354 だいたいは発酵させちゃうからね
「なるほど……実技試験にそなえるために、技術を磨きたいということだね?」
わたしの簡略な――正直にいうと、ちょっと言葉がたりない感じの――説明を聞いて、ファビウス先輩はそう解釈したらしい。完璧である。
……あのね? ちょっと、自己弁護させてほしい。
言葉がたりなくなったのは、魔力に着色してもらうといいかもという話を削除したからだ。
そんなの口にしたが最後、ファビウス先輩はにっこり笑って、じゃあ僕に手助けさせてくれる? ってあざとい上目遣いでシスコとわたしを見るに決まってる。シスコが恐縮し過ぎて胃を痛めかねないだろ、そんなの!
誰もわたしが省略した部分を補足しようとはしなかった。シスコとナヴァト忍者は当然意図を汲んでくれたんだろうけど、リートは……リートはなぁ。黙っててくれと祈るしかない。
「シスコ嬢、僕にも見せてくれる? 渦魔法を使ってるところ」
ファビウス先輩の提案で、シスコはさっきと同じように渦を作って見せた。
全員が見守る中、コップの中に渦が生じる――やっぱり、コップの外側に魔力が漏れてる。
「そうだな……。まず、立ち上がりに時間がかかってるのは自覚ある?」
え、そうなの? 知らなかった!
本人は気になっていたらしく、ちょっと悔しそうな顔でうなずいた。
「はい。どうしても、実際に作用するまでに少しかかります」
「渦属性に限らないけど、技術的には初動が難しいんだ、魔法ってものはね。なぜだと思う?」
「……物理干渉に至るまで、魔力を圧縮・操作する必要があるから、でしょうか」
本に書いてあったような答えだ。さすがシスコである。
魔力というものは、本来、物理干渉力が弱い。もともとは物理現象など起こし得ないものを、この世界に影響を及ぼすかたちに変化させて、使う――それが魔法である。これも、どこかに書いてあったような話。
わたしの魔力は、ちょっと特殊なのだ。これは、あんまり知られてない話。
「うん、正解だけど――」
そこで一旦、言葉を切って。ファビウス先輩は、無駄に魔性全開の微笑をたたえてシスコの顔を覗くようにした。
真面目な顔をしていたシスコが一発でやられて赤面したの、可愛いけど……可愛いけどやめてあげて!
「――それを短縮するのは、使い手の意志の力だ。こうあってほしいという願望を信じて現実にする力。自分にはそれができるという確信を持って魔法を使う者ほど、初動が早い」
止めていいよ、とファビウス先輩はシスコに告げる。シスコが魔法を止めても、コップの中の水はぐるぐる回っている。慣性ってやつだろう。
「起動さえしてしまえば、魔力の供給をとめても魔法が起こした結果はしばらく持続する。こういう風にね。つまり、魔法を使う上でもっとも重要なのは起動だ、と。そういっても過言じゃない」
「はい」
「制御を学ぶなら、起動をくり返す方がいい。何回もやっていると、こういう結果がほしいという考えが具体的になる。こうなるはずだという経験も積める。慣れる。魔力がそのまま魔法という形をなす。わかる?」
「はい」
「だから、ひとつの魔法の起動だけを練習するといいんじゃないかな。維持の練習は、あとまわしで大丈夫だよ」
「起動して……すぐに、終わらせるんですね?」
「そう。何日かつづけてみて、結果が出ないようならまた相談して? 僕のところに直接来てもいいし、ルルベルに話してくれてもいいよ」
ファビウス先輩がわたしを見たので、わたしはこくこくと頭を上下にふった。
「もちろん! 喜んで伝言係をつとめます、はい!」
「ってことだから、遠慮なく声をかけてね? ジェレンス先生に訊いてもいいけど……あのひと、最近あんまり教室にいなさそうだし」
そう……ジェレンス先生もむちゃくちゃ忙しそうなのである。なにしろ、伯母様と学園側の調整をしなきゃいけないし、苦手だ嫌だといいながら王宮にも出入りせざるを得ないらしいし――おそろしい伯母様のご指名で、代役を立てるわけにいかないんだそうだ。ジェレンス先生にそこまで強く出られる伯母様って、どんだけ?
お昼はけっこう一緒に食べてるけど、あれは単に「間違いなく校長に会える場」として活用されてるだけな気がする。
「わかりました。今日から頑張ってみます。ご助言、ありがとうございます」
「そんな堅苦しくしないで。君はルルベルの友人なんだし……もちろん、僕も君の友人のひとりだと思ってるんだよ。そう思ってもかまわないよね?」
ね? と国宝級上目遣いをやられて、シスコがまた真っ赤になっている。うーん、さすファビー。
「お……畏れ多いことです……」
「畏れ多いことなんて、なにもない。前より称号は減ってるし、もう気もちは庶民だから」
……なんかすごいこと口走ってらっしゃいますが、ファビウス様! 無理です! どっからどう見ても庶民じゃないです、無理があり過ぎます!
「ぜ、善処します」
その回答が、シスコの精一杯だったらしい。気もちはわかる。
ファビウス先輩は、少し困ったように微笑んで。でも、この話題はここで終わりと決めたらしい。提げていた籠を、テーブルに置いた。
「発酵してないのを持って来たよ。葡萄の果汁」
おお。さっき話してたやつ!
籠には、すらっとしたガラス瓶が並んで入っていた。中身はたしかに葡萄色……ラベルもなにも貼っていない。
「売り物じゃないんですか?」
「さすがだね、ルルベル。そうだよ、だいたいは発酵させちゃうからね。これは醸造所の関係者しか手に入れられない、ちょっと珍しい飲み物なんだ」
だいたい発酵させちゃうのかー。……まぁそうなるよな。
我が国、果汁を絞ったら、保存性の高い酒にしちゃうんだよね。魔道具の助けを借りなくても長期保存できるから。
シュガの実に関しては話が別だけど、あれは高級品だから逆に保存もしっかりしてるのよ。鮮度をたもてないと、輸入した業者が損することになるからね。
国内はそもそも果樹栽培が盛んではなく――それは気候的にあんまり向いてないから。葡萄も耐寒性の高い限られた品種だけが栽培されているらしいよ。気温に限らず、地形や土など栽培条件は厳しい。
ここは、その厳しい条件をクリアした稀少な土地なのである。だから、ファビウス先輩が「儲かる領地」なんていうわけ。
もちろん、ほかにもワイン生産をしている地域はあるけど、国内産なのに、輸送費かけてる輸入ワインより高くついたりするのだそうだ。土地あたりの収量が低いから、どうしても割高になるそうな。
妙に詳しいのは、職員会議みたいな昼食をかさねるうちに得た豆知識ってやつ。
先生がたが、昼食にがぶがぶ飲むわけよ。最近、寒いしね。あのひとたちは、肝臓が元気をなくしても魔力に困ったりはしないだろう……。
そうして我々はレアな葡萄ジュースを飲み、お菓子をいただき、ちょっと魔法関連の話をしたり、シスコとファビウス先輩は例の小説の感想を語り合ったりもして――最後は皆で馬車に乗って学園に戻って。
楽しい休日、完!
「今日は、楽しんでもらえた?」
ファビウス先輩を寝かしつけるための、お茶の時間。もちろん、わたしはうなずいた。
「すごく楽しかったです。あと、ごちそうさまでした! ……シェリリア殿下はご存じなんですよね?」
「もちろん。こんな寒いのに醸造所に行くなんて、あなたらしくて結構ね――とのお言葉を賜ったよ」
「……ファビウス様らしいんですか?」
「僕を、いったいなんだと思ってるんだろうなぁ」
……変人? という言葉は、さすがに口にできなくて。
「気の置けない相手だとは、思ってらっしゃるんでしょうね」
「そうかな。王族なんて、親戚でもあまり互いを信頼したりしないものだけど」
「シェリリア殿下はファビウス様を味方だと思ってらっしゃるんじゃないでしょうか」
わたしがいうと、ファビウス先輩は少し悪戯っぽい笑顔で尋ねる。
「それはなに? 聖女の直感?」
「どちらかというと、パン屋の看板娘としての経験を踏まえた人間観察からの推論ですね」
「それは、なんだかすごそうだな」
「看板娘の推論によれば、ファビウス様はとても疲れてらっしゃいます。早くお休みになってくださいね」
「当たり。……だけど、君とこうして話す時間が僕の癒しだから。もうちょっとだけ、いい?」
……くっ。急にそういう……甘えたそうな感じを醸し出すのやめてほしい!




