――たとえば、エルフ校長が唱えていたような。けっして変わらない、世界の核。
変わらないのに、維持はできない。刹那に消え去る理想郷のようなものだ。
そう、世界をそのまま維持することはできない――だけど、世界まるごとでなければ。
「目覚めよ!」
そのひと声は、ただの思いつき。呪文には存在しない、でもこの瞬間に必要な言葉。
きっかけを与え、必要な変化をもたらすためのトリガーだ。
世界がかがやく――すべてが虹の七色に染まり、まるでプリズムの中に閉じ込められたようだ。
飛竜の輪郭がほどけて曖昧になり、その黄色い眼だけがはっきりと、わたしを凝視する。巨大な瞳の中に吸い込まれるような心地がしたところで、ぐい、と引かれた。
手。
そう、わたしの手だ。わたしはわたし、わたしは世界じゃなくて、だから……。
「ルルベル!」
はい、と答えようとしたけど、口がちゃんと動かない。
いつもの言葉が出て来ない――言葉って、なに? もやっとした考えが、右に行ったり、左に行ったり。わたしの中をぐるぐる動き回る。
ふたたび、手を引かれる。強く。
「しっかりしろ、ルルベル! 返事しろ!」
「ふぁ……」
あくびみたいな音が出た。それから、ぽろっと。涙がこぼれた。
「ああもう、呪文ってこんなに厄介だったか?」
「だい……じょうぶ、です」
ようやく、意味のある言葉が口から出た。
……やった。
なにも見なくても、わたしにはわかっていた。やったんだ。ちゃんと、やった。
『聖なる乙女よ』
ナクンバ様の声が、頭の中に響く。
重々しく、でも美しく。それは冬のよく晴れた空に浮かぶ月を思わせるような、冴え冴えとした響き。ふだんの生活では聞くことがないほどの低音で、わたしの心に訴えかける。
『我に、なにを望むや?」
「ナクンバ……様?」
前回と少し違う気がして、わたしは確認した。ナクンバ様なのに、ちょっと違う。ちょっと違うけど、ナクンバ様ではある……。その曖昧な感覚を肯定するように、ナクンバ様の声がした。
『我はナクンバであり、また新たなる者でもある。そなたが名付けるのであれば、我はその名に従おう』
「新たなる……者、ですか?」
『然り。此度、我は確と在るものとなれり』
確と在る……。
わたしはぎょっとして、それで今度こそ正気に、現実に戻った。
「先生!」
「おう、なんだ」
「ナクンバ様が実体化しました!」
「知ってるぞ。見えてるからな」
知ってた……いやまぁ当然か。
ナクンバ様本体は、今回も象くらいのサイズ感だ。だけど、それをはるかに超える大きさの翼や長い尾のせいで、むちゃくちゃ大きく感じる……いやまぁ象って時点でもう大きいんだけど!
色は黒だ。黒竜? なんかかっこいいな……。
「ナクンバ様、わたしたちは魔将軍との戦いに赴くところです」
『然もあらん。そなたらが目指していた方角、魔王の眷属どもの臭気が強い……遠方ではある』
「あ、はい……たぶん遠いです」
そんな遠くても、臭っちゃうんだ? あれ、じゃあ向こうもナクンバ様の存在に気づく可能性が……?
「ルルベル、竜はなんていってるんだ?」
「わたしたちが目指す方向に魔王の眷属の臭いがするっていってます」
「おいおい、なんだその嗅覚。まだかなり距離があるぞ?」
「えっと……距離がある内に、気配を消してもらえるようにたのんでみた方がいいですよね」
「そうだな。なんか賢そうに見えるし、こっちの作戦を話せば理解するんじゃねぇか?」
「……やってみます」
新生ナクンバ様が、前回より扱いやすくなっていることに期待!




