360 すぐ覚えられるとは思わないでね
「そりゃ、今までの! いきなり発進よりは親切っていわれたら、否定できないけど! 今までが非常識過ぎたってだけだし、他言無用っていわれちゃったし、信用なくて誓約魔法まで使われたし、ほんっとに! ほんっとにもう!」
わたしが叫んでいるのは、ファビウス先輩の研究室の中庭である。
当然、親衛隊は同行するから知っている。家主であるファビウス先輩も含めて、そのへんは誓約の範囲外。
遠征を告げたとき、ファビウス先輩には心配そうな顔をされてしまった。……まぁそうだよな。逆だったら、わたしも心配だよ。たとえ引率が当代最強のジェレンス先生でも、行き先は魔将軍がブイブイいわせている西国である。
「元気だな」
これはリート。いわなくてもわかると思うが、リート。
「元気じゃないわよ。これはただの八つ当たりよ。ムキーッとなってカーッて発散してるだけよ!」
「意味がわからん」
わかれよ! いやまぁ、どうでもいいか。どうでもいいな!
夕食は、ふつうに皆と食べるようにといわれたので、ふつうに皆と食べた。そして、例の新入生の件はもう喋っていいともいわれたので――情報源なんだろうから隠す意味もねぇだろ、とジェレンス先生がいったのだ――話した。
わたしの態度がちょっとおかしくても、その話題のせいだと誤解されただろう。いや、それも誤解じゃないかもしれないしなぁ……うーん、そっちも問題だよ。
わたしがいないあいだに新入生がね……聖女ヒロインちゃんらしく皆に愛されちゃったら、どーすんの?
偽物聖女め! みたいなことに……ならないか。なったらすごいな。それこそ、なにかの魔法がはたらいたと思うしかなさそうだ。
「喋るなっていわれたら、ちゃんと黙ってるのに……。誓約魔法なんて」
「国際問題になりかねないから、安全策をとっただけだろう」
東国に行ったときとはワケが違う。
あのときは、なんだかんだ当時は王子様だったファビウス先輩がバックについてたし、必然的にファビウス先輩のご生母様や、交渉相手の王太子殿下も認めていたのだ。ジェレンス先生とわたしが来てる、ってことを。
でも今回は、西国の王族が味方にいるわけじゃない。王族と対立している地方貴族の求めに応じての出張なのである。
ざっくり説明すると、ジェレンス先生の伯母上――つまり、西国と国境を接する領地を持ち、その国境の向こう側まで名が轟いているという戦闘力高めの魔法使いに、支援要請が来たのである。もちろん、国には内密に。
だから、央国王室にも内緒ってこと。
どっちに知られてもヤバいので、そりゃまぁ……国際問題か。でもさぁ!
「それに、君は迂闊だからな」
「なによ」
「黙っているつもりでも、口がすべることもあると思われたに違いない。俺だって、そう判断する。誓約魔法なら、うっかりでの失言も封じることができる。当然の措置だ」
そうかよ! ムキーッ!
「聖女様、申しわけありませんが確認していただけますか? このへんの曲線に自信がなくて……」
ナヴァトが差し出したのは、呪符だ。なんとびっくり、呪符魔法についてだけは、この天才よりわたしの方が経験豊富なので、こういう現象も起きるのである。
「これは?」
「波属性の、消波か」
もちろん図形の暗記については、リートが一万歩以上余裕で先を行っている。描くのがヘタクソなだけだ。
「はい。いろいろ役立てることができるので」
「そうなの? たとえば、どんな?」
「打ち消しですね。魔力に干渉し、魔法を歪めることができます。つまり、相手の術を破ることが可能になります」
「……じゃあ、ナヴァトが光魔法で姿を消してるとき、これを使えば――」
「まともに当てられれば、姿消しが解けてしまいます」
「――そんなことが可能なんだ、波魔法」
波属性も、稀少属性のひとつだ。うちの学年、稀少属性の宝庫といっていいと思うけど、わたしの知る範囲では、波属性はいない。
稀少だから有用とも限らないんだけど、そんな使いかたができるなら、有用・オブ・有用といっても間違いではないだろう。ジェレンス先生とだって競り合えるんじゃない? あらやだ、いたら仲良くなりたいわ!
「ところで、君に余裕がないと思って今まで控えていたのだが」
「えっ」
リートが遠慮するだと!?
びっくりしてじろじろ見てしまったわたしを、誰が責められるだろうか? エルフ校長ならここで、いや、誰も責めることなどできません――って、つづけるだろうな!
「呪符の基本図形と、その呼称の対照表。とっくに完成している」
あー……。リートが図形覚えるのは得意でも描くのが下手で、わたしがその逆だから……円を描けといったら円を描けるように、もっと複雑な図形も口頭の指示で描けるようにするっていう企画!
完全に忘れてたわ。
「……暗記しないと意味ないやつ?」
「そうだな」
「だよね……」
「ファビウスにたのんで、絞り込んでもらったものがある。まず八種類。それだけ覚えれば、その消波の呪符も描けるようになる」
「えっ。それって、かなり便利なんじゃ?」
「その通りだ。覚えろ。今夜中に」
「……今、余裕あるように見える?」
「余裕を作るためだ。魔力感知を取り戻した以外、君はなにか進歩したか? ぶっつけ本番で効果もあやしい治癒呪文に期待をかけるより、即効性のある呪符を描けるようになる方がいい。八種類だ。難しいことはない」
うぐぅ……なんという正論。
ただでさえ、古代エルヴァン文字の発音とか、発声とか、人間以外のサムシングの気もちになるとかで頭がパンクしそうなのに……そこへ持ってきて、国際問題になりそうな隣国への遠征とか、どうせジェレンス先生だから無茶振りするんだろうなとか、留守中に入学するらしい第二の聖女とか、その背景とか黒幕とか思惑とかいろいろいろいろ!
……もう、もう、やだやだやだやだやだー!
と思ったが、わたしはリートが突き出した紙を受け取った。
だって、死にたくないもん。
もちろんジェレンス先生がいる。リートとナヴァト忍者もいる。だけど、吸血鬼にしろ巨人にしろ、厄介な相手は単体だった。吸血鬼は下僕化した人間を使ってきたけど、シスコなんか見事に耐えてみせたし……わたしが向き合うことになるとき、相手は一体だけだったのだ。
でも、今回は魔将軍率いる魔物の一群が相手なのだ。なにが起きるかわからない。
「すぐ覚えられるとは思わないでね」
「わかっている」
「隊長、俺にもいただけますか? 聖女様ほどではありませんが、多少は描けるようになりました」
「おまえはそれより呪符自体を暗記した方がよくないか。描いてあるのを見たときに、判断できるように」
ナヴァト忍者は天才枠なので、暗記力も悪くない。リートやファビウス先輩みたいな規格外と比べたらちょっと落ちるんだろうけど、わたしと比べたら! ぜんっぜん! ……なんか、滅入るな。
「呪符の暗記も暇を見て進めますが、これはこれで使える可能性があります。隊長の指示で描けるのが聖女様おひとりよりも、まさかの備えになりますし」
「それもそうだな。では、複製を作ろう」
「お願いします」
危機意識が仕事してる……。
わたしはソファに腰を下ろして、ぐんにゃりした。もう嫌だ。
聖属性魔法使いなんだから、頑張らなきゃ……。でも疲れたよぉ。
頭の中にエルフ校長があらわれて、エルフの里に行きましょう……っていうけど、それはそれで究極の選択な気がするなぁ。だって、エルフの里で気が休まると思えないもん。
「戻ったよ」
ファビウス先輩の声がして、わたしはガバッと起き上がった。
そう、今までファビウス先輩は留守だったのだ。わたしの西国遠征話を聞いてすぐ、ちょっと確認してくるといって出かけてしまったのだ……どこに行っていたのかは知らない。いちいち訊くのもね、信頼してないみたいで嫌じゃん?
……わたしは傷ついているのだ、誓約魔法のせいで。自分がこんなに繊細だとは思わなかったわー。
「お帰りなさい」
「一応これ、渡しておくよ。ルルベルが手助けすることになりそうな西国貴族の一覧表。派閥の力関係と、王室との距離感を五段階評価で付記してある。ある程度の縁戚関係もわかるようにしてあるよ」
……なんかすごい外交資料出てきた!
「ありがとうございます」
「俺が預かります」
ヨシ! リートが覚えろ! そして良い方の外面を最大限に活かせ!




