308 こっわ! こっわ! エルフこっわ!
エルフ校長のマンツーマン指導は、なんというか……すごかった。
素晴らしいとか奇跡だとか。やたらと褒められる。むちゃくちゃ褒められる。
「完璧です。ええ、まさに完璧。でも、さらに先へ進みましょう。その『ア』は、もう少し弱く発音してみてはどうでしょう。音の高低だけを意識せず、もっとやわらかく。春に咲く菫が、あたたかな日差しを受けるような気もちで」
……どんな気もち? ねぇ、どんな気もち!?
わたしは植物じゃないんですよ! 光合成したりしないの!
「いいですね。最高ですよ、ルルベル。今、あなたは冬の名残りの冷たい風を受けている……太陽が雲に隠れれば、春などまだ訪れてはいないかのような錯覚を受ける。そうでしょう? ですが、その冷たい風こそが雲を動かし、そして陽光が降りそそぐ」
リートの無遠慮な指導より、難易度が高い!
わたしは菫……わたしは菫……ちょっと早咲きの菫……たぶん気が早い。前のめり。そのせいで寒くて凍えてる……あっ、おひさまが出た! あったかい! ……こうか!
「素晴らしい! 今の発音を忘れないで。それが『感じる』をあらわす『デュアン』です」
……ほんとかぁ? ほんとに、今のでいいのかぁ?
わたしは月の出を待つ木の梢になったり、きよらかな水が湧き出る泉になったり、大海に漕ぎ出す小舟になったりした。
正直、大海に小舟で漕ぎ出すのはどうかと思う。遭難待ったなしでは?
「校長先生……」
「どうかしましたか?」
「ご指導をお願いしておいて、弱音を吐くのは不本意ですが……疲れました」
なんだろ、これ。今までの練習とは疲労の種類が違う。
「ああ……僕としたことが。もっと、君の魔力の残量に気を配らねばなりませんでしたね。今日はここまでにしましょう」
「すみません……魔力切れですか?」
「つづければ、確実にそうなりますね」
「まさか、もう呪文が発動しているということですか?」
「いえ、呪文の効果は出ていません。ですが、原初の言語を口にすることは、魔力を使うことと同義ですから。魔法を使ってはいるのですよ。形になっていないだけで」
えーっ!
「じゃあ……練習も、うっかりすると魔力切れに?」
「かなり発音が正確になってきましたからね。今後は、僕の付き添いなしで練習するのは避けてください」
「わかりました」
つまりアレか。これまでは、なんちゃってエルフ語だったのか。発音してたつもりだけど、魔力を消費するほどの精度がなかったということかー!
それはそれでショックだな……。
だってさ、意地を張らずにエルフ校長の指導を受けるべきだった、ってことじゃない?
「お茶をどうぞ。喉も疲れているでしょうから」
「ありがとうございます……」
「一回の指導でここまで上達するとは思いませんでした。素晴らしいですよ、ルルベル」
「いえ、先生のご指導のおかげです」
意味わかんないのに上達したらしいのが、逆にすごい……。
香り高いお茶をいただきながら、わたしは尋ねる。
「先生、発音の正確さって、どれくらい呪文に影響するんですか?」
「十割です」
じゅ……。えっ? 十割ってマジ?
「それは、発音が正確なほど効果があるという意味ですか?」
「そういうことです」
「……先生に教わると決めてよかったです」
素直な感想を申し述べてみる。するとエルフ校長は、うっとりするような笑顔を見せた。
「ですが、事前に学んであったことも役に立っていますね。はじめから僕が教えていたら、音だけを暗記することになっていたでしょうが、今の君は違いますよね?」
あー……。それは、なんとなくわかる。
「そうですね。だいたいの意味がわかった上で、発音を学んでるという意識です」
「あなたが自分で辞書を引き、文法を把握して『読もうとした』行為は、ただの遠回りではなかった。今日、ここまで一気に学習が進んだのも、あなたに文意を理解する力があるからでしょう。単語の意味、文章本来の流れを把握しての発語は、意味も知らずに音だけを真似るのとは違うのですね――僕も、それを今までになく理解しました。真に呪文を唱えるには、暗記では不足だということです」
なるほど。
ふと、わたしはリートが話していたことを思いだした。
「古代エルヴァン文字って、この学園の生徒なら常識だと聞きました」
エルフ校長の笑顔が、少し困った感じになる。
「たしかに、文字を見て『これは古代エルヴァン文字だ』と判別するくらいまでは、多くの生徒ができるでしょう。ですが、それを読めるかという話になると、別ですね」
「そうなんですか?」
「単語のひとつやふたつ、知っている生徒は少なくないでしょう。ですが、文章を解読できる生徒は稀です。さらに読み上げで魔力を吸われるとなると――在籍中の生徒の中では、ルルベルだけでしょうね」
えー。常識って、そういう常識かー!
前世日本でいう英語より、普及率とか難易度が高いイメージでいいのかな。見ればわかるし単語も少しは知ってる――じゃあネイティヴみたいに会話できるかっていうと、それは選ばれし少数者のみ! って感じ。
つまり、呪文を発動させるにはネイティヴ・レベルの発音が必要ってこと?
……無理では?
「どれくらい練習すれば、呪文を発動させることができそうですか?」
「そうですね……あと三回くらいでしょうか」
えっ、嘘。そんな簡単なの?
「ほんとですか? もっと大変なんじゃないかと思うんですけど」
「自信を持ってください、ルルベル。今日だけで、魔力が吸われる段階にまでなったのですよ?」
「わかりました。頑張ります! ところで……魔力感知を取り戻すには、どれくらい呪文を唱える必要がありますか?」
「君次第です」
即答か!
「発音が正確かどうか……ってことですか?」
「実態としては、そういうことになるでしょうね。呪文が完璧に発動すれば、それこそ一回唱えただけでも万全な効果を得ることが期待できます。ですが、さすがにそれは無理でしょう」
そこのところは、きっちり厳しく判断してくれるんだな。
これ、わりと重大な問題だから。ルルベルなら完璧です、素晴らしい、奇跡も起こせますよ! で、ふわっと終わらせられるのは困る。
「明日もまた、放課後にお願いしても大丈夫ですか?」
「もちろんです」
「お忙しいのでは?」
「ルルベルのためなら、どんな予定も後回しですよ」
マジレスに違いないところが怖い!
「いえ、優先順位はしっかりしてくださらないと……」
「ルルベル以上に優先すべき存在が、この世にありますか? ありませんよ」
反語表現の上に念押しされ、わたしは力なく笑うしかなかった――また出たよ、へらっと笑い。やばいやばい、疲れてる疲れてる!
「校長先生、今日はありがとうございました。そろそろ夕飯をとらないとなので、失礼しますね」
「ああ、もうそんな時間なのですね」
「あの……西国の件、まだ詳細はわからないんですよね?」
さすがに進展はないだろうと思いつつ、それでも気になるから確認してみると。
「ええ。東国よりは人間に友好的なエルフが多いとはいえ、つきあいが深いとまではいえないのでね。調べてくれと依頼しても、あまり乗り気になってはくれません。まぁ……ルルベルが直接行けば、変わるかもしれませんが」
「……はい?」
「エルフにとって、聖属性魔法使いは特別ですから。……ただ、これは最後の手段にした方がよいでしょう」
完全にきょとん顔になってしまったわたしに、エルフ校長は悲しげに告げた。
「里から出してもらえなくなるかもしれませんから」
……こっわ! こっわ! エルフこっわ!
「よくわかりました」
「人間側が、もっと活発に情報のやりとりをしてくれれば……。西国といえばノーランディア侯爵家が手広く交遊しているのですが。今は動きづらいですからね」
あー。王家に睨まれてるからかー。
扉の方へわたしをエスコートしながら、エルフ校長は話をつづけた。
「いよいよ危なくなったら、公式に救援要請が来るでしょう。三国が興ったときの盟約がありますからね。魔王やその眷属と戦うときは、互いに助け合う――その約束を今のこの国がどう扱うかは、僕にはわかりませんが」
エルフ校長の微笑がブラック寄りだよぉ。不穏!




