339 レーシグのサムスラッハ
アリアン嬢とシスコは、それから『魔法使いの輪舞』についてアツく語り合い、『奪われた魔法』シリーズの次の展開がどうなるかという予想を戦わせ、我々は完全に置き去りになった……。
正直、『奪われた魔法』は読んでみたくなっちゃったよね。魔法を奪われた魔法使いが、持ち前の呪符魔法の知識で犯人を追い詰めていくって話なんだけど、呪符魔法と魔道具の使いかたが面白そうで。「なるほど、そんな発想が!」ってなる……フィクションだからそのまま使えたりはしないだろうけど、考えかたの参考になりそうかなって思う程度には、現実に即してるし。
「でも、魔法を奪われるなんてことがあるの?」
と、ちょっとつまらなさそうな顔のシデロア嬢。
「記録はあるよ」
と、なんでも知ってるファビウス先輩……。さすが、さすファビ!
「レーシグのサムスラッハよね」
……アリアン嬢も、さすアリなの? シスコもついて来るかと思ったけど、これはさすがに知らなかったらしい。大きな眼で、わたしを見てる。
わたし? もちろん知らんがな。
なので、知らない組を代表して質問してみた。
「レーシグのサムスラッハって、なんですか?」
「レーシグは、大暗黒期より前の魔法使いだね。かなり詳細な記録が残っている、稀有な人物だ。サムスラッハっていうのは、レーシグが書いた論文の通称だよ。彼は副属性も含めて四属性が使えたそうなんだが、主属性である水を奪われた経験がある……と、書いてるんだ」
「もちろん、信憑性については疑問視されているわ」
アリアン嬢が、クールに補足した。
そっか……記録が残ってるからって、すべて事実とは限らないもんな。
「サムスラッハって言葉は聞いたことがないわね。どういう意味なの?」
シデロア嬢の質問に、アリアン嬢は肩をすくめて答えた。
「よくわからないの。サムスラッハを仮定すれば説明がつく、っていうのがレーシグの主張」
「なんなの、それ?」
「簡単にいうと、レーシグの仮説の核になるのがサムスラッハなんだ。僕らの魔力って、魔法の属性と不可分だろう? サムスラッハっていうのは、それの分離に成功した魔法使いの名前。同時に、その技術の名称でもあるね」
魔力と属性を分ける?
考えたことなかったけど、そういえば、わたしたちの魔力ってそれぞれ属性がビシッと決まってて、だから自分の属性の魔法しか使えないのが当然なんだ……。
「じゃあ、属性を奪われても魔力は残ってるんですか?」
思わず尋ねると、ファビウス先輩はうなずいた。
「レーシグの体験では、そうだったらしい。主属性の魔法を奪われると、主属性からの派生で使えていた副属性の魔法も使用不能になる――と、レーシグは書いてるね」
「わたしはかなり疑ってるわ。でも『奪われた魔法』シリーズでは、そのサムスラッハ理論をうまく使ってるのよ」
……また小説の話に戻ってしまうぞ! これはいかん。いや、アリアン嬢とシスコは楽しそうだけど、シデロア嬢が見るからに飽きている。
話を現実に……現実に引っ張ってこなくては!
「現実に、属性を奪われたら大変なことになりますね」
「ルルベル嬢なんか、特にね。魔王の脅威に対抗できなくなってしまうもの」
シデロア嬢は笑顔でそういったが、いやぁ……。
近々ヤバくなるらしいとハルちゃん様に聞かされた今、その仮定はちょっと怖いな!
「あはは、たしかに。ところで、奪った……と表現するからには、誰か別の魔法使いがその属性を勝手に使ったりとか? そういうことも、あったんですか?」
「レーシグの主張を信じるなら、その通りよ」
アリアン嬢が、レーシグとかいう魔法使いの書いたものに、非常に懐疑的であることはわかった……。
ファビウス先輩が補足してくれる。
「それがサムスラッハ師、ってことだよ。レーシグが勝手につけた名前だけどね」
「えっ、なんですかそれ?」
「同時代の魔法使いを名指しで糾弾するのは避けたかったらしくて、実在しなさそうな名前で呼んだのさ」
「迂遠な話ですわね。……奪ったり奪われたりは嫌ですけど、自分が使えない属性の魔法を使えるのは、ちょっと面白そう。平和的に譲渡ができればいいのに」
シデロア嬢がいうと、アリアン嬢がばっさり。
「誰かに自分の属性を渡す魔法使いがいると思う?」
「……いないわね」
誰も異論がないらしく、その話題はそこで終わった。
ふぅ、いい仕事をしたぜ! と思った、その瞬間。
「話を戻していいかしら? シスコ嬢、レーシグの話をして思いだしたのだけど、それこそサムスラッハを使うつもりではないかと思うの。あの作者の知識からして、サムスラッハを知らないはずはないわ」
「……わたしはレーシグのそれは読んでいないので、理解が及ばないかもしれませんが……」
「たとえばよ? レーシグが遠回しに指摘したような、突然副属性が生えてきた魔法使いを利用するとしたらどうかしら。最新刊の、最後の場面は覚えていて?」
「はい。フィマールが、呪符で罠を構成しているところで終わりましたよね?」
……ねぇ、その話これ以上つづけるの?
さすがに打つ手がないぞと思ったわたしの横で、ファビウス先輩が苦笑混じりに声をあげた。
「ねぇ、僕もその小説を読んでるんだけど」
「意外ですわ」
「そう? 僕はけっこう本を読む方だよ」
いや、小説読んでると思われてなかったってことじゃない? だって、むちゃくちゃ忙しそうだし……わたしもびっくりだよ。
「では、ファビウス様はどうお考えでして? 是非、伺いたいですわ。ねぇ、シスコ嬢?」
「はい」
「それが無理なんだよ。最新刊は、まだ読めてなくてね。だから、あまり先の話を教えないでほしいんだ」
「あっ」
アリアン嬢とシスコは同時に声を上げ、ふたりで視線をかわした。やばい、やっちまった! の、顔である。
「ファビウス様、申しわけありませんでした。まだ新刊が出たばかりだというのに……配慮もせず」
「ええ、なんとお詫びすればいいのか」
「そんなに気にしないで。でも、もう『奪われた魔法』の話は終わり。たのむよ?」
「もちろんですわ」
「はい……ごめんなさい」
「……実のところ、最近は忙し過ぎて、新刊が出ていたことさえ気づいてなかったんだ。教えてもらえて助かったよ。買いに行かないとな――」
そこで、ファビウス先輩は自然に……すごーく自然にリラを見た。
ここまで完全に無音の構えのリラである。
わたしも、どうすることもできずにいた――話をふった方がいいのか、ちょっとキツ過ぎるだろうから目立たないようにさせておくべきなのか、判断がつかなくて。
だって、貴族は苦手だって話を聞いたばかりだし? よく逃げずに踏ん張ったな、とこっそり感心していたくらいだ。決意して踏みとどまったのか、それとも逃げるタイミングを失ったのかは不明だけど……とにかく、今ここにいるというだけで精一杯! の、可能性が高い。
そのリラに、ファビウス先輩は流れるように皆の視線を誘導した。黙々と食べてるリート以外の全員が、完全にコントロールされている。
「――リルリラ嬢のご実家は書店だと聞いたんだけど、何時まで営業してるの?」
さ……さすファビぃ!
頑張れリラ!
「ひゃ……はい、えっと……まだやってます」
リラぁ! 何時までって訊かれたんだから時間を! 時間をたのむ……。
「たしか、夜の八時まで開いてますよ」
シスコがフォローに入った。さすがシスコ、営業時間もバッチリ暗記してる!
「八時? それはずいぶん……そんな時間まで客が来るってことか」
「はい。お勤めが終わったかたが、その……立ち寄ってゆっくり本を選ぶ時間がとれるように、と。うちの店は、遅くまで開けてます」
「すごいな。じゃあ、これから買いに行っても間に合いそうだね。リルリラ嬢を送るついでに、『奪われた魔法』の新刊も買えるかな?」
「人気の本なので、たくさん入荷してますけど……」
「人気だから、売れちゃってるかもしれないってこと?」
「あの、たぶん大丈夫だとは思います」
毎日帰宅しているリラは、店の売れ筋も知っているし、ぱっと見でわかる程度のことなら在庫も把握してるのだろう。今まで意識してなかったけど、リラも商家の娘なんだな。
うちはパン屋だから日をまたいで在庫が残ることはなかったし、基本的は「そこになければないですね」って商売だったけど、本屋は違う。在庫の把握、大変そう……。
「よければ、ルルベルも行かない? 古代エルヴァン文字の参考書を見繕ってあげるよ」
「あ、行きたいです! ……けど、勝手に学園を出ても大丈夫でしょうか?」
「リート、校長先生に確認してきてくれる?」
「はい」
ファビウス先輩の依頼に応えるリートの迷いのなさよ……。実はファビウス先輩の親衛隊長になってしまったのでは?




