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351 タイムカプセルみたいなワイン

 翌日、我々は休暇をとってピクニックに出かけていた。


 行き先は、ファビウス先輩所有の葡萄畑である。例の「金になる領地」だ。

 まず、ワイン醸造所を見学させてもらった。ファビウス先輩がこの領地を手に入れる前から、ここでは葡萄の生産とワインの醸造がおこなわれていたそうだ。

 百年以上も昔からあるという蔵の扉には、美しい葡萄紋が刻まれている。中には延々と地下につづく石段。柵、棚、ワイン樽……。

 ナヴァト忍者が灯してくれた魔法の光に照らされた範囲を、そしてその向こうの闇を、わたしは透かし見る――魔力を感じる。蔵全体に、おだやかな力が流れている。


「熟成にも魔法を使っているんですか?」

「わかっちゃった? そうだよ、呪符で温度や湿度を安定させてるんだ。ここは理想的な環境だけど、念のためってやつだね。……疲れてない?」

「平気です」

「よかったら、もっと奥を見に行く? いちばん古い樽があるんだ」

「はい、拝見したいです」


 わたしたちは、奥へと進む。不思議なデートだなと思ってから、ちょっと顔が熱くなる。

 デート? ……デートだよね、これ!

 ファビウス先輩はわたしの手を握っている――またほら、例の恋人つなぎってやつだ。指をからめたところから、自分が溶けていきそうな気がする。

 なんだろうな、これ。……ほんと、なんだろうな。


「あった。この樽がそうだよ」


 奥まった棚に並ぶ、たったふたつきりの樽。

 百年越しの冷たい空気に守られた、タイムカプセルみたいなワイン……。


「なんだか……」

「うん?」

「時の流れを感じますね」

「……うん。ここに来ると、自分の一生なんてちっぽけだなって思うんだ」


 ちっぽけ? ファビウス先輩が?

 ちょっと意外に思って、ファビウス先輩の横顔を見る。わたしの視線に気づいてか、すぐにこちらを向かれてしまったけど。

 ……やっぱり、ファビウス先輩の横顔はちょっとレアだな。


「ごめんね、こんな楽しくもなんともない場所に連れて来ちゃって」

「いいえ、なんだか落ち着きます」


 いわれてみれば、百年以上前からここにある樽と比べたら、たかだか十六年の今生こんじょうは、儚くも夢か幻のようなもの。悩みも気鬱も、すべて些細なことなんだと感じられる。


「ならよかった。僕もね……たまに、ここに来ていたんだ」

「そうなんですか?」

「うん。自分はなにをやってるのかって疑問を覚えたり……あとは、逃れようのないしがらみに苛立ったりしたときにね。人目がないし、落ち着くから」


 それを聞いて、ストーン! と納得した。

 そうか。そうだな。わたしも短期間にやたら注目されたり、回避不能な責務に追われたりしたから、わかる。すごく、わかる。

 ここには誰もいないし――親衛隊は一応、ついて来てるのだが。灯火係としてナヴァトは近くにいるし、リートは扉の外で警戒に当たっている――厄介な人間関係や社会的な立場を外に置き去りにできたような……気がする。


「……そうですね。わかります」


 ぎゅっ、と。ファビウス先輩が手に力をこめた。わたしも……そっと握り返した。

 なんだか嬉しいなと思った。

 ファビウス先輩なら、オシャレでウケのいいデート・スポットくらい、いくらでも知っていそうな気がするけど。そういう場所でなく、ここに連れて来てくれたのが……嬉しい。

 あー駄目、もうほんと末期。どうしよう……。どうしようもない。あーもう胸がキューッ! ってなるよ。


「嬉しい」


 考えていたことが言葉になってしまったかと思ったのに、声を発したのはファビウス先輩だった。

 すっと逸らしたレアな横顔を、思う存分観察する。鼻のかたちが綺麗だなぁ、とか……ちょっとだけ頬が赤いな、とか。


「……ルルベルに、わかってもらえて」

「……」


 んんんんんーっ! なんかもう無理だぞ!

 わたしは小声で、はい、と返事をした。つもり。ちゃんと声になってたかは、よくわからない。

 しばらくそのままでいたけど、やがてファビウス先輩がうながした。


「もう行こうか。そうだ、試飲したいのはある? この古い樽でもいいよ。今日の記念に」

「えっ! そんなの無理です、もったいないです! それにほら……魔法使いは肝臓をいたわらねばなりませんから!」


 わたしのあわてぶりに、ファビウス先輩は笑って答えた。


「発酵してないのも出せるよ」

「発酵してない……?」


 葡萄ジュースか! それは瓶詰めで別の場所にあるとのことだったので、蔵にあるものには手をつけず地上に戻った。

 扉の前ではリートが寒そうにしていた……いやごめんて。睨んでるよね? ゆっくりし過ぎだぞ、なにだらだらしてやがった……って顔だよ!


「えっと、リートがとても寒そうなので、どこかあたたかい場所へ」

「そうだね。そろそろ昼食が配達される頃だろうから、事務棟へ行こうか」


 殺風景で悪いけど――と案内された事務棟とやらは、すごく可愛らしいコテージって感じの建物だった。中には魔道具の暖炉がある。薪をくべる必要がない優れものだが、もちろん庶民には手が届かない代物でもある。

 それ以外は家具や内装も含めて、ちょっと古びた素朴な雰囲気で統一されていて、とても……居心地がよい。


「落ち着きますね、ここも……」

「元からあったものを、あまり変えてないんだ。暖炉くらいだよ」


 やっぱり暖炉はファビウス先輩の財力で導入したのか。いや……ファビウス先輩のことだ、自分で呪符を描いて魔道具化したのかもしれない。ありそう!


「魔道具の暖炉は、あまりあたたかくないと……シデロア嬢から伺ってましたけど。これは、あたたかいですね?」

「うん。僕が描いたからね。この呪符は、一定以上に温度が上がらないようにするのが難しいんだ。だから、市販の魔道具は安全を優先する設計になっていて、かなり低めの温度しか設定できない。そこを外して、温度監視を強化して……みたいな操作をしただけなんだけどね」


 やっぱりか! 一般人的には「だけ」じゃないですけどね……。

 まぁいい、とにかく恨みがましい顔をしているリートを、早くあたためてやらねば。


「リート、もっと暖炉に近寄って。霜焼けとかできたら困るし」

「……失礼します」


 リートが暖をとっているあいだに、わたしはほかの部屋も見せてもらった。二階は屋根裏部屋になっていて、寝台もある。醸造が盛んなシーズンには、管理人が寝泊まりしたりするそうだ。


「もとからあった煙突を利用して、下であたためた空気がこの部屋も通るようにしてるんだ」

「それで、あんまり寒く感じないんですね?」

「うん。夏は逆に、こっちから冷気を下ろしたりするんだよ」

「え……そんなこともできるんですか?」

「できるよ。ただ、空中の魔力を集めただけじゃ、ろくな効果がないね。冷気は変換効率が悪いんだ」

「そうなんですねぇ……。今は誰も泊まっていないんですか?」

「倉庫の警備くらいしか仕事がないからね。警備員は、別の建物にいるよ。今日は、呼ぶまでは顔を出さないように話してあるんだ」


 ……行き届いてる! さすファビ〜。


「いろいろ、ありがとうございます」

「いや、僕の方こそお礼をいいたいな。ずっと休んでなかったし……ちょっとほら、思考回路も凝り固まった感じになってて、発想の柔軟性が失われかけてたことに気がついたよ」

「ああ……根を詰めてると、そうなりますよね」

「うん。わかってるのに、気分転換をすることさえ思いつけなくなってしまうんだよね。今回はほんとに助かったよ。君のためって思ってたけど、自分のためだったかもしれないな」

「……とても正直に申し上げますと、今日、このようにおでかけするの、いかがなものかと思っていたのですが」


 おそるおそる切り出したわたしに、ファビウス先輩は微笑んで告げた。


「うん、知ってたよ。そういう顔してたから。困らせてごめんね?」


 知られてたかー!

 デートってさ……気が抜けないに違いないと思ってた。それより、シスコと自由に会って喋る時間がほしいな、なんてひどいことも考えたんだ、実は。

 でも……来てみたら、すごく、こう……よかった。


「そういうことを申し上げたかったわけではなく……今わたし、気がゆるんでると申しますか、こう……気分転換できてます。ありがとうございます」


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