375 君が考えていることは少しわかりますよ
「思いついたぞー!」
上機嫌で出現した――むちゃくちゃ心臓に悪い。空間でズルするの、やめてほしい――ジェレンス先生を、我々は疑いの眼差しで迎えた。
なにか思いついたことを疑っているわけじゃないけど、変なことやらされるんじゃないかという疑惑がね? 濃厚なわけですよ……だって相手はジェレンス先生だからね。
「なにを思いついたんです?」
一応は上司である校長先生が尋ねると、ジェレンス先生はにやにや笑顔で答えた。
「いいことですよ」
答えになってないぞ!
「君にとってだけ『いいこと』なのではないと信じていいですか?」
いや駄目でしょうね――とつづきそうな問いかけではあったが、エルフ校長は皆までいわず、ジェレンス先生に喋らせた。
「ウィブルに怒鳴り込まれず、それでいて魔将軍の軍勢もどうにかできる、素晴らしい解決法ですよ」
「ルルベルの負担を軽くできると?」
「もちろん。この樹を少し強化できれば最高なんですが……ルルベル、呪文は唱えなくていい。この樹に聖属性の魔力を流してやることは可能か?」
「え? それはもちろん……でも、今はもう、わたしより魔力量が多いと思いますけど」
「そこだよ。リートに持たせてた魔力玉だけで、この魔力量なんだろ? じゃあ、本家本元の聖属性魔法使いが直接力を流したら、さらに増幅されるとは思わねぇか?」
どうなんだろう。……どうなんだろう?
「やってみないと……わからないですね」
「だろ? だから、やってみようぜ」
気軽におっしゃいますな!
「わたし、倒れたばっかりですけど……」
「あれは魔力切れじゃなく、呪文に意識を持ってかれたんだろ。そりゃ魔力もかなり吸われただろうが、俺が見たところ、もうだいたい復活してる。だよな?」
「それは……まぁ」
いわれてみれば、ぶっ倒れたのにキボチワドゥイが生じてない。
魔法を使って倒れたから、当然魔力切れだと思ったんだけど……そうか。呪文の方か! そういえば、なんか幸せっぽい夢を見てたような気がしないでもない……あれは、トリップかー!
やっぱ地味に危険だな、呪文……。
「少しでいい。いや、少しにしろ。その樹、おまえの魔力を持ってくかもしれんからな。控えめを心がけるんだ」
「僕が補助しましょう。まず僕を通して、その上で樹に魔力を移せば」
「いや、校長、それじゃ駄目だ。ルルベルが直接魔力を通すことに意義がある」
「しかし、魔力を持って行かれたら、今度こそ魔力切れを起こしますよ?」
教師ふたりがバチバチにやりあってるため、わたしはなんだか傍観者めいた気分になってしまった。
……いや、それは間違いだぞ。当事者! むちゃくちゃ当事者!
「あのぅ……お話し中、失礼ですが」
「なんだ?」
「どうしました、ルルベル」
「そもそも、この樹の聖属性魔力を強化したい理由って、なんですか? ここを戦場にするおつもりですか?」
説明が、ないんだわー。いいこと思いついたってやつの、具体的な内容の説明が!
わたしの問いに、ジェレンス先生は笑って答えた。
「まさか。国境は越えさせねぇっていっただろ」
「では、どうして強化するんです?」
「枝だよ」
「……枝?」
ほれ、とジェレンス先生は虚空から枝を取り出した。
……いやいや、なに今の魔法! 空間でズルしてるだろ! むっちゃズルだろ!
「これは、この樹の枝を俺が折ったものだ」
「折った……!」
エルフ校長が卒倒しそうな顔色になったが、まぁ……そうね。聖属性のありがたい樹の枝を、いきなり折っちゃうんだもんね。そりゃショックだろう。
わたしは気にしないけど。だって、この樹の寿命自体が、そう長くないはずだしな……。
「これを鼻先に突きつけてやると、飛竜が追って来る」
「……は?」
「ある程度、この樹から距離をとれば、ますます熱心に追って来る。で、枝を投げれば、投げた方に飛んで行く。……意味わかるか?」
犬? 飛竜って犬っぽいの?
……いや違う。聖属性で癒し効果のある枝だから、飛んで行くんだ。
犬と違って、遊んでほしくて枝を持って来たりはしないだろう……ただその枝がほしくて、自分のものにしたくて――。
「まさか、魔物の群れに突っ込ませる気ですか」
「実際に突っ込むところまで行くかはともかくとして、飛竜を誘導できりゃ、面白いことになるぜ?」
面白いだろうか。
わたしのことをお肉だと思っている気がしてならない飛竜だが、だからといって不幸になってほしくない。こっちの勝手な都合で、魔物と戦わせるなんて……ひどくない?
「……ルルベル、君が考えていることは少しわかりますよ」
「えっ」
エルフ校長が、わたしの手を握った。
木漏れ日を宿した梢みたいにきらきらした緑の眼が、わたしをじっと見る。見透かされてしまう気分だ。
「君は飛竜にさえ同情している。魔王の眷属との戦いに巻き込むことを、躊躇している。違いますか?」
「……おっしゃる通りです。だって、そんなの」
「魔王やその眷属が地上の覇権を握れば、飛竜のような生き物とて無関係ではいられないのですよ」
そうかもしれないけど。……いや、そうなんだろうけど!
「説明して、同意を求める方法があるならそうしたいです」
だって、そんなのずるいじゃん。自分の身に置き換えて考えたら、絶対、嫌だもん。なんか素敵な魔力〜、ってふらふら聖属性魔力に引き寄せられて、気がついたら魔王の眷属との戦場にいました! まぁ大変! ってさ。
ひどいよね? わたしはひどいと思う。
「飛竜との意思疎通ですか……」
「校長先生なら、おできになるのでは?」
それこそ原初の言語とかで、なんとかなるんじゃないかと思ったんだけど。
エルフ校長は、かぶりをふった。
「無理です。飛竜は智慧ある巨大な同一体に起源を持つ幻獣ですが、あのように分裂して卑小な存在となった今は、さしたる知能もありません。あれは、自分たちが大いなるものだった時代を覚えてすらいないでしょう」
なんか今、さらっと変な設定が語られたけど……。えっ? 飛竜って元は大きな竜だったの?
混乱するわたしに、エルフ校長は話をつづけた。
「かつて、竜たちは偉大な存在だったのです。ですが、そのような上位の竜はもうほとんど残っていません。もし、上位の竜を探し出すことができれば、あれらの飛竜たちにものごとをわからせることも可能かもしれませんが――僕は、どこに行けばそうした竜に出会えるかを知りません。エルフですら知らないのです、ほかに竜の居場所を知る者がいるでしょうか」
その問いに、わたしが応じる必要はなかった――いつものように、エルフ校長は自分で答えてしまったから。
「いませんよ。誰も、大いなる竜の居場所を知りません。生き延びている個体がいるかすら」
「でも……じゃあ、その大いなる竜っていうのは、どうして分裂? ……みたいなことに、なっちゃったんですか?」
「絶望してしまったのですよ」
「なにに?」
「なにもかもに。生きるということに、この地上に在るということに、すべてを知るということに」
エルフ校長の声が少し辛そうだったのは、共感できちゃうからなのかなぁ――なんてことを思った。
もしかすると、人間より竜の方がエルフに近い存在だったのかもしれないよね。
「たとえそうだとしても、一回、対話の努力をしてみたいです」
はぁぁぁぁぁ〜……って、すっごい長いため息が聞こえた。ジェレンス先生だ。
エルフ校長は、わたしの手を握って真正面からじっと見てるだけ……ううう、穴が空きそう!
「若いなぁ、ルルベル」
「十六歳です」
「若い! ああ考えたくねぇ……。俺でこれだから、校長なんかどんなんだ」
「年齢については、なんとも感じませんね」
そこは達観してるのか!
まぁ、エルフ校長からしたら、わたしでもジェレンス先生でも似たようなもんだよな。全員、若い。
エルフ校長にとって、何回も体験したか目撃したかしてきたような愚かで無駄なことを、次々とやらかすんだろうな……わたしたちってさ。
「……とにかく、わたしは納得いきません。飛竜にも、魔王の眷属との戦いに参加する意義はあるっていわれたら、それはそうかもしれないです。でも、わけもわからないまま参加させられるのは、違いませんか? たとえ話が通じないにしても――」
「いいでしょう」
「――え?」
びっくりしたわたしに、エルフ校長はとても真面目な口調で告げた。
「対話をこころみたいんですね? 僕が一緒に行きましょう」
ようやく『FANBOX三周年企画SS集』の BOOTH での販売の目処が立ちましたので、そこそこ通常ペースの更新に戻れると思います!
戻れるといいなぁ……でも次から次へとやることがあるんですよ、確定申告とか……。




