369 食べたいリートは従順である
カチコミかけるまでに、かなりの猶予が生じてしまった。
ジェレンス先生も囮作戦には同行しないとのこと。たぶんだけど、戦力を隠すためだろうな……敵の魔将軍とやら、おそらく魔力感知にも長けてると考えるべきだし、念を入れて近寄らないでおこう、って話だ。
わたしはわたしで、魔力の種類がね。聖属性が来てることはギリギリまで隠しておきたいから、万が一を考えて戦場には近寄らない。
……つまり、暇。
「ジェレンスは、相変わらず余裕だな」
呆れているのを隠せないのは、デイナル様だ。
「余裕なくなったら、俺じゃねぇからな」
「それにしても、今やることか? 腸詰めの食べ比べ」
今やることじゃないと思います! それをやるのがジェレンス先生ですが!
「今やらなきゃ、いつやるんだよ」
開き直ってるジェレンス先生の前には、ボイルしたての腸詰めが並んでいる。湯気がたつ見た目だけでもう美味しそうだし、匂い……匂いもやばい……。
厨房からもらって来た数種類の腸詰めを、ひとつずつ味見しているのである。我々――わたしとリートとナヴァト――もご相伴にあずかっていいらしいし、正直この匂いだけ嗅がされて食べるなといわれたら暴動を起こしそうだけど、それにしても。
今やることじゃないと思います!
「まず、これは……ああ、北の村で作ったやつだな」
そういって、ジェレンス先生は茹でたての腸詰めを食べた。そして、わたしたちを見て告げた。
「おまえらも食え。うめぇぞ。でも、これは優勝って味じゃねぇんだよな……なんていうか、なつかしい基本の味っていうかさ」
わたしたちが一本ずつ取ると、デイナル様のぶんはない。視線で悟ったのか、デイナル様は爽やかな笑顔でこうおっしゃった。
「ジェレンスにつきあう気はないからね。君らだけで食べてくれ」
「デイナルは、お目付役だろ?」
「困ったことをしたら、シュルージュ様にご報告する役だね」
「やっぱりか。今日は腸詰めの食べ比べをしてました、って律儀に報告すんのか」
「困るってほどのことでもないからな。どうしようかな?」
苦笑して、デイナル様はわたしを見た。共犯者めいた眼差しで、どう反応すればいいのかわからない。
「先生、わたしは遠慮します。デイナル様に食べていただいてください」
「なにいってんだ。若い者が食べるべきだろ」
「……先生とデイナル様って、どちらが年上なんですか?」
わたしが尋ねると、ジェレンス先生は目をパチパチっとした。あれっ? って顔だ。
「どっちだっけ?」
素直に尋ねるジェレンス先生に、デイナル様がまた呆れ顔になる。
「君の方が年下だよ」
「そうなのか。じゃあ、やっぱり俺が食べて正解だな!」
そういう問題なのだろうか。
「聖女様がお食べにならないなら、俺が謹んでいただきますが」
外面をとりつくろいつつ、食欲の隠せないリートの発言である……腸詰めは飲み物じゃないぞ?
ジェレンス先生は笑いながら、こう返した。
「聖女様がお食べにならないなら、俺が謹んでいただくに決まってるだろ」
低レベルの無駄な争い……。なんなのこれ。
魔王復活が近いと予言されている上、魔将軍が四桁の魔物を率いて攻めて来てる状態で、こんな遊びができるやつらいる? ここにいるけど、心臓が強過ぎない?
……ジェレンス先生とリートか。あー、どっちも心臓の強度が規格外だわ! 今さらだった!
「デイナル、伯母上からの定時連絡がそろそろじゃねぇか?」
「……まだ少し早いよ」
「定時連絡? 通信はどうやるんですか?」
「狼煙ですよ、聖女様。ですので、見晴らしの良い場所に行く必要があります」
「えっ、でも現場はけっこう遠いんですよね?」
「魔法の狼煙ですから」
……あっ。そういうやつか。
「魔道具ですか? たしか、空間魔法の呪符で距離を縮めるのがあった気が」
デイナル様は、にっこりした。うわぁ、笑顔がまぶしい……。
「よくご存じですね、聖女様。その通りです。空間魔法の呪符をもちいて、あらかじめ登録した送信先から見えるようにするものです。使い捨ての上に高価なもので、滅多に使用しないんですよ」
ここぞというときに使うために、とってあるやつだな。
わたしだったら使いそびれる気がする。ラスト・エリクサー症候群だから。貴重な回復アイテムを握りしめたまま、バッタリ倒れるタイプだからね!
「今こそ使うべきとき、というわけですね」
「ええ。便利なものです。ただ、位置を変更しても狼煙という形態自体が変わるわけではありませんから、見晴らしの良い場所から見る必要はありますが」
「呪符魔法も万能ではありませんものね」
「それ、もっと手軽に使えるのをファビウスが校長と共同研究するっていってたぞ」
割り込んで来たのはジェレンス先生であるが……なんて?
「共同研究? えっ、ほんとですか」
「おう。俺もびっくりしたんだ。意外だろ。校長って、そういうの協力するように見えねぇし」
「いやまぁ……どうなんでしょう」
「これからのことを考えたら、確実な遠距離連絡の魔法は欲しいからな。そして、空間をズルするのはエルフが強い」
ズルする、って! いいかたー!
「早く開発されてほしいですね」
「ま、でも今は狼煙なんだからしかたねぇだろ。そろそろ行って来い」
「君はいつも偉そうだなぁ。それに、こんなにわたしを追い払いたがるのも、怪しいね」
「お目付役を追い払いたがらない方が不気味じゃねぇか。行け行け、さっさと行け」
ジェレンス先生は、手をひらひらさせる。とても感じが悪い。
苦笑して、デイナル様はわたしに一礼した。
「では聖女様。しばし、御前をお暇つかまつります」
「お役目、ご苦労様です」
デイナル様が出て行くと、ジェレンス先生は腸詰めを食べる手を止めた。そして、リートに命令した。
「リート、これ食べたいなら袋に詰めろ。すぐにだ」
「はい」
食べたいリートは従順である……。リートをあやつるには、肉を用意すればいいのか! 学んだぞ!
ちょっとした発見を噛み締めているわたしの横で、ジェレンス先生は床にしゃがんで、なにか書きはじめた。……あれっ? これはなんとなく……なんとなくだけど、見覚えが。
「転移陣じゃないですか」
「お目付役がいない今のうちだ」
本格的な脱走を考えていらっしゃる!
「いや、やめてくださいよ。どこに行くっていうんです?」
「もっと心が休まる場所だ。こんなこともあろうかと、出口は書いてある」
無駄に準備がいい! と唖然としているあいだに、ジェレンス先生はシュシュッと図形を描き終えた――そう、かなり複雑で、大きいだけにバランスをきちんととるのが難しい、難易度の高い図形のはずだけど。さすがだなぁ! すっごい綺麗。
「おい、行くぞ。一回使い切りだから、俺と手を繋いで同時に入れ」
「置いて行ってくださっても……」
「いや、駄目だ。おまえらが気もち悪がるから、わざわざ転移陣にしたんだぞ。無駄にする気か」
ええー……。
逆らうすべもなく、ジェレンス先生の左手にわたし、右手にリートとナヴァト忍者が掴まって、出発!
……いつもの虚無なやつと比べて、体感経過時間がゼロ。心と体にやさしいわ……転移陣。
「よし」
で、着いた先はといえば――あっ、ここ見覚えがある!
「坊ちゃん……困りますよ、ほんとに」
「大丈夫、迷惑はかけねぇから」
前に連れて来てもらった、腸詰めが美味しいお店! ……の、裏手のスペースだ。先生、いつの間にここに出口を描いてあったの? 準備が良過ぎない?
店のおじさんも、わたしのことを覚えていたらしい。
「おや、お嬢さんは坊ちゃんの教え子だね? そっちのふたりも?」
「そうだ。優秀な生徒たちに、トゥリアージェ一美味しい腸詰めを食わせてやろうと思ってよ」
「またそうやって、いい気分にさせて……はいはい、すぐお持ちしますよ、トゥリアージェでいちばん美味しいのをね!」
前に来たときは紅葉がみごとだったけど、今はもう裸の木が多い。常緑樹も少々。
風が吹くと、戸外で食事をする季節ではないのでは? と思う。
「先生、屋外に長居するのは賢明ではないと思います」
同じことを考えたらしいリートが意見した。ジェレンス先生は鼻を鳴らして答える。
「んなもん、壁を作りゃ問題ねぇよ。腸詰めが来たらすぐやる」
「はぁ……では俺はこっちの腸詰めを食べても?」
「食べてもいいが、その袋は保存の魔法をかけてあるから有効活用しろよ?」
「どういうことですか、先生」
わたしが尋ねると、ジェレンス先生はにやりと笑った。
「俺たちの『別行動』ってのは、もうはじまってるんだよ。いつ、どこから、どうやって来るかを完璧に隠すために、姿をくらましたんだ」
頑張りました!




