342 文学に説明など不要なのですよ、お嬢様
やきもきするわたしはともかく、ほかの三人はわりと楽しげに小説売り場に移動した。
小説は店の中央、入ってまっすぐ進んだ先に並べられているようだ。近くのカウンターには、店員さんの姿もある。
……。
待て待て待て。小説売り場の近くのカウンターに常駐してる――かどうかは、正確にはわからんけど――店員さんってつまりその。リラのお兄さんでは?
シスコの「す」ではーッ?
思わず動悸・息切れ・眩暈などの症状に襲われ、我ながらなんでだよと思う。
でもドキドキする。……いやこれ、単に疲れてる可能性もあるな。
問題の店員さんを、わたしは真剣に観察した。いや、しようとしたけど、よく見えない。
だって俯き加減だし、こっち見てないし……店員としてはダメダメじゃない? 店番の役目を果たしているとは思えないその姿勢、身内でなければ許されない。
きっとあれが、問題の彼だ。縁故採用の人間が何人もいるとかなら別だけど。
わたしが観察をつづける傍らで、残り三人は本を選んでいる。
「これが『奪われた魔法』の、最新刊です」
「駄目よリラ、最新刊から勧めないで」
「あら、とても綺麗な本ね。装丁に力を入れているみたい」
「そうなんです!」
我が意を得たりといわんばかりの勢いで、シスコが叫ぶ……そして、本屋で大声を出してしまった自分を恥じるように、口を押さえた。
はい可愛い、またしても優勝!
仮定リラのお兄さん見てる? ねぇ見てる? シスコの可愛いとこ!
……見てないな。
「ごめんなさい、つい」
「いいのよ。あなたがこの本を愛していることは、よくわかったわ。一巻から読まないと許してもらえなさそうだということも」
「許さないだなんて、そんな」
仮にも伯爵令嬢に向かって、平民のシスコが許したり許さなかったりする権利があるはずないのだが、シデロア嬢はとても楽しげに尋ねた。
「あら、許してくれるの? 許さないでしょ。わかるのよ、あなたの愛の深さくらい。ね、リルリラ嬢?」
「あの……えっと、はい。こちらが一巻です……」
差し出された一巻を、シデロア嬢は見ただけだった。受け取らないけど、否定する雰囲気でもない……?
あっ、わかった! お嬢様は荷物は持たないってことだ! 店の関係者であるリラが持ち運ぶべきだと思ってらっしゃるんだわ、それはもう呼吸をするように無意識で。
でもリラには通じてないらしい。たぶんだけど、売り場に立ったりしないんでしょ、日常的に。この性格だと、向いてないもの。
「わたしが持つよ、リラ」
「え? えっと」
リラの手から、問題の一巻を奪い取る。たしかに綺麗な装丁……高そうだなぁ。こういう本って、どれくらいのお値段なんだろう。
……ま、買うのはわたしじゃないし、どうでもいいか!
「シデロア嬢、全巻お買い上げになるんでしょう?」
「まぁ。ルルベル嬢は商売がお上手だこと。……いいわ、すべてちょうだい」
「あ、ありがとうございます」
お礼をいったものの、まだ状況をちゃんと把握しているとはいいがたいリラに代わって、わたしが本をまとめて持つべきかな? でも、一巻と最新巻は把握したけど、残りはどれだ。えっと……同じ装丁っていうと、これ……かな?
「失礼。お持ちします」
少し気だるげな声が思いのほか近くから聞こえて、わたしはぎょっとした。
「え、誰……?」
「皆様、本日は当店にお運びくださり、ありがとう存じます」
字面だけ眺めると、すらすらーっと、さらさらーっとした感じだろうけども。
わたしの背後に立っていた人物は、非常にだるそうな発音をした。落ち着いた口調といえば聞こえがいいけど、なんかこう……だるそう。
重要なのは、それが似合う美声だということ。イケボ忍者と勝負できそうだ。
ていうか、このひとってカウンターにいた彼では?
「お兄ちゃん」
……ほら! ほら来た!
でもリラ、お兄ちゃんはよくないだろう、うちみたいな下町の店ならともかくこの格式で! 貴族のお客様の前で接客に出てきた店員をお兄ちゃん呼びは、よろしくないだろぉ〜!
店員さんは、妹を無視して接客につとめた。……まぁそうなるな。
「こちらの『奪われた魔法』をひと揃いで、よろしゅうございますか?」
けだるーい。聞いてるこっちまで、ふにゃっとなりそうだ……。
顔は正直、最近見慣れているイケメン軍団に比べたら大したことはない。ふつう、って感じ。だけど声……この声はヤバい。
わかったぞ。シスコ、この声で好きな本の好きなフレーズとか暗誦されちゃったんだろ! そりゃ参っちゃうわ。
シデロア嬢も、少しぽかんとなさっていたようだったけど、そこは社交術を叩き込まれた貴族のお嬢様らしく。すぐに持ち直して、にっこり。
「ええ、お願いするわ。それから――あまり本を読み慣れていない人間でも挫折せずに楽しめる小説は、どれかしら?」
「一概に申し上げるのは、難しいですね」
平凡顔に傾国のイケボを搭載した店員さんは、だるそうに答えた。
「そうなの?」
「面白く読めるかどうかは、読み手の好みによって変わるものですから。お嬢様は、どのような話をお好みですか?」
「話? そうね、短くて楽に読めるものかしら」
「現実離れした話とそうでない話とでは、どちらが?」
「現実離れした話は苦手なの。そもそも小説が苦手なのよね……書いてある場面だとか、登場人物の姿とか……いちいち想像しなければならないでしょう? たとえば『彼は椅子に腰掛けた』なんて書かれているけど、その椅子の色合いまではわからないことの方が多いわ。製作者の名も、年代も、明記されていることは滅多にないでしょう?」
「書かれていないことを想像するのが読書の醍醐味のひとつとも申せますが……。なるほど、でしたら……こちらはいかがでしょう。短編集でございます」
とことんだるそう……。
シデロア嬢流にいうならば、どういう声なのか、喋りかたなのか、音量はどれくらい? ――って情報で、同じ台詞を語っても聞こえかたがけっこう違うわけだけど。
この店員さんの台詞にはすべて「だるそうに」って注釈入れておくべきだわ……。
だるそうな店員さんがさし出した本を、シデロア嬢は手にとった。
「これ?」
小ぶりで薄いという点は、リクエストに応えていそうだけど……ぱらぱらと本をめくったシデロア嬢は、眉根を寄せている。
「お気に召しませんでしょうか。こちらは極限まで表現を削ぐことで評価が高い作家の作品です」
「説明がなさ過ぎるわ……」
「文学に説明など不要なのですよ、お嬢様」
ふっ。……という擬音が聞こえてきそうな笑みを浮かべる店員さん、いやいや平民にしては偉そう過ぎるだろ! あと、やっぱ声がいい。さっきからの台詞、声と口調で許されてる感がある。
「……もういいわ、それだけ届けてちょうだい」
「心得ましてございます」
一礼して、店員さんは本を包みに行ってしまった。
しかし、届けてちょうだいか……。お貴族様のお買い物をはじめて間近に見たわたしは、なるほどの嵐である。自分で荷物を持たないこと、徹底してるな!
それはそれとして、だ。
わたしは激しくシスコと視線を合わせようとしたが、シスコはこっちを見てくれなかった。
……決まりだな! 見ないってことは、そういうことだろ!
やっぱアレかー。ええー……。
声はいい。声はいいけど、むっちゃくちゃ難しそうな相手じゃない? だって伯爵令嬢相手にあの態度だぞ。しかも妹にフォローなし。ガン無視。
もともと仲が良くないのだろうし、店員としてリラのふるまいを見てられない気もちもわかるし、客のフォローはしてるんだけどさぁ。うーん……。
わたしが悶々としている横でシデロア嬢がリラに尋ねる。
「リルリラ嬢の、お兄様なの?」
「はい。兄です」
「ちょっと変わったかたね。説明がないと読むのが大変だと話しているのに、説明を省いた小説を勧めるなんてね?」
「ええ……はい……」
リラが口ごもって、シスコがその肩をそっと撫でながら話を引き取った。
「不親切ですよね。……ですけど、文学に説明は不要だという意見は、わかる気もします」
「そうなのかもしれないわね。やはり、わたしに文学は不要なのでしょう」
ああ! リラ兄の接客、顧客を掴みそこねているぅ!




