368 俺は伯母上とは戦いたくねぇな
「窓が開いたから、気になってな。そしたら腕が見えて、助けを求めてるかと急いで来てみりゃ、こうだ」
その窓から部屋に入るなり、ジェレンス先生は片手を前に突き出して、つぶやいた。
「不安だな……」
ぎゃーっ! 再現しないでーっ!
「で? なにが不安なんだ。さっきの会談の行方か?」
「教えていただけます? 親衛隊も、呼んでいいですか?」
「あー……まぁ、教えるのはいいが、呼ぶ必要ねぇよ。リートはどうせ聞いてんだろ」
「ではナヴァトを呼びます。扉の前にいますから」
「お? 番してるのか。さすが騎士だな」
わたしが扉を開けるより、ナヴァト忍者がノックする方が早かった。
「聖女様? なにかありましたか」
「しっ。ジェレンス先生が来て、どうなったか話してくれるみたい」
「来て? ……なんで窓から」
「わたしが窓を開けたから、見に来てくださったんだって」
「わかりました。失礼します」
というわけで臨時の会合スタートである。
「どうなったんですか、あのあと」
「穏当な感じにまとまったぜ? それ以外にやりようがない、って場面ではあるからな」
魔将軍率いる魔物の群れは、基本的には物量で押して来ているのだそうだ。
西国側には、それを押し返せるほどの兵力がない。さっさと通過させてしまえ――という方針なのだから、当然だ。
とはいえ、通過される地域も、それではどうぞ押しつぶして通ってください……とは、できない。心情的に難しいのはもちろん、敵も抵抗を誘って来るのだという。
「たぶん、指揮してる魔将軍の性格なんだろうな。いかにも本隊から脱落した風であるとか、斥候だけどうまく隠れられませんってな風を装った釣り餌を出すんだよ」
「釣り餌……」
「敵にあなどらせる。攻撃を誘っておいて、注意の外から襲ってくる」
悪趣味だが、効果的だぜ? とはジェレンス先生の評である。
「それで被害が増えてるんですか」
「だろうな。慣れ親しんだ土地を魔物が蹂躙するにまかせるってのは、つらいもんだ。あの間抜けなやつが相手なら、一矢報いることができる――そう思っちまえば、逃げるのをやめて攻撃したくもなるだろう」
「それが相手の狙いなんですね……」
「であれば、敵は進軍速度を最重要視しているわけではない、と」
ナヴァト忍者が指摘すると、ジェレンス先生は肩をすくめた。
「まぁな。そういう小競り合いをしてなけりゃ、とっくに国境を越えてただろう」
「西国の方針は、あまり効果を上げてない……ってことですか?」
「早く通過してほしい、ってやつか? そうだな……」
わたしの問いに、ジェレンス先生は少し考えてから答えた。
「全体に、やることが中途半端なんだよな。魔将軍とその麾下にある魔物を真面目に叩くとなると、西国にもかなりの被害が出るのは間違いない。自国を通過しそうだと踏んで、移動経路にある程度の犠牲を移動経路に強いる方針を選んだことは、そう間違いでもないだろう。国全体を見た上でならな。ただ、通行を阻害してないだけで、追い立ててるわけじゃない」
「でも先生、追い立てられたら、我が国が困るのでは……」
「それ以前に、外交問題になるぜ?」
あー。魔物の群れを貴国へ押しつけますのでよろしく! ってことだもんな。
「だから、できなかったんですね」
「そういうことだが、うちの国から苦情が来るところまで織り込んで、さっさと追い立てりゃよかったんだ。腰が引けて半端なことするから、こうなるんだよ」
それは腰が引けてもしかたがないのではないだろうか? ……と、凡人としては思っちゃうね!
もちろん、半端なことなどしないってメンタルがあればいいんだろうけど。
……わたしの周りって、そっちの方が多そうだな。ジェレンス先生とか、リートとか? エルフ校長も、ああ見えてわりと極端なことするし……あれー、待って待って、腰が引けそうな人材が不足してない?
「パトラ卿みたいな、戦えば勝てると思いこんでるやつらを、そういうとこで使えばいい。同時進行で、聖属性魔法使い様のお力におすがりしたいとかなんとか連絡送っておきゃ、まぁ体裁はつくだろ」
なんだ。ジェレンス先生、外交もできるんじゃないの? 順当に領主になれちゃうんじゃ?
……いや、ジェレンス先生の将来の話はどうでもいい。
「わたしたちは、それをやるんですか?」
「それ?」
「追い立て役です」
「なんで自国に招き入れなきゃなんねぇんだよ。国境は越えさせねぇよ」
いかにも簡単そうにおっしゃいますね……。
「それが可能な距離がまだ残されているんですか」
この質問は、ナヴァト忍者だ。おう、とジェレンス先生はうなずいた。
「今なら余裕だ。まだレデルラントにも入ってねぇからな」
レデルラント……ああ、市長男爵が来てたところか。
「作戦も決まったのですか?」
「大まかなところはな。釣りができるのは、あっちだけじゃねぇってことだよ」
「囮を使うんですか」
「そういうことだ。で、ルルベル。で、今の予定では三日後なんだが――」
キタァ……。
「――伯母上が、囮部隊を指揮する。俺たちは、別行動だ」
……アレ?
「わたしが囮になるんじゃ」
「なにいってんだ。おまえは主力だ」
「主力……」
「先方の意識が囮に向いてる隙に、俺たちは本陣に切り込む」
カチコミ担当かーい!
……いやでも考えてみれば、東国行ったときも、そうだったわ。今さら、おどろくことでもなかったわ。ジェレンス先生の通常営業だわ。
「ジェレンス先生って、強過ぎて作戦が雑ですよね……」
「雑でも勝てるからな」
「魔将軍の種族は判明したのですか」
尋ねたのは、ナヴァト忍者だ。ナヴァト忍者も強いはずなのに、そんなに雑じゃないなぁ。
「いや。巨人でも吸血鬼でもないのはわかってるけどな」
「吸血鬼ではない?」
「吸血鬼だったら、あんなに血まみれになんねぇから。戦場が」
……そういや、戦場のありさまは悲惨とかいわれたな……。いや、やめよう。深く考えない!
「有力候補はありますか?」
「魔人族のどれかだろう。知恵が回るからな」
魔人族っていうのは、大雑把にいうと人型の眷属全般をさす。種類は多いが、よく知られているのは吸血鬼とか……あとはその……淫魔とか? 乙女的にはちょっと遭遇したくないやつだ。
ほかにもいろいろいるけど、有名どころはそのへんだよね。精神支配が巧みなタイプが多い。
「魔物軍の規模はどれくらいですか」
「増減激しくてなんともいいがたいが、まず二千はくだらん」
四桁かぁ〜。えっ、四桁の本陣にカチコミかけるの? 自殺行為じゃないの?
「シュルージュ様は別働隊なのですね」
「おう。囮部隊の指揮官だ。戦場を見た感じ、あれだけ血があるなら伯母上が有利だ」
血があるなら有利?
……あー! 生属性魔法だからか! 血を利用できるのか……。
いやなんか怖いな……これも深くは想像しないことにしよう。そうしよう。
「少人数の囮を指揮するのに適している、と」
「そういうことだ。で、払暁から第一回の囮作戦で」
「早いですね」
「早くしねぇと、市長が禿げ上がるからな」
「ジェレンス先生……。人様の肉体的な特徴をあげつらうのは、よろしくないですよ」
「ああ、伯母上がいるところで口走らねぇように気をつける」
そういう問題じゃ! ないぞ!
まぁいい。よくないけど、しかたない。注意はした!
「本陣を狙うのは三日後ということは、囮作戦は何回かやるんですか?」
「どれくらいの頻度でやるかは、第一回を試してからだな。伯母上が決める」
実地に感触を確認して、どれくらいできるかを計算するということか。
「シュルージュ様って、そんなにお強いんですか?」
「強いぞ。正直なところ、俺は伯母上とは戦いたくねぇな」
「えっ。そこまでですか?」
「そこまでだ。俺の方が魔力も多いし、魔法使いとしての腕も負けちゃいねぇ。けどなぁ……」
「けど?」
「覚悟が違うんだよ」
覚悟……。
「なにをどこまでやる、っていう判断の速度だな。重みっていうか。魔法って結局イメージだろ? だから、絶対にこれはこうするっていう覚悟が強いほど、起こりが早い」
「起こり?」
「魔法の起動だ。達人同士の勝負では、それが勝敗を分けることが少なくない。互いに一撃必殺の魔法をくり出すとして、早さは武器だ。迷ってるあいだに負ける」
「なるほど……」
「おまえの親衛隊も、そういう点では強いぞ。リートは容赦ねぇし、ナヴァトもだ」
リートが容赦ないのはわかる。ナヴァト忍者もまぁ……武人なんだもんな、根っこが。任務に必要なら、なにも考えずに攻撃に出そう。
たぶんこの「なにも考えず」が、先生のいう「起こりの早さ」に通じるんだろう。
わたしには無理だな、って思った。いつだって、うだうだ迷ってる。
でも、ジェレンス先生はこういってくれた。
「だから、おまえはゆっくり考えていいんだ。焦る必要はない」
明日は更新休みになるかもしれません。
更新できていたら「よく頑張った!」と心の中で褒めてやってください。




