329 わたしの心がでんぐり返しをしてしまう
ファビウス先輩はなぜ真顔でこんな……す……好き、とか、恋、とか! わたしが呼吸困難になりそうな言葉を連発できるんだ! 上級者か!
……上級者だな。
「そう考えると、僕がしたことは最悪だよね」
「最悪……?」
「うん。僕を信じてくれる君に恋をしたのに、その信頼を裏切るような真似をしたんだ。欲に負けたんだよ。君を逃したくなくて。自分のものに――僕だけのものに、したかった」
なんなのこの激甘の執着心表明! わたしの許容量を超えている……ッ。
おかーさーん、たすけてー!
「ルルベル」
「はい」
「あんなこと、もう二度としない。約束する。……許してくれる?」
そう尋ねるファビウス先輩の声が、ほんとうに不安げで。
どう答えるのが正解なんだろう。正解なんて、ないのかな。ないのかも。
思い切って、口を開く。
「あのですね。……前にファビウス様、おっしゃったじゃないですか。わたしがなにをしても、その……許す、って」
これもかなり恥ずかしいけどな! いわないと伝わらないから、頑張ったぞ! 誰か褒めてくれ!
「うん」
「わたしもきっと、そうです。同じです。場合によっては、ちょっとムカついたり……するでしょうけど。でも、許してしまうと思います」
先行き不安しかない、恋……だけど。
魔力の稀少さとか、血筋とか、政治的な力とか、資産とか、人脈とか、アレもコレもソレもなにもかも――ファビウス先輩とわたしは釣り合いがとれない、歪な関係だけど。
「そんなことをいって、ルルベル……。僕がまた、つけ込んだらどうするの」
「わたし、思ったんです。お互いを同じくらい、その……好きでいられたら、それが対等であるってことなんじゃないかなって」
「どういうこと?」
「ウィブル先生が昨晩おっしゃったこと――わたしがファビウス先輩の顔色を窺わなければなにもできなくなるのは、たしかに怖いなって思ったんです」
「うん、僕も怖い。君を自分だけのものにしたいって感じるのは事実だから、なんらかの歯止めは必要だと思い知ったよ」
正直過ぎません? ……と思ったが、こういうところがファビウス先輩の美点でもある気がする。なんていうか、わたしが自分のことを語ると、同じだけ返してくれる感じ?
だから、ちゃんと話さないと。今、感じていることを。
「縛りつけようと考えたり、逆に機嫌をとろうとしたりするのって、たぶん、相手の好意が信じられないからですよね。だから、そこを信じられるようになったら……もう無敵なんじゃないかなって」
「無敵かぁ……」
わたしの言葉をくり返して、ファビウス先輩はちょっと遠くを見るようにした。
狭い部屋で遠くなんて見られないから、きっとなにか思い浮かべているのだろう。なにを考えているのかは、見当もつかないけど。
薄暗い部屋の中でもきらめく眼が、とても綺麗だなって思う。その眼がこちらを見て、わずかに笑みを含んだ。
「いいね。なっちゃおうか、無敵」
ファビウス先輩はわたしの手を握る手に力をこめた。そして、わたしの名を呼んだ。
「ねぇ、ルルベル」
「……はい」
「僕は君が好きだけど、ルルベルは……ほんとに僕を好き?」
「す……好きですよ」
頑張った! 誰か褒めて!
……でも恥ずか死ぬぅ。
「信じていいの?」
「もちろんです」
「……うん。嬉しいな」
んぎゃー! なにその可愛らしい反応。しかもなんで視線落としてんの。ここで上目遣いとかそういう、あざといことしないのが逆にこう! なんかこう! 素の反応っぽくて!
わたしの心がでんぐり返しをしてしまうので、やめてほしい。
ファビウス先輩って、たまにこういうギャップ見せるよね……。ふだんはこう、すべてお見通しで手を回してあるし、なにごとにも動じませんよ? みたいな感じなのに。
ほんとたまに……手をさしのべて守ってあげないといけない気もちにさせるよね……これも計算してのことだったら怖い。ちょっと釘を刺しておこう。
「もちろん、少しムカつくのがつづいたら、信頼は落ちていくものですからね? 気をつけてくださいよ」
「……気をつけるよ。そういうのって、よく聞くからね」
「そうですか?」
首をかしげたわたしに、ファビウス先輩は今度こそ伝家の宝刀である上目遣いで。
「女の子って、耐えるのに慣れてるから。少し不快でも、疑問を感じても、我慢しちゃうんだよね。口答えするなんて、淑女の礼儀にかなわないって教えられるせいかな」
「あー……」
「だから、なんか嫌だなって思っても我慢して、我慢して、我慢して……積み重なったものがもう耐えられなくなったところで急に、ばぁん! って。破裂しちゃうんだ」
わかる気はする。
下町の常識的にも、基本、女は男に逆らわないものだ。上流階級ほど厳密じゃないけど――だって淑女でも紳士でもないからね――我慢してたけどもう無理! ってなる話はよく聞くよなぁ。
ただ、それこそ下町では爆発した女性が責められることはない。そして、一回爆発した女は強くなる、ってのがよくある話。我慢しても無駄って悟るんだろうな。
「ルルベルは、わりと言葉にしてくれる方だと思うけど。でも心配だな」
「わたしはそんなに我慢強くないですよ」
「それは嘘だね」
そういって、ファビウス先輩はわたしの眼を覗き込んだ。うっ……緊張する。
「嘘じゃないです」
「じゃあ、その『嘘じゃない』って言葉をほんとにして。僕に不満があったら――いや、僕に限らずどんな悩みでもちゃんと相談してほしい。ルルベルはきっと、くだらない相談をして僕の時間を浪費するのはよくないことだ、みたいな判断をしがちから」
……それは否定できない。
「気をつけます」
「僕も、できるだけちゃんと話すよ。最強でいるために必要なことだと思う」
「なるほど……そうですね」
親しいと思っているひとの話を別の誰かから聞かされたりするだけで、けっこうショックだったりするもんな……。なんで自分には教えてもらえなかったんだろう、って。
……あ。
「そしたら、最近わたしが悩んでたことをお話ししてもいいです?」
「もちろん聞かせて」
わたしはシスコとリラの話をざっと説明した。最新情報として、リラも思ってたよりちゃんと他人の話を聞けるし、偏見をもってたかもって反省したところまで含めて。
こういうのだって、第三者から知らされたらきっと、なんで相談してくれなかったの? ってなると思ったからだ。
もちろん、社交力の高いファビウス先輩ならではの助言があるかも、という微妙な期待もあったわけだが……。
「次の夕食は、貴族の女子も誘ってみたらいいんじゃないかな」
「貴族の……?」
「うん。話を聞いた感じ、リルリラ嬢がシスコ嬢にだけべったりな理由、貴族とはつきあえないって思い込んでるせいだろうから。ルルベル、けっこう一緒に行動してたよね? 伯爵令嬢たちと」
「あ、ご存じなんですね」
「リートに聞いてる。最近は、彼女たちを放置してるのも」
……リート? リート買収されてない?
「もしかして、わたしが今説明したような話も……」
「少しは聞いてる。ルルベルがまた他人のことに首を突っ込んでます、って程度の内容だけど」
親衛隊長ぉー! おまえは誰に仕えているのだーッ!
「次は僕が同席するから、彼女たちに声をかけてよ」
「でも……シスコも、あまり貴族のひとたちとは――」
「気になってたんだよね、そこも」
「――そこ?」
「シスコ嬢と貴族のあいだには壁がある。まぁ、僕なんかはお目溢しされてるというか、もう諦められてるけど」
お目溢し……諦める……?
「シスコはそんなに上から目線じゃないですよ」
「表現はともかく、彼女は貴族とはつきあいたくないんだよ。君の友人としてやっていくなら、それじゃ済まない。そのことは理解していても、避けられたら避けてしまうんだろう。でも、もったいないよね? せっかく学園で人脈を作れるのに、そうやって壁を作ってしまうのは」
「それは……わたしのせいでシスコに負担をかけるのは、嫌です」
「うん。君がそう考えるだろうと思って黙ってたんだけど、そうやって勝手に黙って気を回すんじゃなくて、ちゃんと伝えておいた方がいいって理解したから。敢えて指摘するよ。シスコ嬢はもう、わかってる。だから、一歩踏み出す手伝いをしよう。僕たちで」
ね? と微笑むファビウス先輩を、拒否するのは難しい……。




