35 魔性先輩との約束……なんだっけ?
せっかく焼きたてのパンが焼きたてじゃなくなっちゃう! という主張が通った結果、昼食は屋根の上で食べることになった。
……いや、そうじゃないんだが? そういうことじゃ! ないんだが! 食事するなら地上で、いやそもそも屋根の上は昼日中に長期滞在すべき場所ではないという常識が、なぜ通じぬ。
飲み物がないですと抵抗してみたところ、先生は凄い勢いで買ってきてくれた。
だからさ……前世ならわかるよ? 使い捨ての紙コップとかあるし、ファストフード店もあるじゃん。なんで高級(たぶん。少なくともうちの近所では見たことない)果物屋で調達したっぽい半割りの未知の果実に天然ストロー(もちろんプラスティックではなく、植物の茎が空洞になってるのを利用したやつで、この世界におけるデフォルトのストローだ。実にサスティナブルである)さしたやつ持ってくるの?
どこで買ってきたの、これ! おいくらなの、知りたくない怖い! ていうか、かさねていうけども。屋根の上でランチしたいわけじゃねーんだよ!
「ご馳走になります」
しかし、現実にわたしが声にできたのは、こんなところだ。
天然果実水は美味しかった。遠〜くの、南の国で採れるんだそうな。へぇ〜。……高そう! うん、この件についてはもう考えるのをやめよう!
パンは、ちゃんと美味しかった。馴染んだ味がした。
§
学園に戻ると、わたしは「特別研修室」なる部屋に連行された。どこだよここ。ジェレンス先生が無茶苦茶やるから、経路がわからない。空から入るな。道を教えろ。明日ひとりで来いといわれたとき困るのは誰だ! わたしだ!
「やぁルルベル、また会えて嬉しいな」
待ち構えていた魔性先輩は、いきなりギアがトップに入っている。いやいや。なんで手をとってんの。しかもなにこれ、流れるように跪いた上、貴婦人にするみたいに指先にくちづけたよね、わたしは硬直したよ。
硬直って、ほんとに硬直するんだね。
上目遣いで――このひと、背が高いにもかかわらず、上目遣いがうま過ぎない? 活用できるポイントを漏らさず押さえてこない? やばくない? ――微笑む魔性先輩、マジ魔性。
「君も少しは嬉しいと思ってくれてる?」
「よ……よろしくお願いしますッ!」
ひっくり返って一部が裏声になったが、それでも声が出て言葉になっただけ上等であろう。
「ファビウス、おまえは女を落としに来たのか。それとも魔法使いの育成に貢献しに来たのか」
ジェレンス先生のもっともなツッコミに、魔性先輩は、ふふっと笑った。ふふっ、だぞ!
それでキモ……とならないのが、魔性先輩の魔性たるゆえんであろう。キモいどころか、なんか素敵だ。えっなにこれ。理不尽過ぎる。こんなの、たとえばあの粘着質の客がやったとしたら、総毛立って手をふり払う以外の選択肢がない。
「僕にできるかたちで、ルルベルに尽くすために来たんだよ」
ジェレンス先生を無視してわたしに話しかけるの、やめてくれません? 立ち上がりながら、せつなげな目線を送るのもやめてくださいませんかね……なんなんこのひと、マジでなんなん?
「じゃ、さっさとやってくれ。魔力を外に出すところまでは、できるようになってる」
「さすがですね、先生」
先生、って口にはしてるけど、視線はわたしにロック・オン! である。
……ぶれない。魔性先輩、ぶれがなさ過ぎる! きっと体幹がいいんだろう。
「昨日会ったときは、まだなんにもって感じだったのにな。今日の君は、昨日の君とは違うんだね、ルルベル」
「はい!」
「うん、いい返事だね。可愛いな」
元気よく返事をしても、魔性先輩はたじろがない。メンタル強い人間しかいなくないか、この学園。わたしもけっこう下町の客あしらいで鍛えてきたつもりなのだが、まったく歯が立たない。
「あの……先輩の属性は、色だとお聞きしました」
「そうだよ」
「わたし、色属性のかたにお会いするの、はじめてです」
「そう。君のはじめてをもらえるなんて光栄だな」
いいかたー!
「ファビウス、いい加減にしないと穴掘って埋めるぞ」
「埋葬してくれるんですか? ろくな死にかたはしないとか、死体はきっと野ざらしだとかいわれている身としては、悪くない未来かもしれないな。もちろん、ルルベル嬢を聖属性魔法使いとして目覚めさせる使命の方が、比較にならないほど魅力的だけど」
「だから、それをさっさとやれっつってんだ。俺だって暇じゃねぇんだぞ」
「おや、お忙しいならどうぞ、ここは僕にまかせてください」
「校長命令で、目を離すなっていわれてんだよ」
命令がなければ見捨てられていたのだろうと思うと、エルフ校長には感謝の念しかない。マジで推せる。
ただの挨拶がえらく長引いたものの、ようやく本題に入ることとなった。本題――すなわち、わたしの聖属性魔法の染色である。
だだっ広い特別研究室の端に向かい合わせに椅子を置き、わたしとファビウス先輩が向き合って座る。ジェレンス先生は、壁にもたれて立っている。椅子は余っているのだが、座る気配はない。
「手を」
そういって、魔性先輩が両手をすっと前に出す。
さっき、ものもいわずに手をとられたのもアレだったが、今度は自分から魔性先輩の手に手をかさねなければならず、これはこれでキツい。ジェレンス先生で予行演習しておいてよかった。でなければここで真っ赤になって硬直し、魔性先輩にいじられ倒していたことだろう。
地味にいい仕事するな、ジェレンス先生!
「ところで、決めてくれた?」
わたしの手を両手で包み込みながら、魔性先輩は身体を少し前にかたむけた。わたしは逆に身体を引こうとしたが、椅子の背もたれに阻まれて無理だった。
……この魔性、また上目遣いの体勢に入りやがった! 熟練度が高いにもほどがある!
「えっと……決める、とは?」
「昨日、お願いしたよね? 次に会うまでに決めておいて、って」
「ああ……えっと……」
そんなことがあったような、なかったような。なんだっけ?
「君の望まないことは絶対にしないと、あらためて誓うよ。なににかけて誓えばいい?」
あー……。そうだったわ! リートが割り込んで、なにに誓うんだって……いや〜、なんも考えてないよね、忘れてたんだもんね、当然だよね、でも忘れてたとはいえない場面だよね!
よし!
「先生、この場合、なにを指定するのが適切ですか」
「なんで俺に訊くんだ、手前で考えろ」
「生徒が教師に質問してるんですよ、まともな助言をお願いします!」
「そりゃおまえ……そうだなぁ。こいつの場合、名誉の概念もだいぶおかしいしなぁ……」
「あなたにいわれたくないですが」
魔性先輩が苦笑したので、ジェレンス先生も概念崩壊組なのだろう。意外性はない。まぁ、変人どもは変人対抗戦でもやっていてくれればいいのだ。
わたしは! 実効性のある「望まないことはしない」の誓いを手に入れたいだけなのだ! この機に乗じて! というか、今を逃したらもうチャンスはないかもしれない。
「誓約魔法みたいなのって、こう……どうでしょうか?」
おそるおそる提案してみると、魔性先輩はわずかに眼をみはった。いやマジで綺麗っすね、先輩の眼。これ絶対さ〜、カラー・チェンジする宝石に喩えて詩を詠んじゃうマダムとかいるでしょ。小娘には無理。
「本気なんだね。いいよ、誓約しよう。先生、書けるでしょ」
「おまえも自分で書けるだろ」
「自分で書くと、有利な条項をねじ込めちゃうじゃないですか。僕が彼女を尊重していることをあらわすためにも、先生に書いてもらいたいな」
「書いてもらいたいな……じゃ、ねぇんだよ。くっそめんどくせぇことやらせやがって。ちょっと待ってろ」
ジェレンス先生の姿が、ふっ、と消えた。
いやいやいやいや! 待って先生、我々から目を離さないようにいわれてるんじゃなかったんですか! 校長命令はどこにいったのだ!
狼狽するわたしを見て、魔性先輩は笑った。今まででいちばん子どもっぽい笑顔だった。あっ、このひとも十六歳だったっけ、と思いだした程度には。
だが、油断はできない。
「そんなに警戒しなくても。僕をなんだと思ってるの?」
魔性だよ!




