340 躓かないで生きられることを祈っているわ
結局、テーブルを囲んだ全員がリラの本屋に行くことになった。
リラは完全に許容限度を超えましたという顔だ――ごめんな、たぶんわたしがファビウス先輩に相談したせいだ。許してほしい。あと、頑張れ。
本屋は近いとはいえ貴族の移動なので馬車を使うし、人数が人数なので分乗である。
馬車は、シデロア嬢のとファビウス先輩の。どっちも紋章入りであるが、リルリラ嬢の実家は中流というか――中流って言葉もしっくり来ないけど、えー、上流寄りの富裕層が住んでいるあたりに店を構えているので、紋章入りの馬車が停まっても違和感はないだろう。
シスコがその本屋に通っていたのは、シスコもその世界の住人だからだ。
そして、伯爵令嬢たちにとっては、知らない本屋なのである。
「本って出入りの書店が持ってくるものでしょう?」
……とは、シデロア嬢の発言。本に限らず、なんでも商人の方から売りに来るという。だからこそ、貴族の館に出入りを許されている店とそうでない店があるのだ。
『どこそこ家御用達』みたいな看板は、この世界にもある。でもそれは、その店に貴族が来るって意味じゃない。その店の人間が貴族の館に品物を納入できる、ということなのだ。もちろん、下町にそんな看板は一切存在しない。
あーほんと、この国って階級社会だな……。
「僕はけっこう本屋にも行くよ。目利きに選書をまかせるのもいいけど、実物が並んでいるのを見て、その中から選ぶのが好きなんだよね」
これはファビウス先輩。
なお、二台の馬車にどう分乗したかというと、ファビウス先輩の馬車にはファビウス先輩とわたし、そしてなぜかもう一台の馬車の持ち主であるシデロア嬢が乗っているのだ。
シデロア嬢の馬車の方には、アリアン嬢とシスコ、そしてリラが乗っている。アリアン嬢はシデロア嬢の馬車に乗り慣れているから御者や下男――馬車の外に掴まり立ちしたり走ったりする係の使用人だ。護衛も兼ねているらしい――とも顔見知りだから、シデロア嬢不在でも問題ないそうだけど。
リラは気の毒にも、アリアン嬢とシスコのアツい感想戦を拝聴するしかないと思われ、そちらは問題しかない気がする。
……リラ頑張れ。
「そうなんですの? それが知れ渡ったら、ファビウス様に憧れている女生徒たちが、こぞって本屋を目指しますわね」
ふふ、とシデロア嬢が楽しげに笑う。
どう考えても彼女、感想戦を聞くのに飽き飽きしたから、こっちの馬車を選んだのだと思う。ファビウス先輩狙い……って感じでもないし。
「じゃあ、内緒にしておいてもらわないとな」
「女性に囲まれるのは、お嫌い?」
「本屋にいるときは、本と向き合いたいからね。静かな気分で」
「そういうものですの?」
「図書館に本を読みに行くときと、似ているようで違うかな……。本屋では狩猟に近い感覚も覚えるし」
「お気に入りの一冊を隠れ場所から追い立てて、みごとに仕留めるんですわね?」
「思ってもいなかった獲物に出会うこともあるのが、本屋の面白いところだよ。せっかく行くのだから、君も楽しめるといいね。たぶん、屋敷に出入りの本屋が並べるようなのとは違う本と出会えるんじゃないかな」
「楽しみですわ。ルルベルはどう?」
ここで、シデロア嬢はわたしの方を見た。
「えっ、本屋ですか?」
「あなたもよく行くのかしら?」
「いえ、全然です。以前は店の手伝いが忙しかったですし、今は学園を出る暇がなくて」
「常時忙しいのねぇ……。わたしなんて、いつも暇でしかたがないわ。少し時間を分けてさしあげたいくらいよ」
「そういえば、次の実技の試験の練習って、もうなさってます?」
「あんまり。でもね、わたし、本番に強い方なの。だから、自信はあってよ」
なんか納得……。
「ルルベルも本番には強いんじゃない?」
ファビウス先輩に微笑まれてしまったが、いや〜、どうだろう! 急展開で本番に叩き込まれることは多いが、事前に練習させてほしい。マジで。ほんとに。
「魔法の実技には、自信ないですね……」
「呪文の練習の方はどうなの? 今日は魔力切れは起こしていないようだけど」
「あ、はい。発音が正確になってきたから、無駄に魔力が漏れなくなった? みたいなことを、校長先生がおっしゃってました……」
つづけて、今日は通しで唱えてちょっと発動したんですよとか、そういう話もしたかったが……シデロア嬢に聞かれるのもなぁと思うと、堪えざるを得なかった。
シデロア嬢は、ちょっとこう……軽いところがある。
つまり、研究所にいる吸血鬼を見せてほしいわ事件などを踏まえると、呪文も唱えて聞かせてとか、そういう発言に流れることが容易に予測できてしまう。
呪文を見世物みたいに扱うのはアウトだと思うし、たのまれても拒否するしかない。とはいえ、あんまり拒否拒否してると人間関係に影響が出そうだ。
結論。シデロア嬢の注意が呪文に向くのを避けられそうなら、そうすべき!
「校長先生って、どんな感じ?」
「どんな……って、どういう意味でしょう?」
「まともにお話ししたことないから、どんなかたなのかと思って……」
質問の意図はわかったが、これは解答が難しい。
簡単にいうと、根に持つ長命種だけど……もっとソフトに表現できないかな。
「そうですね……とても長く生きてらっしゃいますし、エルフですから……いろいろと、感覚が違うなと感じることはあります」
「たとえば?」
「うまくいえないんですけど、なにもかも経験済みなんだろうな、って」
シデロア嬢は、少し首をかしげて問い返す。
「なにもかも経験済み? どういうことかしら」
「わたしがこう……精一杯の判断をした先に待つものがなにか、あらかじめご存じのような」
「じゃあ、間違わないようにみちびいてくださるの?」
うーん……。ちょっと違う。聖属性魔法使いは大変だから逃げろってふるまいだけは、それに合致してると思うけど。
「どちらかというと、間違って当然だから、あんまりうるさくいわない感じでしょうか」
「まぁ。じゃあ、間違っているとわかっていることも、止めてはくださらないの?」
「場合によるんだと思います。呪文の練習なんかは、厳しいですよ!」
「ルルベル嬢は、ほんとうに頑張るのが得意ね。わたし、厳しい練習なんてものに耐えられる気がしないわ」
「練習しなきゃいけないのは、わたしがなにもかも下手くそだからですよ……。シデロア嬢はなんでもサラッとできてしまわれますから」
「それ、母がよくいうの」
「……お母様が?」
シデロア嬢は、うなずいた。
「こういう調子でね。『シディ』――あっ、家族はわたしをシディって呼ぶの。なんだか馬鹿みたいな呼び名よね?――『おまえはほんとうに要領がいい子。倒れたことがなければ、立ち上がりかたもわからないでしょう。頑張りかたも知らない。そのまま、躓かないで生きられることを祈っているわ』……って」
「ご家族に愛されているんだね、シデロア嬢は」
そうコメントしたのはファビウス先輩だ。
シデロア嬢はといえば、ふふ、と可愛らしい笑みを浮かべただけだった。
そのとき馬車が止まって、ドアが外からノックされた。
「到着しました」
リートである。馬車の外に掴まり立ちで同行したらしい――もう完全にファビウス先輩の使用人って感じだよな!
そのリートがドアを開け、まずファビウス先輩が降りて、手前に乗っていたわたし、次に奥にいたシデロア嬢の手をとって馬車から下ろしてくれた。
先行していたもう一台の馬車の方は、もう全員下車している。
そして、問題の書店なのだが。
「おっきい!」
思わず声が漏れてしまったほど、リラの実家の本屋は大きかった。
王都生まれの王都育ちだけど、下町以外にはあまり詳しくないから……これが本屋として平均的な大きさなのかは判断しづらいけど。
「そうだね。ずいぶん大きな店構えだ。これなら、選び甲斐がある」
ファビウス先輩のコメントから察するに、やっぱり尋常じゃない大きさのようだ。
「ではお嬢様がた、お先にどうぞ」
女子が大量にいるから、手をとってエスコートするわけにもいかない……という状況を、ファビウス先輩は流れるように解決した。マジでさすファビである。
わたしは少し足を早め、先行する三人に並んだ。
「リラのご家族にご挨拶した方がいいかな?」
口ではそういったものの、わたしの本心は!
例の、シスコが「す」らしい彼を!
見たい!
……っていうやつだ。
正直に告白しよう。馬車の中でそれに気がついて以来、どうしよう、見れる? 見れるかも? 見ないわけにはいかん! みたいになってた。
だって気になるじゃん……。




