344 これってちょっと恥ずか死ぬ案件なのでは?
疲れ果てていたわたしは寝落ち……まではしなかったけど、そのまま研究室に泊まることになった。
学園の敷地は広大だし、くたびれてるのに移動しなくて済んだのは助かるけど……ま、シスコと違ってわたしはね! 今さら外泊が一回くらい増えたからって、あんまり関係ない……と思うのも、つらい!
もちろん寮にはリートが連絡している。リートよ……ファビウス先輩の命令だと一瞬の迷いもなく従うリートよ……。これも、なんともいえない気分になるな。
しかし長い一日だった。
起きて思ったのは、今日も長い一日になったら嫌だなぁ、ということだった。
「ルルベル、大丈夫だよ」
校長室へ向かう長い廊下で、ファビウス先輩はわたしの手をとった。指をからめて……こ、これは恋人つなぎってやつですね? えっ!
「だ……大丈夫じゃないんですが」
おもに、わたしの心臓が! 昨日のアレコレとか、今日これからのアレヤコレヤとかも吹っ飛ぶ勢いで、心拍数が上昇し、血流がよくなり、顔と耳がアッチチになった。
ファビウス先輩はそんなわたしを見ると、少しだけ……ほんの少しだけ血色がよくなった頬をゆるめて。
「大丈夫だ、って。思ってほしいな」
「いや、えっと……」
「僕が隣にいれば大丈夫だと感じてほしいんだ。……わがままかな?」
そういうわがままでしたら! 全力で叶えさせていただきます!
「大丈夫です。大丈夫になりました! ……ちょっと挙動が不審になるのは許してください、その……殿方とこういう風に手をつなぐのにはですね、慣れておりませんで……」
「慣れてるなんていわれたら、嫉妬しちゃうな」
「ははは……わたしと手をつなごうとする殿方なんて、以前撃退してくださったほら――」
粘着質の客、という表現では通じないだろう。名前を教わった気もするけど、忘れた。
「――パン屋のお客くらいですよ」
「あいつ、もっと完膚なきまでに叩きつぶしておくべきだったね?」
「つぶさないでください」
ファビウス先輩は笑って、手に力をこめた。ぎゅっ……ってされた! ぎゅっ、って!
あーなんなの唐突な糖分補給これなんなのよ! 血糖値上がる!
限界突破でなにも考えられなくなったわたしを見下ろし、不意にファビウス先輩が真顔でささやいた。
「大丈夫だよ」
「はい……」
うん。信じよう。
呪文のことも、魔王復活が近いって予言のことも。真っ先に、ファビウス先輩に相談したいって思ったんだから。
それに――ファビウス先輩ってこう、チャラいところはあっても信じられるひとだ。だから、こんなに真剣に大丈夫っていってくれるなら、大丈夫なんだ。
……あと、わたしは大丈夫じゃない感じに見えてるんだな。いかんいかん!
「わかりました。大丈夫です!」
と、いう感じで。校長室にたどり着いたときには元気になってたはず。
元気なわたしがお供を連れて来たのを見て、ドアを開けたエルフ校長は――絵に描いたような「しかたがありませんね」って顔をした。
「お目付役ですか? 呪文の練習には同席させませんよ」
「そのあたりのことを、詳しくご相談したいと思いまして。ルルベル、親衛隊も入室させよう。いいね?」
「あ、はい。リート、ナヴァトも一緒に来て」
「……僕は許可していないのですが?」
いささか拗ねたようなエルフ校長の台詞には、もちろんわたしが対応する。
「校長先生、わたしがお願いしたら聞き届けてくださるってお約束ですよね?」
「かないませんね、ルルベルには」
よっし、チョロい! エルフ校長、わたし以上のチョロさだ。ありがたい。
というわけで、我々四人は校長室に入り、入ったとたんにファビウス先輩がスタートを切った。
「では、呪文が抱える問題点について、詳しく教えていただけますか」
「力には、危険がともなうものです」
「ええ。ですがどういった危険なのかをあらかじめ知っておかねば、対策も立られませんから。ルルベルに、ある程度の事情は聞きました。魔王復活が予言されたそうですね?」
エルフ校長は、ちらっとわたしを見た。どこまで喋ったの? って意味だな。
「ジェレンス先生の伯母様の領地で魔王の復活が予言されたこと、予言した人物の能力のたしかさは校長先生が保証してくださることを、お話ししました。ファビウス様には、聖属性魔法の応用的な使いかたについて多くの助言をいただいてますし、魔王の復活地点の計算も進めていらっしゃるところでしたから……早めに情報共有をしたいと思って」
「なるほど」
「親衛隊の方は、いうに及ばずだと思います」
「……まぁ、そうですね」
いいでしょう、とつぶやいて。エルフ校長は我々に椅子を勧めた。
応接セットは余裕があって全員座れそうだったけど、親衛隊たちは座らないことにしたようだ。
ファビウス先輩と並んでソファに腰掛けながら、ふと昨晩のシデロア嬢の台詞を思いだしてしまう。
彼女なら「椅子に腰掛けた」じゃ満足しないんだろうな。でも、校長室の家具を描写するには、詩人の語彙と表現力が必要だ。わたしは不戦敗を選ぶ!
「校長先生にはおわかりでしょうから隠しませんが、僕は怒っています。そんな危険性があるものを、事前に説明することなくルルベルに使わせるなんて」
「僕が一緒にいれば、危険はありませんからね」
しれっと。……としか表現のできない返答である。
「あなたが常時同席できるわけではないでしょう。今後、ルルベルがひとりで呪文を使おうと思うことがないと、どうやって断言できるんです?」
「ひとりで使えるようになる頃には、ほとんどの危険は排除されていますよ」
「依存性も?」
「魔法使いなら乗り越えられます。……逆にいいましょうか。力に溺れる者は、魔法使いたり得ません。早晩、破滅します」
ファビウス先輩にしては前のめりな態度だから、怒ってるっていうのは事実なんだろうな……。
エルフ校長の方は、いつも通りだ。すべて知ってますよって感じ。これが長命者の余裕ってやつか!
でも、ファビウス先輩も揺らがない。
「校長先生がおっしゃる早晩とは、どれくらいの期間を示すんですか」
「それは――」
「人間には、一年だって長いんですよ。五年? 十年? それとも二十年くらいですか。五十年も経てば、僕らは皆老人です。もう立ち直る時間は残されていないんですよ」
エルフ校長は、ふっと視線をはずした。なにかを思い返すように――実際、思いだしてるんだろうなぁ。忘れないんだから。
「立ち直ることは、いつだってできるものです。それこそ、死を前にした最後の瞬間でさえ。ですが、そう――たしかに、僕の時間感覚は君たちとは違うでしょうね」
「ご理解いただけたようで、幸いです」
「理解はしましたが、考えは変わりません。訓練中の危険はありませんし、その先は彼女自身が担うべきものです。それが生きるということですから」
なんか哲学的な話になってきたが、それでもやっぱり、ファビウス先輩は揺らがなかった。
「力ある者は、それに溺れる危険と隣り合わせなのは認めましょう。ですが、今回はそれ以前の問題です。こんな騙し討ちのような教えかたがありますか? 僕らに校長先生への信頼を失わせたいのですか」
「今までは信頼していたとでも?」
「もちろんです。でなければ、ルルベルをまかせたりしません」
……ねぇ、これってちょっと恥ずか死ぬ案件なのでは?
いや、そんな話をしてるんじゃないってことは、わかってる。わかってるけど、なんかこう……きゃー! ってなるよ。わたしの中の乙女心が全力できゃーきゃーしてる!
「意外ですね。君は僕を信じていないと思っていました」
「さすがに校長先生はわかってらっしゃいますね。以前の僕だったら、信頼などという言葉には空虚さしか感じなかったでしょう。でも、今は違います――」
……ちょっと待って。特大の恥ずか死ぬが来る予感がする。
待って無理です、と横顔に送った視線をファビウス先輩がとらえた。えっ、なんでこっち向いてんの、相変わらず魔性のお目々ですね綺麗ですねやばいやばいやばい!
「――ルルベルが、僕に信頼を教えてくれたんです」
……ぐふっ。
ファビウス先輩のこういうとこ……ほんと、こういうとこだぞッ!
……リートとナヴァトが立ってるのがわたしの後ろでよかった。顔見られなくてよかった。ほんとよかった。




