331 だからなんで坊ちゃんが得意げなんです
ジェレンス先生が連れて行ってくれたのは、あるかないか不安になる道がようやく街道に合流した少し先にある、宿屋兼居酒屋だった。
前にエルフ校長が連れて行ってくれたような雰囲気のアレだ。小さな集落の、唯一の社交場みたいな感じの店。
集落の規模の割には店構えが大きい。街道をたまに馬車が通っていたりもするようなので、行商人需要があるのかな。
「久しぶりだな、亭主」
「おっ、坊ちゃんじゃないですか」
……坊ちゃん。なるほど、伯母様の領地だからか。
「坊ちゃんはやめろよ。生徒たちにはオッサン呼ばわりされる歳だ」
「坊ちゃんがオッサンなら、俺はジイサンですな、はっはっ」
酒場の亭主らしき男性は、そういって笑った。……が、まさにわたし目線だとお爺さんと表現したくなる年代だったので、こう……。複雑な気もちだ。
その男性は、わたしを見て尋ねた。
「そちらは生徒さんですか?」
「野外実習中ってとこだな。どうにも、ここの腸詰めが食べたくなってさ」
「生徒さんにも食わせてやろうってなぁ、良い先生ですなぁ! 少々お待ちください、炙りますから」
「揚げ魚あるか?」
「夜に出そうと仕入れたもんですが、特別に揚げたてを作りましょう。坊ちゃんが来てくださるなんて、滅多にねぇことですからな」
「悪いな。あと麦酒も」
「坊ちゃん、申しわけありませんが、生徒さんをお連れのときに飲酒はよくねぇですよ」
くっ、とジェレンス先生が悔しげに顔を歪めた。いやいや……これはご亭主が正論だよね? 往路は終わったが、復路もある虚無ルートを通るんなら、素面でいてほしいわ……。
「しかたねぇなぁ。諦めるか。……外にいるぞ」
「今日は良いお天気ですものなぁ。気もちよくお過ごしください」
ジェレンス先生が外といったのは、店の裏手にあるスペースだった。
太い丸太を利用した腰掛けや、立派な一枚板のテーブルが並んでいる。お日様の光を浴びて居心地がよさそうだ。
あざやかに紅葉した木々に囲まれて、景色もよい。王都にはない環境なので、キョロキョロしてしまう。
「素敵な場所ですね」
「空気がいいだろ、王都と違って」
「はい」
大気汚染などはないので、都会だからといって空気が汚れていたりはしないんだけど、それでも違うなぁ……。なんだろうこれ。植物の量とか? 呼吸するだけで幸せっていうか。
「飯食ったあとは、昼寝するのもいいもんだぜ」
「……さすがに学園に戻らないと、皆に心配される気がします」
「放っとけ放っとけ。勝手に心配させとけばいいんだ」
「それはちょっと」
「俺が同行してんだから、おまえは安全に決まってんだよ」
なんという自信。……さすが当代最強。
「ジェレンス先生は、自由ですねぇ……」
「なに年寄りくさいことぬかしてんだ、俺より若いくせに。だいたいなぁ、おまえは気にし過ぎなんだよ、なんでも。心配するもしないも相手の自由なんだから、放っとけばいいんだ」
「いやですから、それはちょっと無理です」
「なんでだよ」
「……性格ですかね?」
「じゃあ、しかたねぇな」
そんな話をしているあいだに、ご亭主が料理を持って来てくれた。わぁ……いい匂い! 美味しそう!
「この揚げ魚がよ、王都では似たようなのがあってもなんか違うんだよな……。この店のが、いちばん美味いんだよ」
「嬉しいことをおっしゃいますな。ですが坊ちゃん、味付けは酢と塩だけですよ」
「だけど、なんか違うんだよ……食ってみろ、ルルベル」
「はい。いただきます」
勧められるまま、わたしはジェレンス先生お勧めの揚げ魚に手を出した。
……ん〜! これは美味しい! 衣は薄めで外はカリッと、中の身はふっくらジューシー。お酢と塩というシンプルな味付けも、なんかこう……絶妙である。
「どうだ」
「美味しいです!」
「だろ?」
「なんで坊ちゃんが得意げなんだか……。お嬢さん、気に入ったかい?」
「はい! 先生がここの揚げ魚がお好きだとおっしゃるの、すごくわかります」
「そうだろう、そうだろう……!」
「だからなんで坊ちゃんが得意げなんです。しかたないですねぇ、追加も持って来ますよ」
苦笑しながら、ご亭主は店に戻って行った。いやこれは美味しいわ……。
「先生、この魚だけでもここに連れて来ていただいた価値がありました」
「ルルベル、おまえは見どころがあるな!」
どういう見どころかは不明だが、誉められたと考え、無言でにこにこしておいた。口は、魚を味わうので忙しかったので。
炙った腸詰めも運ばれてきたけど、これも美味しい……。
ひょっとしてこのお店の構えがわりと大きいの、料理目当てに寄っていくお客が多いってことでは? 前世でいえば、長距離トラック・ドライバーに人気の店、みたいな。
「ジェレンス先生は、ここでお育ちになったんですか?」
「この村ってわけじゃねぇけどな。おっかねぇ伯母の館に、何年か」
「……子どものジェレンス先生って、想像がつかないです」
「背が低くなって、声が高くなったところを想像してみりゃいいだろ」
難しい……。
そんなどうでもいい会話をしながら食事を済ませ、食後のお茶もいただいて。いやぁ……極楽極楽!
そこでジェレンス先生が立ち上がる――えっ、今すぐ虚無空間通ったら絶対に吐く自信あるぞ!
「散歩しようか」
「散歩」
「腹ごなしだ。美味い水を飲ませてやるよ」
「わかりました」
今のわたしはジェレンス先生の味覚に全幅の信頼を置いている。美味い水っていったら、きっと美味い水だろう。飲ませてもらおうではないか!
「ちょっと遠いし、低空飛行で行くぞ」
「え」
歩いて行けないほど遠いんですか? じゃあ遠慮したいっていうか、ジェレンス先生は午後の授業に間に合うように学園に戻れるのですか!
なんて疑問を口にする暇もなく。
ジェレンス先生が手をつないできたと思ったら、そのまま身体が浮き上がり、ひゅーん! と飛びはじめてしまった。
いや……えっ。こわっ!
想像していただきたい。道なりに進んでいるわけではないのである。むしろ道のない森の中をびゅんびゅん飛んでいるのである。
巨大な樹が多いせいで、密度はそんなでもないから高速の低空飛行が可能なのだろうが……いやでもこわっ! 飛び出してる枝はおそらく障壁で跳ね除け、倒木なんかは瞬間的に高度を調整して飛び越えるんだけど、速い! 速過ぎるよ!
安全ベルトなし、筐体なしのジェットコースターに乗ってる気分!
「そろそろ歩くぞ」
と宣言されて地面に足が着いたときには、そのままその場に崩れ落ちそうであった……。
「気もち悪い……です……」
抗議をしようにも、飛んでいたあいだは声も出ない状態だったのだ。いやぁ……虚無体験じゃなくても、こんなびゅんびゅんされたら吐くって。
……あんな美味しいものを吐きたくない! 根性で! 耐える!
「そうか。慣れてないからか。悪かったな。……もうちょい行くか」
悪かったとかいった次の瞬間それ!?
と思ったが、やはり抗議が間に合わないうちにふわっと浮き上がり、今度はゆるめの速度でふわふわっと。飛んで行くあいだに、なにやら音が聞こえてきた。
「滝……?」
そこまでほとんど平坦だった地面は、巨大な岩で区切られていた。唐突に出現したその岩山に、滝がある。一旦滝壺で受け止められた水は、川となって森へ消えていた。これが美味しい水なのだろう。
でも、ジェレンス先生はそこで立ち止まってしまった。
「誰かいるな」
わたしはまったく感じないけど、ジェレンス先生は厳しい表情だ。
「誰かって……誰なんです?」
「魔力量が異常に多い。間違いなく強力な魔法使いか、上位の眷属だ」
……結局、魔将軍見物になっちゃいましたー! みたいなオチはやめてほしい。
「魔法使いの方に賭けます」
「なにを賭けるんだよ」
「ウィブル先生にいいつけない権……?」
「……いいか、その賭けに俺は乗ってないからな?」
「えー」
「負けたかねぇし。見ろ、魔法使いだ」
なにも見えませんがといいかけて、わたしは眼をしばたたいた。
そこに――滝壺の前に、人影があるのだ。さっきまでたしかに無人だったのに。
……ていうか、なんか見覚えが……。
あっ!
「ハル……様?」




