34 激やば教師による一般的とは思えない家庭訪問
ジェレンス先生の魔法で姿を消したわたしたちは、パン屋の裏口から忍び込んだ。
……なんで自分の家に帰るのに忍び込まないといけないんだ。そりゃ正面から帰るとご近所さんに誤解されて面倒だからなんだけども! だけどもなんかおかしい!
裏口は、竃がある部屋に直結だ。お昼に並べるパンは焼き終えてる時間。父と兄が休憩中。母と弟はたぶん、接客中だろう。
なんで急にドアが開閉したんだという顔で、父がこちらを見た――そのタイミングでジェレンス先生が偽装をとき、なにが起きたかわからず目を剥いている父に向かって堂々と宣言した。
「俺は魔法学園の教師でルルベル嬢の担任、ジェレンス。今日は、ご挨拶に伺った」
父と兄が、ギギギと音がしそうな動きで頭をまわし、先生と少し離れて立っているわたしを見た。まぁね……びっくりするよね、そりゃね。ご挨拶に伺うって感じの出現法じゃないよね!
「先生は当代一の魔法使いで、えーと……すごいです」
フォローしたいけど、現実が突飛過ぎて失敗した!
父がまず、正気を取り戻して立ち上がった。
「ルルベルの父です。ご丁寧に、ありがとうございます。娘が……早速なにかやりましたか?」
「父さん!」
ジェレンス先生は真面目な顔で答えた。
「いえ、そんなことは。たいせつなお嬢さんをお預かりするにあたり、生育環境の確認が必要だったので、お邪魔しました。すぐに失礼します」
えっ。すっごいまともな雰囲気じゃん。やればできるじゃん、ジェレンス先生!
「それはどうも……ええと」
「ルルベル、部屋に案内してくれ」
「あ、はい。お兄ちゃん、先生とわたしがお昼に食べるパンを持たせてほしいんだ。見繕っといて」
兄はこくこくと頭を縦にふりながら、たぶん先生に挨拶するために頭を下げた。駄目だ、混乱してる。
父と兄はなりゆきにまかせることにして、わたしは先生を部屋に案内した。便所と風呂はまだだが、寝室は二箇所とも制覇されちゃったよ。吸血鬼より、担任の襲撃の方が先だとは。
しみじみしているわたしをよそに、ジェレンス先生は一切の躊躇なく部屋に入った。三階と呼んでるけど、実質、屋根裏部屋である。斜めに傾斜した天井は屋根の形状そのまんまだし、まっすぐ立てる高さがあるのは部屋の中央部だけ。家具は寝台と姿見、あとは大きめの蓋つき木箱がいくつか。チェストといえば聞こえはいいけど、まぁ物入れだよ。うん。
家を出て数日、豪華な寮を経験した目線で眺めると、記憶よりさらに……粗末だ。
「この天窓から出られるな。おまえ、出たことあるだろう」
「……ありますけど、なんでわかるんです?」
「教師だからな。出口どうするかなぁ……不在のあいだに模様替えされても困らない場所にすべきなんだ」
「家族にいっておきましょうか」
「黙っとけ。どこからどう漏れるかわからん」
「……はい」
ジェレンス先生はわたしを見て、静かに告げた。
「おまえの家族を信じてないわけじゃない。ただ、ことがどれだけ重大かの理解が及ばなかったり、うっかり口をすべらせることを案じてるんだ。知らなければ漏らしようがないからな」
なんてことだ。ジェレンス先生が! 気を遣ってくれている!
「はい。ありがとうございます」
「屋根に描くぞ」
「は……ええっ?」
ジェレンス先生は天窓を開けると、ひらりと外に出た。いや……今の動きもあきらかに人類のふつうの身体的な運動じゃないよね、魔法だよね、そうだよね?
天窓に駆け寄ったわたしが外を覗くと、ジェレンス先生は窓の上部にしゃがみ、屋根に図形を描いていた。
「雨が降ったら消えませんか」
「耐久性のある塗料だから大丈夫だ。しかも、乾くと透明になる。魔力取り込みしないから、使わない限り探知魔法にも反応しない。いいことづくめだろ。あ、そうだ、おまえの部屋に描いたやつも透明になるから、場所はよく覚えとけ」
魔法みたいだな……いや魔法なんだけどさ!
「はい、先生」
「それと、転送陣を使うときは、自分がどういう場所に出るのかを忘れるな。逃げたはいいけど転がり落ちました、じゃ洒落にならん。屋根に出たのは、子どもの頃だけじゃないよな?」
「……最近もたまに」
隠しても意味がなさそうなので、わたしは正直に白状した。
だって屋根裏部屋って天井が低めだから。圧迫感から逃れるために、わたしはたまに窓から出ていた。接客で疲れ果てたときなんかに、屋根の上で夜風に吹かれるのが楽しみだった。
「じゃ、問題ないな。もしものときは、屋根づたいに移動できるところまで移動した方がいいかもしれん。ついでに経路確認するか」
「やめてください。このまま姿をくらましたら、うちの家族が……」
「あ、そうか。ご家族に安心してもらうのは、だいじだな」
ジェレンス先生、家族がからむと急に常識人になって礼儀もわきまえるの、謎だ……。
下に戻ると兄が姿を消していて、母が代わりにスタンバイしていた。先生に挨拶するためだろう。
「うちの娘、なにか失礼をしたのでは」
「生徒が心配すべきは、礼を失しているかどうかではありません。正しく魔法を学べているかどうかです。お嬢さんは向学心が高く、今後が楽しみな生徒です」
「まぁ……」
ねぇ。なんで両親ともに、わたしがなんかやった設定で話すの!
苦情をいおうにも、母は完全に舞い上がっている。つまり、ジェレンス先生のイケメンぶりにやられちゃったのである……本性を知らないって、おそろしいな!
「あわただしくて恐縮ですが、午後からの予定も詰まっておりますので、これで失礼します」
「ご丁寧にありがとうございます。ルルベル、これ――」
焼きたてのパンがたくさん入った包みを渡してくれながら、母はこそっと耳打ちしてきた。
「――すごい美男じゃないの! よかったわね!」
いや、全然よくない。というか、美男は余っている……少し減ってもいいくらいだ。
「ありがとう。また、帰れるときがあったら顔見せるね」
「元気でな、ルルベル」
「しっかり勉強するんだよ」
「ご近所をお騒がせしたくないとの娘さんのご要望ですので、姿を隠します」
ジェレンス先生は、こともなげにそういった。そして、そのまま消えた。たぶんわたしも消えた。
このときの両親の顔は、なかなかの実物だった。まぁ、びっくりするよね。下町に、こんな魔法を使える魔法使いはいない。ていうか、下町じゃなくてもそうそういないだろう。
裏口から外に出たとたん、ジェレンス先生はわたしの手をとった。
「上がるぞ」
上がるってどこへ、と訊く暇もない。屋根か! 逃走経路の確認か! と気づいたときには、もう現着である。やることが早いし説明がない!
その後、実際に屋根の上でどれくらい動けるかを見たいというジェレンス先生の要請に従って、わたしは近所の屋根の上を走ることになった……長屋が多いとはいえ、途中で建物が切れる場所もあるし、高さも差がある。屋根だけで移動するのは難しい。なにより、降りるのが難しい……。
「現時点では、地上に降りられる経路の確保が必要だが、いずれは呪符魔法で飛べるようにしよう」
「飛ぶ……そんなことできるんですか」
「世界一の呪符魔法使いになるんじゃなかったのか?」
勢いで口走っただけのネタを、いつまでも引っ張らないでほしい!
「なりたいと思うのと、なれるかどうかは別問題ですよね! それに、世界一なんていってませんよ」
「いっとけよ。自分の可能性を信じろ。未来を閉ざすな。夢は大きいほどいい」
「あんまり大きいと、掴みきれません」
「掴むためには前へ進むだろ? 無理だと思えば一歩も進まん。愚者の極致だ」
魔法はイメージだ、とジェレンス先生はくり返した。
「魔王の封印もイメージでなんとかなりますかね?」
「イメージさえできないなら、さっさとやめておくべきだな。それくらいなら、俺が倒しに行く方がまだましだ」
「倒せるんですか?」
わたしの問いに、ジェレンス先生はにやりと笑って答えた。
「やってみたいことの、ひとつだな」




