313 できますよ。君たちは勇敢なのですから
ガーンと来て、ズバーンって落ち込んだよね……。
ナヴァト忍者は、飼い主が不調に陥ったことを察して動揺する犬みたいな顔になってしまい、それも悪かったと思ってる。話せと命じておいて、話したらガーンってなるの、ずるくない?
他人を使う立場になるのも大変だな。命令の責任をとるの、難し過ぎる。
……で、そのあと。
「やめましょうか」
「えっ?」
放課後のエルフ語発音マンツーマン指導は、まだ開始数分である。
なお、蜜を探す蝶の気分を要求されているところだ。蝶……蝶ってなに考えてるんだろう。触覚があったり口が伸びたり足が六本あったりする生き物の考えなんて、わからないよ!
しかし。問題は、そこではなかったらしい。
「うまくいく、いかない以前に、今日は気もちが入らないようですからね」
ぎくぅ!
……いや。いやいやいや! たしかにシスコのこと考えちゃって落ち込んではいるけども、それ以上に、蝶の気もちが無理ですよ? 日本だと蝶って一頭、二頭って数えるんだよ? いやなんも関係ないけどさ!
「申しわけありません! しゃんとしますので、ご指導よろしくお願いします!」
ビシッとお辞儀をしたけど、頭を上げたら見えたのは、応接セットの方へ向かうエルフ校長であった。
……駄目か。
「お茶を淹れましょう。今日も、美味しいお菓子を用意したんですよ」
「……校長先生は、わたしを甘やかし過ぎです」
ちょっと抗議してみたけど、かろやかな笑いを返さてしまった。鈴を転がすような笑い声って、こういう感じなんですかね……よくわからんけど、耳が天国だわ。
「ルルベルは、甘やかされるのが嫌いですか?」
「そういうわけじゃ……ないと思うんですけども」
あらためて訊かれると、よくわからんな。
前世では、溺愛ものロマンスとかよく読んでたけども。隣国の皇太子とかとイチャイチャするやつ。なつかし〜! 末長く爆発してくれ、見物したい! ってなるよね。
……ちょっと待て。
今、気がついたけど。わたし、隣国の王子様に溺愛されてる流れじゃない? しかも、エルフの校長先生にも溺愛されてるね……。
なんか……思ってたのと違うな。溺愛されるのって、難易度高いわ!
「僕は人間を甘やかすのが好きですね」
聖属性魔法使いを、の間違いではないだろうか……と思ったが、そこは堪えた。
現状、エルフ校長には頭が上がらない状態である。せっかくの個人授業を、身の入らない状態で受けてしまったわけだからな……。反論するなど、もってのほかだ。
「では、おとなしく甘やかされるよう努力します」
わたしの最大限に配慮した宣言に、エルフ校長はふたたび笑みをこぼした。
これ……、逆魅了魔法、消えてます? 美しいですわ。光ってますわ。尊いですわ!
「甘やかされるのに、努力が必要ですか? でしたらやはり、甘やかされるのは嫌いなんでしょうね」
「いえ……そんなことは……たぶん」
「だったら、僕に相談してみませんか?」
「相談?」
「なにか悩みがあるのでしょう。それくらい、僕にだってわかりますよ」
不覚にも、わかられてしまった……。エルフ校長に、わかられちゃうなんて!
ずいぶん失礼な反応かもだけど、だって、エルフ校長が人間っぽい悩みに気がつくとは……思ってなかったんだよね。そういうイメージがなかった、っていうか。
……切り替えよう! よし、わかるというなら相談に乗ってもらおうか!
「では先生、ちょっと話を聞いていただけますか?」
わたしは話した。
リルリラ嬢が最近入学したこと。少数派の平民ということもあり、シスコが面倒をみていること。わたしが寮に戻ってシスコと仲良しオーラを発したせいで、リラが拗ねたっぽいこと――これは、わたしの観察から得た結論である。たぶん拗ねてる。まぁ無理もない――シスコは、どうやらリラとは気が合わない気がしつつ、見捨てることもできなくて困っていること。わたしも含めて三人で、うまくつきあえないかと思っていること……。
「でも、現状ではシスコだけに我慢させちゃってるって、気づかされて。わたし……自分にがっかりしてるんです」
「ルルベルは、理想が高いのですね」
「理想、ですか?」
「よりよい自分でありたいと願っているのでしょう? でなければ、がっかりしません」
「……そうなのかもですけど」
でも、がっかりしたくなかった。
なによりも、ナヴァト忍者に指摘されないと気づかなかったことがショックだ。
うまくおさめようとして、自分が我慢するならともかく……シスコに我慢させてるなんて。考えなくてもわかるはずなのに、それを選んでいたことが信じられない。
これも、皆に良い顔をしたい性分が原因なのかもしれない。
そりゃね、性格なんてすぐには変わらないんだから。またそれかぁ、って案件はつづくだろう。当然だよ。でも、そのためにシスコを犠牲にするなんて。
なにやってんの、わたし。ほんと最低……。
ため息をつくわたしに、エルフ校長はうなずいて見せた。
「そうですか、リルリラ嬢……。レンデンスの一族ですね。あの男も、実に狭量な人物でしたよ」
はい?
まぁ新入生の名前一発で把握してるのはエルフだからねで済むとして、えっ……。レンデンス師って……えっ? 試験対策とはいえ名前を覚えた存在がこう……狭量っていわれると、すごくガッカリ感があるの、なんで?
「初代の学園長とは、やっぱり……お知り合いなんですね?」
「ええ。この学園は我が友からの贈り物でしたが、当初……僕は、あまり乗り気ではなくてね。表に出るのも、嫌でしたし。それで彼にまかせたのですが、あれは失敗でしたね」
そうなんだ。失敗って、どんな?
でも、興味津々のわたしに向かって、エルフ校長は笑顔で告げた。
「ですが、今はその話より、ルルベルの悩みについて考えましょうね」
「……はい」
「僕らエルフにも、好き嫌いはありますが。今、シスコ嬢とリルリラ嬢が陥っているような状態には、まずなりませんね」
「そうなんですか?」
「ええ。互いの好意も嫌悪も感じ取れてしまうので、なんだか嫌われそうだと思ったら距離を置きますから」
なるほど……。
「それ、人間相手でもなんとなく感じるものなんですか?」
「いいえ。エルフ同士に限定される感覚です。人間とのつきあいを面倒がる同胞が多いのは、そのせいもあるでしょう。こちらを好いてくれているかどうか不明な相手に、どう接していいのかわからないのですよ。エルフの里では、そういうことはありませんからね」
なるほど……第二回。
エルフ校長は、相当な変わり者なんだな。
「校長先生は勇敢なんですね。そんな、よくわからない世界に出て行くなんて」
「勇敢ですか? それはどうも。……それをいえば、君たち人間は全員勇敢ですよ。よくわからない世界を当たり前に生きているのですから」
そんなことはない、と答えようとして――わたしは開いた口をそのまま閉じた。
そんなこと、あるんだ。きっと。
エルフ校長はカップをテーブルに置き、静かに告げた。
「君たちは若い」
……そんじょそこらの年寄りが口にするのの何百倍も重たい「若い」いただきました!
これに「はい」以外の回答って、あり得る? ないよな。
「はい」
「これまでも、これからも。君たちは、数多の間違いを犯すでしょう。後悔もするでしょう。それも、必ず取り返しがつくことばかりとも限りません」
とことん突き落としてくるじゃん……。
「間違いたくないです」
「無理ですよ。若いとは経験が少ないということです。判断の基準が弱いし、偏ってしまいます。当然、間違います」
「でも……」
「だから、間違うのは当然のことなのです。若者の間違いを、誰が責められるでしょう? 間違ったことのない者などいますか? いませんよ」
エルフ校長は、反語表現のあとに念を押してくるのが好きだなぁ……。
「じゃあ……どうしても間違うなら、それをどうすればいいんですか?」
「諦めなさい。諦めて、間違いを受け入れなさい。周りも間違うものだと心得て、許すのです――自分を含めた誰の間違いをも。間違いを償うにせよ、まず認めるところからです。そしてまた、次の問題に立ち向かうのです」
諦める。認める。受け入れる――たしかに重要かもだけど、できるだろうか。
不安が顔に出ているであろうわたしに、エルフ校長は告げた。
「できますよ。君たちは勇敢なのですから」
わからなくても、怖くても。それを抱えて生きていくしかないんだ。
間違うことに怯えながら、それでも。
「生きて行くって、怖いことですね」
「ええ。ですが、楽しいこともたくさんありますよ。たとえば、美味しいお菓子とか」
そういって、エルフ校長は菓子を口に運んだ。こよなく優雅に。




