376 ただこの地上に生まれて在ることを尊び
……なんでこうなった。
いやね? いいだしっぺは、自分だけど! 自分だけど、心の準備が……わたしをお肉扱いしそうな生き物と間近でご対面するのは勇気がいるよね! いるでしょ?
「俺がついてった方がいいんじゃ?」
「ジェレンスは駄目でしょう。縄張りを主張するオスと認識されていますからね」
「あー……」
「いきなり戦闘的な態度に出られたら、話し合いもなにもない。最悪です」
最悪だよぉ! 泣きたい!
「なるほど、それもそうか……。じゃ、遠隔で探知だけしときます」
「飛竜の攻撃だったら、僕は凌げますよ。エルフの方が格が高いですからね」
「格」
思わず声に出ちゃったよ。なにそれ。
「魔王の眷属にも、格というものがあるでしょう? それこそ魔将軍のように、弱い魔物を従える力がある者は格が高い。古くからの生き物には、そういった決まりがあるのです。いにしえの竜であればエルフと対等かそれ以上の存在でしたが、あのような飛竜など話にもなりません。たとえ火を吹かれたとしても、僕には傷ひとつつきませんよ」
……あの飛竜って、火を吐くの? えっ、わたしバーベキューされちゃう? 上手に焼かれちゃうの?
「あの、校長先生が大丈夫でも、わたしは大丈夫じゃないと思います」
「もちろん、僕が守ります」
エルフ校長にしては、キリッ! って顔つきで宣言された。
いやまぁ……うん……自信があるなら大丈夫なんだろうけど、なんかこう……ジェレンス先生の問答無用っていうか暴力的な安心感と比べると、ふわふわした感じだな。
「では、行きましょうか」
「今!?」
「校長、待ってください。おいリート、毛布だ毛布」
……ああ、そうね。飛ぶもんね。社会的な死だけは回避されそうだ。
ジェレンス先生、この件に関してだけは気が回るよな〜。これアレだろ、きっと過去に盛大にやらかして、伯母様にみっちり叱られて叩き込まれたんだろ! わたしにはわかる!
「ルルベル、大丈夫ですよ」
聖女の毛布包み焼きが完成しそうだな、と思っていたのを見透かしたように、エルフ校長がささやいた。
「……はい」
「話が通じるかは別として、危害をくわえられることはないですからね」
そういって、エルフ校長はいつものように風に語りかけた――うん、そうだ。前はなんとなく歌みたいだなぁって思ってたアレ、断片的にだけど意味がわかるかもしれない。
原初の言語で、語ってるんだ。風に、空気に――世界に。
ふわっ、と身体が浮かび上がって、たちまち癒しの大樹の樹冠あたりに。
「わぁ……」
今いるのがどういう場所なのか――人里離れた飛竜の生息地としか知らなかったから、高所からの眺めにまず、びっくりした。
わたしたちがいるのはかなりの面積を占める森林地帯だけど、どこまでもつづくのではなく、やがて峡谷に挟まれるように先細りになり、視界は山で区切られている。
頭を巡らせれば、どの方向もそうだった。ここは、いわゆる盆地なのだろう。山に囲まれた――たぶん夏は暑くて冬は寒い地形だ。なるほど、昨晩の寒さはそういうことか。
そして、その広い盆地の上空を、思った以上の数の飛竜が舞っている。
まさに壮観!
怖いと思うより先に、うわぁ、ってなった。……むっちゃファンタジーだ!
「ルルベル、ジェレンスの魔力の影響範囲を脱すると、あれらが一斉に寄って来ると思います」
「え。あ、はい……」
事前に説明してくれるエルフ校長……素晴らしい。
「本来であれば、君に頭を垂れ、恭順の意を示すべきですが――」
「え?」
なんで? と問うまでもなく、エルフ校長が説明してくれた。
「――いにしえの偉大なる竜たちであれば、聖属性のなんたるかを知り、君を尊重したでしょう。ですが、あれらにはそんな了見はありません。ただ慕わしい、欲しいと願うだけです」
聖属性のなんたるか……そんなもの、わたしだって知らんけども!
「それで、なんというかこう……一気に詰め寄ってくると?」
「そうなるでしょう。とりあえず落ち着かせる必要があります」
「なにか方法が?」
「僕が威圧すれば、多少は通じるかと。意思の疎通をはかるなら、その機に乗じるのがよいでしょう」
威圧……? なるほど、なにもわからん。
「それは、ジェレンス先生の縄張り主張みたいな感じの……?」
「そんな野蛮なものではありませんよ。そうですね……君にわかりやすくいうなら、原初の言語をもって、彼我の格の違いを規定し直し、つまびらかにする……といったところでしょうか?」
わかるような、わからんような……。ごめん、見栄はった! 正直いって、わからない!
「校長先生が最善だと思われるなら、信じます」
「ありがとう」
ま……まぶしっ! 笑顔が比喩ではなく、キラってる。えっ、これもう格の違いとやらを見せつけはじめてる感じ?
逆魅了の偽装もすべて剥がしたらしいエルフ校長は、聖女の毛布巻きを抱えているというコミカルな状況が残念なほどの美しさだ。まともに見ると、泣きたくなる……。
エルフって、まったくよぉ〜……。
不思議とやさぐれた気分を抱きつつ、わたしはエルフ校長から視線を逸らした。
上昇しながら大樹をはなれた結果、ジェレンス先生の縄張りを抜けたのだろう。エルフ校長がいった通り、飛竜が次々とこちらに向って飛んで来るのが見えた。
……怖い……けど、なんかすごい。
エルフ校長が、なにかを唱えはじめる。
澄んだ声は、大気に染み通り――わたしが聞き分けられる単語はひとつもなかったし、意味もなにもわからなかったけれど、それでも。
それでも、しぜんと心が落ち着いた。
なんていえばいいんだろう? ……ものごとがすべて、あるべき場所にある感じ。なにも、間違ってない。すべてが認められていて、穏やかにつながっていて、ただそこにあるだけで美しくて、せつなくて、それでいいって思える。
……あ、そうか。これがそうなんだ。さっき、エルフ校長が説明しようとして説明できてなかったやつ。
原初の言語で、語ってるんだ。世界は本来、こういうものだ――って。
ゆっくりと、いつのまにか閉じていた目蓋を押し上げる。
透き通る空、どこか戸惑ったように群れる飛竜たち。視界に入るなにもかもが愛おしくて、わたしはつぶやいた。
「……世界がずっと、こんな風ならいいのに」
「ルルベル?」
「校長先生がこれを唱えてまわれば、世界は正しいかたちになるんじゃないですか? 誰も――無駄な争いなどせず、権力にしがみつかず、ただこの地上に生まれて在ることを尊び、命を全うすることができるのでは……ないですか?」
わたしの問いに、エルフ校長は儚げな笑みで答えた。
「ええ。ですが、その感覚は須臾にして消えてしまうものでしかありません。人間は皆、目には見えない驟雨が通ったと感じ、その冷たさにわずかに眼をみはる。ふるえたりも、するでしょう。けれど、それだけです」
それだけなのです、と。
ささやくように告げられれば、わたしは納得するしかなかった。
そうか。こんなにも美しくて正しいものも、永遠にはなり得ないんだ。逆なんだ――ほんの一瞬だからこそ、貴重なんだ。涙がこぼれてしまうほど、胸がふるえるんだ……。
「でも先生、飛竜たちを見てください」
「ええ。鎮まりましたね。生物としての本能しか残っていないのではと危惧していましたが……存在の根幹に、刻まれていたのでしょう」
なにが、とはエルフ校長は語らなかった。きっと、うまく説明できないんだろう。わたしが聞いても、わからないんだろうな、と思う。
エルフの感覚や意識は、かけ離れてるんだ、人間と。だから、やっぱり――三階の住人なんだ。
「先生、魔力を放出してみてもいいですか?」
「君が思うように、やってご覧なさい」
「はい」
周囲を静かに飛翔する飛竜たちに届くように。
わたしは両手を組み合わせ、しぜんと祈るようなポーズをとっていた。
手を組むことで、魔力が練られる。練ったものを、周囲にはなつ――勢いは消して、やわらかな風のように。そうしながら、わたしは念じた。それを、言葉にした。
「わたしたちは、魔王の眷属との戦いを控えています」
言葉自体で伝えるのではない。それじゃ、伝わらない。でも、言語化することで自分の意志に方向性を持たせて、明確にして。それで、その想いが届いてくれたら。
今、エルフの力でわずかにあらわれた理想郷のようなこの空間でなら……。
「あなたがたの力を、貸してもらえますか?」
BOOTH の方で、pixivFANBOX の三周年記念企画で書いたリクエストSS集の販売がはじまりましたので、一応おしらせまで!




