361 復路は勝手に歩いて帰ります
あんまりよく寝られなかったけど、夜は過ぎて、朝が来た。朝食をとり、ジェレンス先生の迎えを待つ。
ファビウス先輩曰く、戦力的にはさほど心配しなくてもいいだろうとのこと。
「当代最強のジェレンス先生だけじゃなく、〈真紅〉もいるからね」
「〈真紅〉……」
「ジェレンス先生の伯母上だよ。我が国最強の生属性魔法使いと謳われていた御仁だ。今ではウィブル先生がそう呼ばれてるけど……戦闘力に限っていえば、最強の座は揺らがないという評判だ」
なるほど。
伯母様って、ジェレンス先生が個人的に怖がってるだけじゃないのね……。怒らせないように気をつけねば!
「わかりました。安心して行って参ります」
「うん……」
どこか歯切れの悪いファビウス先輩、ちょっと珍しい。
「どうかなさいましたか」
「君に安心してほしいと思って、心配ないと伝えたのにな。僕が、心配でたまらない」
そういって、少し眼をほそめるの……いやもうマジでアレ。キュンとしちゃう。
のどかな感想で頭がお花畑だといわれるかもしれないが、キュンとするものはするんだ、しかたがない!
「それは……逆の立場だったなら、わたしだって同じだと思います」
「うん。それでね……まだ万全の出来じゃないんだけど、受け取ってくれるかな」
そういって、ファビウス先輩が取り出したのは、ハンカチの上に載せられた銀色の腕輪だった。
……あ! 指輪の代わりかぁ! そういえば作るっていってたな。
「位置情報ですか?」
「それと、昨日――殿下に魔力をこめてもらったんだ。一回限定だけど、反転属性の魔力が使える」
「……へ?」
反転とは、シェリリア殿下の激レア激つよ属性だが……一回、使える?
「ルルベルが知覚できる範囲でないと発動できないけど、たとえば誰かに直接的に暴力をふるわれそうになった、みたいな場面で発動させるといい。相手は自分の力を自分で食らうことになる」
「ど……え……そんなの、できるんですか?」
「使いかたは、簡単。相手を意識して反転って叫ぶだけ」
「タドゥム……原初の言語ですね」
「うん。これなら覚えられるだろうし、ふつうの会話でうっかり使わない。訓練した治癒の呪文にも含まれてないはずだ。校長先生にも確認した」
ぬかりない! さすファビー!
「できれば、上腕部にはめてほしいんだ。僕が……と、いいたいところだけど」
「じ……自分でやります!」
長袖をそんなに捲り上げるのもなんか……意識しなきゃいいんだけど、もう意識しちゃったから無理無理!
ファビウス先輩は苦笑した。
「そういうと思った。……もっといろいろ準備できればよかったけど、急だったからなぁ」
デスヨネー!
「着けてきますね」
「うん。大きさは自動で合うようになってるから」
というわけで、わたしは別室に駆け込むと、むちむち度が上がってきた気がする――そう、気になっているのは腹回りだけではないのだ!――二の腕に、腕輪を通した。
一応、通す前に眺めてみたんだけど、刻まれてるものって、またほら……半導体ですか? って感じのむちゃくちゃ精緻なやつで。素人がちらっと見たくらいでは、なにがなんだか! である。
反転の魔力は、シェリリア殿下にこめてもらった……ってことは、呪符で表現できてるわけじゃないんだよなぁ。でも、この呪符のどれかは、こめられた魔力を発動させるための仕掛けのはずだ。
「ルルベル、どう? うまくはまった?」
「あ、はい! 大丈夫そうです」
ぴたっとはまった腕輪は透明になったけど、さわってみると硬いのがわかる。指輪のときと同じだ。
「ジェレンス先生が来たよ」
「今行きます!」
衣服をととのえて玄関ホールに戻ると、たしかにジェレンス先生がそこにいた。手に……毛布を持っている。
そうよね……地上で転移するわけにいかないから空に上がるし、寒いし、下から見えたら困るからね……。
「おはようございます、先生」
「おう。支度はできたか? ……って。おまえ、制服で行く気か?」
「えっ? 駄目でしたか」
「駄目に決まってんだろうよ。わかりやすく正体バラシてどうすんだよ」
……あっ。そうか! 公式訪問じゃなく、隣国に行くんだった!
「ええと……動きやすい服は着替えで持ってますけど、その……貴族のかたと会食とかそういうやつがあったりは?」
「あるだろうなぁ」
デスヨネー……。
「そういう場面で着用できるドレスがないんです。……舞踏会のときので大丈夫です?」
「いや、あれはヒラヒラし過ぎだろ。会食つっても戦場だ。華美な服装は嫌がられる」
えー! そんな難しい条件! わたしのワードローブなんて、制服か、一応着替えとして持ってる入学前の庶民の服か、パーティーのときに着たドレスかの三択だぞ!
「無理です、先生」
「しまったな……僕もそこまで考えてなかった。ごめんね、ルルベル。気がついていれば、殿下からお借りできたんだけど」
さすファビしそこねたのを悔いているらしいファビウス先輩に、わたしは首と手をぶんぶんふりながら答えた。
「そんなの、ぜんっぜん! むしろ、お借りするには畏れ多いかたなので……」
「まぁいいか」
「先生?」
「出発が遅くなってもまずいしな。向こうで調達しよう」
「向こう、って」
「伯母にたのめば、なんとかしてくれる」
「いや、伯母様にもきっといろいろご都合が」
「行くぞ、ルルベル。毛布巻け」
「先生」
「巻かないならそのまま飛んでくぞ」
わたしは巻いた。
だって空の上は寒いし、下から見られて社会的な死を迎えたくないし!
毛布を巻き終えたところで、ジェレンス先生はわたしをひょいっと抱えた。いわゆるお姫様抱っこである――入学してからもう何回めかよくわかんないけど、なんかこう……ファビウス先輩の目の前でやられるの、抵抗あるというか……。
ねぇ! この乙女心をわかってよ!
とはいえ、ジェレンス先生には無理だろう。リートも。ナヴァト忍者はワンチャン理解してくれるかもしれない。
ファビウス先輩は、むちゃくちゃ嫌そうな顔をしていた……あっ、この表情はレア!
そのままジェレンス先生は外に出て、荷物を抱えてついて来た親衛隊たちに、両肩に手を乗せるよう指示した。
「じゃ、行ってくる。無事に旅立ったと校長に伝えてくれ」
「わかりました」
玄関前でそんなやりとりをする頃には、ファビウス先輩は平気な顔をしてたけども。
視線が合うと、にっこりしてくれたけども!
「い……行ってきます」
「うん。ジェレンス先生、リート、ナヴァト……ルルベルを、たのみます」
「まかせとけ。おまえの方こそ、うまくやっとけよ」
「もちろんです」
「上がるぞ」
と声をかけて、次の瞬間にはもう、我々は空の高みにいた。リートはちゃんとジェレンス先生の肩にくっついてるのが見える。ナヴァトもいるはずだ……角度的に見えないけど、背後に魔力を感じるから。
見下ろすと、豆粒ほどの大きさになったファビウス先輩がいた。研究室って、上から見るとほんとにドーナツみたいな形をしてるんだな……ドーナツがドーナツっぽい大きさになる頃には、ファビウス先輩は胡麻粒以下、もういるのかいないのか不明。
「こ……こんなに高く上がる必要あります?」
「早く転移したいか?」
「したくないです」
「するけどな」
容赦などない! わたしはあわてて注意喚起の声をあげた。
「虚無が来るからね! そなえて!」
「は?」
どっちが問い返したのか
わから
ぐへぇ
無
「……っはー!」
慣れない! もうほんと慣れないし、これ最低!
もしかして距離に応じて副作用的なサムシングが強くなるのかな……わからん。本人は、平然としてる。
「点呼するぞ。ルルベル」
「はい……」
「リート」
「はい」
「ナヴァト」
「はい」
皆、声に元気がない。リートが弱々しい口調で申し出た。
「先生……提案があります」
「なんだ」
「復路は勝手に歩いて帰ります」
「駄目に決まってるだろ。おまえはルルベルの安全保障担当だ」
「では、ルルベルにも歩いてもらいます」
今の気分としては、イイネ……その案、乗った! ……って感じ。
「もちろん駄目だ。そら、景色でも見て気分直せ。あれが伯母の居城だ」
いわれるまま、眼下に広がる風景に注意を向ければ。
うわぁ……星だ……五芒星じゃなく八芒星だけど……、五稜郭みたいな構造の、星形城塞だ!
王都で見慣れた王宮や離宮とは、まったく違う。あれは、戦うための城だ……。




