320 おこだ。エルフ校長、激おこだ
戻って来たリートは機嫌が悪かった。そりゃそうだろな……。
エルフ校長も――いつものように慈愛に満ちた微笑をたたえていたが――かなり気分を害しているように見える。
なんでかわからないが、わかるんだよ! なにこの圧。謎圧。
「ファビウス、君はもう少し自分の生活態度を考えるべきではないですか? なぜ健康についてだけ、ここまで無頓着になれるのか……まったく、わかりません」
「返す言葉もありません」
「気もちのこもっていない言葉は、わかるんですよ」
わからないけどわかるんだな! わかるぞ!
正直、わたしも今のファビウス先輩の応答、口先だけだなーって感じる。わかってないのだ、このひとは。
さっきから、わかるとかわからないとか考え過ぎて、わかるの概念が崩壊しそうだけど……とにかく、ファビウス先輩は自分の健康状態を維持するために生活の質を上げるべきってことを、実感してない。
そうだろうけど研究が優先だよね、で終わってる。間違いない。わたしにはわかる。
……ああ、また「わかる」とか思っちゃった!
「そんなつもりでは――」
ファビウス先輩が反論しかけたけど、エルフ校長は言葉をつづけることを許さなかった。
「若者は、自分が死なないと思っている。ですが、人間は容易に死ぬのですよ」
エルフ校長がいうと、説得力がパネェでございますよ。
人間は容易に死ぬのですよ――そりゃエルフに比べたらね! 寿命が違うし!
いやでも、それにしてもなんかこう……エルフ校長が厳しくない? これ……怒ってない?
「僕は、そこまでの無茶をしているつもりはありません」
「君の主観的な『つもり』など。なんの価値もありませんよ、ファビウス。前に、倒れていたのを発見されましたね? あれは異常なのですよ。でも、君はそれを理解しなかった。周りは、君が無理をし過ぎる性質だと気づいた――だから、僕が呼ばれたのです。でも、君自身は! 肝心の君自身は、なにも懲りていない!」
……間違いない。おこだ。エルフ校長、激おこだ。
なにがエルフ校長の怒りのトリガーになったのかは不明だが……。順当に、ファビウス先輩の不養生に怒ってるという解釈でいいだろうか?
なお、壁際でむっつりしているリートの不機嫌については――戻って来たら研究室のドアが開いていて、俺のやらされたことは無意味だったじゃねぇか! といった感じだろう。たぶん。
「今回は、意識不明で倒れていたわけではありませんよ」
「でも、ルルベルに呼ばれても気がつかない状態だったのですよね? ナヴァト、正確な状況を報告してください」
ナヴァト忍者は、チラッとわたしを見た。さすが上下関係ビシッとしてるな!
わたしは、大きくうなずいた。
つい、絆されてしまっていたが。ファビウス先輩が健康を度外視した活動をつづけることについては、わたしも不満があるのだ。
やめてほしいし、やめさせねばならないと思っている。
前世の記憶がよみがえるわけよ……たぶん不養生とか不摂生とかで急死したと思われる、才能ある若者がさぁ! ニュースになったよねぇ!
そしてこれ「才能ある」からニュースになって、友人でも親戚でもない人々にも知れ渡るだけで。才能がない若者だって亡くなってると思うんだよ。体力を過信して……。
エルフ校長の発言じゃないけどさぁ、人間って死ぬからね! 簡単に!
「ある程度の状況は、隊長からすでにご報告を?」
「ルルベルがドアを叩きはじめたところまでは聞いています」
「その後ほどなくドアが開き、ファビウス様がお姿をお見せになりました。少しぼんやりとしたご様子で、聖女様のお手に怪我がないかを気になさっているようでした。聖女様が先に立って室内に入られ、食事を手配するようご依頼を受けましたので、俺は――ああ、来ました」
玄関の方で音がしたので、配達人が来たのだろう。リートがさっと向かったから、そういうとこリートだなぁと思うよね、ほんと……不機嫌だろうとなんだろうと、やるべきことをやる。ちょっと尊敬するかもしれない。したくないけど。
「つづけて」
「はい。ファビウス様は、聖女様がおそばを離れるのを嫌がられましたので、俺がお茶をご用意しました。そのあと、ファビウス様が聖女様に、食事をするあいだは留まってほしいとおっしゃいまして、そこへ校長先生がご到着になったという流れです」
「なるほど」
エルフ校長はそれだけいって、黙ってしまった。
……え。なにこれ。嫌だよ、こんな緊迫した雰囲気で無言がつづくの!
わたしなにか喋った方がいい? それとも喋らない方が……よさそうな気はするが。気はするんだが、いたたまれない!
「パンとスープが届きました」
おお、リートよ! 不本意だがありがとう!
わたしは立ち上がり、トレイを受け取るべく手を出した。
「ありがとう。……えっと、校長先生。まず、ファビウス様にお食事をしていただきたいんですけど、かまいませんか?」
「君の手を治す方が先ですね」
えっ……。あっ! 今の動きで手を見たのか、そりゃそうか!
わたしがドアを叩いたといっても、そこまでの勢いだとは想像していなかったのかもしれない。それもそうだろう……ふつう、こうならないよな。
実際のところ、今でもじんじんしてるし、まぁまぁ痛いよ。放っておけば治るといっても、エルフ校長は許してくれないだろうなぁ。
「ふれてもかまいませんか?」
「はい」
エルフ校長は、てのひらを上にしたままのわたしの手に、そっと手をかさねた。
……む? なんか、じんじんが少し……少しだけど、よくなった……かも?
「やはり、生属性は難しい。ウィブルのところに行きましょう」
「えっ、そこまでしていただかなくても――」
「ナヴァト、同行しなさい」
「はい」
「リートは残って、ファビウスがちゃんと食べるよう見張りなさい」
「わかりました」
リートのことだから、うっかりすると代わりに食べちゃいそうだが……まぁ、あんまり肉肉しいメニューじゃないから大丈夫かな!
そんな呑気なことを考えているわたしの腰に、エルフ校長は手を回した。しかも、ナヴァト忍者に距離を詰めるように指示した――ということは、瞬間移動するつもりですか!
今回は移動先がわかってるから、だいぶ気楽だけども。保健室なら問題ない。エルフの里ほどビビらなくて済むしな!
でも、即座に移動するかと思ったら、そうでもなく。
エルフ校長は、わたしをかるく抱き寄せたポーズのまま、ファビウス先輩を見下ろして告げた。
「ファビウス、ルルベルの手をこんな風にしたのは自分だということを胸に刻みなさい」
「……はい」
「え、これはわたしが勝手にしたことで」
「その理屈は通用しませんよ。ファビウスの反応がなかったから、したことですよね?」
そういわれると、返す言葉がない……。
エルフ校長は、ファビウス先輩から視線をはずさないままだ。
ファビウス先輩も、さすがに神妙な顔つきになっている。やっと目が覚めてきたというところだろうか。
「とにかく。自分がルルベルを傷つけたことを理解しなさい。その上で、次があったとしたら――僕はもう許しませんからね」
……怖いよ! 圧が! エルフ校長ってこんなに強烈な圧をかけられるひと、いやエルフだったのか!
と思う暇もなく、びゅんっ! と景色がふっとんだ。
「わぁ……」
思わず声が漏れたときには、わたしたちはもう保健室にいた。
……勝手知ったる学園内とはいえ、室内から室内への瞬間移動ってなんか怖くない? めりこんだりする心配はないの? 天井とか壁とかさ! あと、転移先に誰かいたら、どうすんの?
「ウィブル」
「校長先生……ルルベルちゃんも? どうしたの?」
「ルルベルの手を診てやってください。充血がひどい」
「……うっわ」
シンプルに声をあげ、ウィブル先生はすごい表情になった。
あ、これもアレだ。おこだ。
「なんでこんなことになったの?」
ほら! これ絶対、激おこ声じゃん!
「ええっと……」
困った。どう説明しても、ファビウス先輩が悪いってことになりそうじゃん!
わたしはそんなのは望んでないんだよ……でも手がじんじんして痛いのは事実だから。
「まず、治していただけますか?」
図々しくお願いしてみた!




