318 元カノ気取りの護衛は黙って見てろ!
ファビウス先輩の研究室は、静まり返っていた。
つまり、ドアをノックしても反応がない。
「お留守なんじゃない?」
「いや、それはない。吸血鬼から取得した情報を整理・計算しているはずだ」
「計算って、魔王の復活位置の?」
「そうだ」
答えながら、リートはかなり乱暴にドアを叩いた。傷がつくんじゃないかと心配になる勢いだけど、ドアはびくともしなかった――物理対策もほどこしたんだな。絶対やるよな、ファビウス先輩なら!
「邪魔されたくないときは防音にしてるとかじゃない?」
「いかにも、やりそうだな。けしからん」
「けしからんって、何様」
「ナヴァト、運び屋に食事の注文があったか訊いてこい。中で倒れていると困る」
「了解」
イケボの返事だけ残して、ナヴァトは消えた。いや、はじめから消えてるけど。
「運び屋って?」
「いろいろ運んで来るやつらがいるだろう。あいつらはな、召使いとか使用人とか呼ばれるのを嫌うんだ」
「え、なんで」
「そういうのとは違う、研究所の研究員の皆様のご用向きを承る係……とでも主張したいのだろう。実質的には、どこも違わんが。正式には別の名前があるはずだが、運び屋で通じるし、ギリギリ叱られない」
ギリギリを攻めないでくれないか?
……まぁね、俺たちはちょっと違う! って思う方が楽しく仕事できるんなら、それはそれで問題ないけども。そんな呼びかたがあるとは知らんかった。気をつけよう。
リートはまた、ドアをがんがん叩きはじめた。すごい音だ。……これたぶん、生属性で身体能力を強化してるよね……あの鉄板を指でつぶしてたときみたいなやつ。それに耐えてるドアもすごいんだけども!
「やっぱり、お留守なんじゃない?」
「なぜそう思う」
「だって、最近はちゃんと睡眠も食事もとってらしたし……しっかり習慣になってるはずだから。前みたいな無茶は、なさらないでしょ」
「君がいなくなったら、そんなもの。即、雲散霧消だ」
えっ。
「……いやいや。まさか」
「君はファビウスのなにを見ていたんだ」
ちょっと。元カノみたいな発言しないでよ!
カレのことはアタシの方がよく知ってるのよ(フフン)、みたいな!
「隊長、今日はなにも注文がなかったそうです」
そこへ、イケボだけが帰ってきた……本体もいるんだろうけど、感知できるのは声オンリーである。
わたしは気になるが、リートはまったく動じない。
「ナヴァト、これなんとかできるか?」
「ファビウス様の呪符魔法ですよね。俺では、どうにも」
「光属性では、なんとかならないか……」
「校長先生を呼びますか。あるいは、ジェレンス先生」
前者はともかく、後者は研究室崩壊の危機じゃん。喜んでなんかやるぞ、あのひと。
「待って。わたしにやらせて」
「やるって、なにを」
リートの問いには答えず、思いっきり。わたしは、左手をドアに叩きつけた。
ばん、という音のあいだに少しだけ、コン、という硬質な音がある――かなり思い切って叩かないとドアに当たりもしない、それは指輪の音。
わたしをストーキングするためのツールだ。
ファビウス先輩のことだから、振動……くらいじゃ駄目でも、はげしい衝撃がフラグとして組み込まれている可能性がある。というか、あのひとならやる。絶対やる。
わたしだって!(ばん!)
ファビウス先輩のこと!(ばん!)
知ってるんだから!(ばん!)
「ファビウス様!」(ばん!)
全力で叩くせいで、すぐに手が痛くなってきたが……これは必要経費だ。
「ファビウス様!」(ばん!)
「……おい、ルルベル」
リートが腕をとろうとしたが、わたしはそれを振り払った。
元カノ気取りの護衛は黙って見てろ!
「ファビウス様、そろそろ気がついてください!」(ばん! ばん!)
でないとわたしの手がピンチ! というか、これだけ騒いで気がつかないって、ファビウス様がピンチの可能性……。
「リート、念のためにこれ」
「……校長か」
ポケットから出した紙の正体に、リートは一瞬で気づいたらしい。
「呼び出せるのか、転移させられちゃうのかは不明だよ。確認しようしようと思ってるんだけど、いつもしそびれるんだよね。わたしが使って、ここからエルフの里に飛ばされちゃっても困るし……ナヴァトだって困るでしょう? リートなら大丈夫だから、お願い」
「勝手に大丈夫にするな。俺だって、エルフの里に行きたくはない」
「でも、一瞬で校長先生と連絡はつくはずだし」
「くっそ校長が!」
叫んで、パァン! リートは例の紙を折りたたみ、両手で強く打った――そして姿が消えた。
「……今のは?」
ナヴァト忍者の声は、動揺を隠せない。それでもイケボだけど。
「校長先生に渡されてる、緊急用のなにか。空間操作するなにかっぽい」(ばん!)
「なにか……っぽい……」
「いつも説明がたりないのよ」(ばん!)
わたしはだんだん焦ってきた。まさか読み違えたか? これだけ指輪に衝撃を与えたら、ファビウス先輩が気がつかないはずないと思うんだけど……。
「ファビウス様、生きてますかッ!」(ばん! ばん!)
次のばん! をやろうとしたとき、ドアが開いた。
「……ルルベル?」
ちょっと信じられないくらいモッサリした感じのファビウス先輩が、そこに立っていた。
「ファビウス様……生きてた……」
「生きてるよ。ルルベルこそ、死にそうな顔してる。どうしたの? なにかあった?」
ほっとして死にそうだよ。でも、へたりこんでいる暇などない。
「今日! なにも食べてらっしゃらないでしょう! 水分はとってますか?」
「……どうだろう?」
ファビウス先輩が、へらっと笑った。……あっ、こういう笑いはよく知ってる。最近わたしも何回もやった……疲れてるときの笑いだ。ごまかすやつだ。
「とってませんね……。失礼しますよ。ナヴァト、一緒に来て」
「はい」
ナヴァト忍者がするっと姿をあらわした。リート……は、無駄に転送された気がするが、まぁいいか。
「ルルベル、手が……」
「真っ赤になっちゃいましたよ。ファビウス様が、なかなか出て来ないから」
そういって、わたしは先に立って研究室に入った。いやぁ……全力でずっと叩くって、疲れるね。あと痛い。マジで痛い。
ファビウス先輩は、わたしのすぐ後ろでぶつぶつつぶやきはじめた。
「……緊急連絡用の呪符が必要だな……縮小を使っても面積に限りがあるし……魔力の供給も必要……」
「そういうのはいいですから、規則正しい生活を送ってください。ナヴァト、軽食をたのみたいんだけど、どうすればいいか知ってる?」
「わかります。パンとスープあたりでいいですか?」
「満点! お願い」
「ああ、ついでになにか甘いものもたのむよ。頭がはたらかなくなっちゃって。ルルベルもいるよね? 甘いもの」
ファビウス先輩は呑気に注文を追加しているが、わたしは気がついている。足元がふらついていることに!
少し迷ってから、わたしはファビウス先輩の腕を掴んだ。
「中庭に行きましょう」
シー・スルーですべての廊下から見える中庭なら、ふたりきりになってもセーフだろう。ていうか、もうほんっと、今さらだしな! 今さらだよ……。
掴んだはずの腕は、いつのまにかエスコートのために手を添えたみたいな形にされている。それはもう呼吸するように無意識に、なめらかに、ファビウス先輩がそうしたのだ。
……王子様だなぁ。
「ルルベル、ほんものだよね?」
「偽物って可能性あります? その場合、どんな魔法を使うんですか」
「生属性の視覚操作が単純で効果が高いね。ただ、かなり魔力を使うんじゃないかな。安定性にも疑問がある。あとは、そうだなぁ……」
魔法の話なら、いくらでもできそうだな……。
ファビウス先輩って、むちゃくちゃ王子様キャラなのに、こういうとこだけオタっぽいよね。魔法オタ。そこも好きだけど。というか、魔法に対してはまっすぐで一生懸命なとこが、なんかいいんだけど!
……でも、身体はだいじにしてもらわないと。




