299 呆気なさ過ぎて信じがたいのでしょう?
気詰まりなお茶会の時間は、そう長くはなかった。シェリリア殿下が侯爵家の使用人さんに「帰るわ」と宣言なさったからだ。
ご挨拶のために立ち上がったけど、こちらをご覧になることもなかった。
「あれは、追っても嫌がられるだけだから」
お見送りをしようとしたわたしを制したファビウス先輩は、そう説明してくれた。
なるほど。さすが姉弟!
「……わたしたちは、どうしましょう?」
「帰ろうか。ただ、校長先生を拾わないと拗ねるんじゃないかなぁ」
それは完全に同意である。
「リート、校長先生に連絡できる?」
「できるが、大丈夫か?」
「大丈夫ってなにが」
「君が一緒に帰ろうといっている、なんて伝えてみろ。状況も立場もわきまえず、最速ですっ飛んでくるぞ」
……これも完全に同意できてしまう。なんということだ。
ファビウス先輩が、苦笑混じりに提案した。
「僕から、って伝えてくれればいいんじゃない?」
「ルルベルが帰るなら同じことですよ」
「丁寧に説明するしかないね。学園に戻った方が研究所との連絡が密にできるから、吸血鬼がその後どうなっているかを知るためにも帰還したい。場所を貸してくださったノーランディア侯爵家には非常に感謝しているが、ご挨拶に伺うと侯爵に手間をとらせてしまうだろうし、後日あらためてご連絡する――という聖女の意向を、校長先生がよきように伝えてくださることをルルベルが期待している……と」
懇切丁寧!
ここまで説明すれば、最低限の使命は果たしてくれそうね。って思われちゃうエルフ校長の人徳っていうかエルフ徳っていうか……いやこれは徳じゃないな?
リートがエルフ校長に丁寧な説明を届けているあいだに、我々も侯爵家の使用人さんに帰ります宣言をして、馬車回しに向かった。
侯爵家と魔法学園って、距離的には遠くはないように見えるんだけどね。地図上は。つまり、互いの敷地の近い方の端っこから端っこまでの距離は、歩いて行けそうね〜って雰囲気なんだけど。門から建物までが、むっちゃ遠いのである……。これは侯爵家のみならず、魔法学園もなんだけど。
どっちも敷地がデカ過ぎるんだよ! 国立の複合施設である魔法学園はともかく、侯爵家はほんと、なんでこんな……超金持ちだからだよね、知ってた!
馬車の前で待っていると、エルフ校長がスタダンス様と一緒にやって来た。
「ルルベル嬢。馳せ参じました、お帰りだと聞いて」
スタダンス様も学園に行くのかなと思ったら、単なる見送り要員らしい。おお、侯爵家の御令息に見送らせるなんて! と思ったが、こっちの陣容も公爵、元王子現伯爵、聖女だからな……。冷静に考えれば、見送りがいない方が不自然だろう。
……ってことは、シェリリア殿下がお発ちになるときも、誰か駆けつけたんだろうなぁ。侯爵家の皆さんも大変だ。
なにしろ、招待客の皆さんを落ち着かせるという大仕事がある。
これ、わりと重要なことなのね。吸血鬼の脅威がとり除かれたって情報、センセーショナルなだけに余分な尾鰭がつきやすいし、せめて一次情報の発信者となるお茶会の参加者には、冷静に正確なところを語ってもらう必要があるのだ。……って、ファビウス先輩がいってた!
「皆様、落ち着かれましたか?」
「そうですね。父がほがらかな人間で、笑い話にしてしまうものですから、なんでも」
「侯爵閣下が……?」
へぇー……にこやかに出迎えてくださったけど、あれが素なのかな?
今日は「お邪魔します」「ようこそ」レベルのやりとりしかしていない。だから、ファビウス先輩があらためて引き合わせる時間をとろうとしていたわけだが、パン作りという使命を優先した結果、無理だった。
「ええ。なんでも冗談にしてしまう質なのです。とても似ていない父子なのです、我々は」
「スタダンス様は、真面目でいらっしゃいますものね」
「母に似たのでしょう、おそらく」
ということは、侯爵夫人は真面目タイプなんだな……。
「閣下には、後日あらためて伺います、と」
ファビウス先輩が横からいうと、スタダンス様はしっかりうなずいた。
「はい。父から伝言を預かっております。楽しみにしております、と」
「それはよかった。大変なことをお願いしてしまったけど、閣下ならばと見込んでのことなんだ。そこ、ちゃんと伝えてくれるよね、スタダンス?」
「無論。喜ぶでしょう、父も」
「君も登校したら研究室に寄ってくれていいよ。たまには」
「大丈夫ですか、本気にしても?」
社交辞令かどうかを確認しようとしてるのか……。自覚があるのは偉いと思うけど、毎回気づけるわけじゃないんだろうな。
それに、そこは地雷ですか? って毎回訊ければよいというものでもないだろう。だって、地雷ですかって訊かれた時点でもうアウト判定しちゃう相手もいそうじゃない? 大変そうだなぁ。
「僕は、君がどういう人間かは理解してるからね。来てほしくなければ、いわないよ」
「ならば、喜んで伺いましょう」
「よかった。じゃあ、失礼するよ」
……という感じでノーランディア侯爵邸を辞したわけだが、いやぁ。
疲れた。
「ルルベル、大丈夫?」
「わたし、変な顔してます?」
「変じゃないよ。いつも通り可愛いけど、疲れ果てたって表情だ」
……! ファビウス先輩の! こういうとこ! ほん……っと!
わたしは窓の外を見ることにした。頬が熱いのは、どうしようもないけどな!
「そうですね。疲れました」
「着くまで寝たら? そうかからないと思うけど」
いやいや。この姿勢で寝ると、向かいに座っているファビウス先輩に向けてつんのめるか、隣のリートにもたれて「おい」って嫌そうに起こされるかの二択ですよ。嫌だよ、そんなの。
「僕が膝枕をしましょうか?」
斜め前のエルフ校長の膝に頭を預けるには、けっこうアクロバティックな姿勢を強いられる気がするな!
「僕の膝の方が近いよ?」
ファビウス先輩の膝でも、身体ふたつ折りにしないと無理だからね?
「寝ませんよ。……さっき捕まえたのって、ほんとに吸血鬼本体なんでしょうか?」
話題を変えようと、気になっていたことを尋ねる。
「下位吸血鬼ってことはないと思うけど。校長先生は、どう思われます?」
ファビウス先輩の返答は、歯切れが悪い。
下位吸血鬼とは、吸血鬼の下僕と化した人間――いや、元人間のこと。吸血鬼としての能力はあっても、まだ独り立ちはしていない。親吸血鬼には絶対服従だし、つながりも強い。親を滅すると、下位吸血鬼も滅びてしまう……ってくらい。
エルフ校長は、かるく肩をすくめて答えた。
「やつ本体ですよ。……察するに、呆気なさ過ぎて信じがたいのでしょう?」
「たぶん、そうです。これまで手こずっていた相手とは思えなくて」
「僕も、信じがたい気もちはあります。でも、間違いありません。あれです」
「……じゃあ、もう王都は安全になったと考えても大丈夫ですか?」
「それこそ下僕がいれば、まだ犠牲者が出る可能性がありますけどね」
……そうか。そういえばそうか!
「下僕、作ってるでしょうか」
「毎晩あれだけ広範囲で多数の犠牲者が出ているから、下僕にも協力させてるのかもと思ったんだよね、当初は。でも、ジェレンス先生も校長先生も、たぶん違うって」
「下僕になったばかりの吸血鬼が、あんな繊細な制御をできるはずがないですからね。それに、やつは滅多に下僕を作りません。吸血鬼を増やしたがらないのです」
「そういうものなんですか?」
「下僕の扱いは、吸血鬼によって違いますね。複数の下僕をつねに傍らに置いて指揮する者もいれば、特定の下僕と何年も相棒のように行動をともにする者、徹底して孤独をつらぬく者……さまざまです」
そんなの、本には載ってなかった……と思う。
エルフ校長は、実例に何件も遭遇してるんだろうなぁ。さすが人間社会に居座る変エルフなだけのことはある、っていうか。エルフの里で暮らしてたら、吸血鬼なんて遭遇しないだろうし。
「あれは、孤独を好む吸血鬼でしたから。僕が知る限り、下僕を作ったことはありません」
「以前もそうおっしゃってましたが、確実な話なんですか?」
ファビウス先輩の問いに、エルフ校長はうなずいた。
「下僕にたよるのは惰弱な精神の証明であり、愚の骨頂だと考えているのだそうですよ。滔々《とうとう》と語るのを聞かされたことがあります。自分こそが至高の存在で、並び立つ者などいるはずもない――そう確信しているのです。魔王の復活も、あまり面白くは感じていないようでした」
これには、わたしがびっくりだ。
「……え? 魔王の花嫁がどうとか喋ってませんでした?」
「あれは君の気を惹くために持ち出しただけの言葉です。吸血鬼のいうことなど、信じるものではありませんよ。やつらが偽りなく語るのは、自分がいかに素晴らしいかということだけ。それ以外は、ただの雑音です」
……辛辣ぅ!
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