294 次の約束ができるって、よいものですよ
「ルルベル嬢」
パンが焼けるのを待っていると、声をかけられた。
「スタダンス様、お久しぶりです」
こういう場なので、一応、カーテシーっぽいものをキメてみる。脳内エーディリア様チェックによると、少しブレたから満点とはいかない模様。脳内エーディリア様、お厳しい……。
「ああ、久しぶりです、ほんとうに」
スタダンス様は、わずかに眼をほそめた。いつになく、やさしげな表情だ。
よく考えると――いや考えるまでもなく造形がいいので、こんな風にみつめられると落ち着かないね! もうほんと、転生先を決めたときの自分にクレーム入れたいよ。顔で転生先を選ぶな!
……とはいえ、ここに転生しなかったら、ファビウス先輩とも出会ってないんだなって思うと、今さら戻りたくもないかな。えへ。ちょっとほら。そこはね? そこは、重要なのよ。
「本日は、お招きありがとうございました」
「こちらこそ。喜ばしいことです、あなたにお会いできるのは」
このティー・パーティーって「聖女様の慰労のため、個人的に親しくしているスタダンス様が企画した」ことになっているのだ。
もちろん実態は違うよ? 良識をふっとばしたファビウス先輩がスタダンス様に話を通し、ノーランディア侯爵家が乗ったって流れだよ。
ファビウス先輩曰く。聖女と顔をつなげる上にシェリリア殿下もついて来るなんて、社交界への撒き餌としてはダイナミックにウルトラ・スーパーな感じらしいよ。
聖女――すなわち、わたしはともかくとして。
シェリリア殿下は我が国の社交界における超レア・キャラなのだそうだ。遭遇したいのに遭遇できないタイプのレアである。
なにしろ、お血筋がおよろしくていらっしゃるのでね。我が国の前王太子妃って肩書きもあることを鑑みると、東国でも央国でも間違いなくプリンセス。影響力も強い。我が国においては、かなりネガティヴな影響だけども。
ふーん、くらいしか思ってなかったんだよね。
わたしはさ、王侯貴族の皆様の思惑とか政治とか勢力争いとか、自分に関係があることとして考えるのが難しいわけ。しかたないでしょ、生まれも育ちも下町ド平民のパン屋の娘なんだから! 前世日本でだって、ド庶民だったはず。
そこでこの大温室よ。宮殿みたいな邸宅よ。
あー、この経済力とシェリリア殿下がタッグを組むの、やばくない? って思ったわけよ……ほんっと、今さらだけども!
スタダンス様は、どうお考えなんだろうか……。
「最近は、お会いする機会がありませんでしたものね。前にお会いしたのは……舞踏会でしょうか?」
「そうなります、ええ。このところ、学園でも保健室に行ってばかりで」
「わたしも、校舎の方に行く機会が減ってしまって」
「聞いております、そのように。なにかと心塞ぐことも多くていらっしゃるだろう、と。どうか、あなたが楽しんでくださいますように、ルルベル――今日のこのささやかな集まりを」
ささやかという語の定義に異論はあるけど、スタダンス様は建前を口にしてらっしゃるのではなく――たぶん、心からそう願ってくださっているんだろうなと感じたから。
わたしは、自分にできる限りのスマイルを披露した。聖女より看板娘寄りのやつ!
「ありがとうございます!」
すると、スタダンス様はさらに眼をほそめた。
……あっ。これ、笑ってらっしゃるんだな。わたしの笑顔につられたかな? やるじゃん、看板娘スマイル!
「お礼をいうのはこちらです、ルルベル。ええ、そうですとも。わたしなのです、この集まりで救われるのは」
はて? スタダンス様の言葉の意味がわからない……。
「よくわかりませんが、楽しむのってお互い様ではないですか?」
「……お互い様?」
「はい。楽しんでほしいって、スタダンス様が思ってくださったのは嬉しいです。でも同時に、わたしも皆様に楽しんでほしいと思ってます。焼きたてのパンとかで、少しでも幸せになってほしいなって。先日の園遊会で、王子殿下やエーディリア様に教わったんです。お互いに、楽しんでほしいって感じること……」
そして、吸血鬼にぶち壊されたわけだがな! 絶対許さん。
……まぁ、今回はねぇ。主催がスタダンス様で会場がノーランディア侯爵家だから、パン焼きくらいじゃバランスがとれない雰囲気ですが。お互い様って感じ……じゃ、ないよなー。
大温室の上方にあるオーケストラ・ボックスみたいなところからは、常時、品の良い音楽が流れてますし。あちこちに使用人さんが飲み物を用意してるし。招待客の皆さんは、お上品にカップをお持ちになって、談笑してらっしゃる……お茶会といっても立食パーティーみたいな感じかな、これ。もちろん椅子もあるんだけど、どっしり座ってらっしゃるのはお年を召したかたくらいですね。
そろそろフードの提供もはじまりそうな雰囲気。たぶん、パンが焼けるタイミングに合わせようとしてるんだろうな。
「楽しんでほしい……そうですね」
スタダンス様は、どこか憂いを帯びた眼差しで遠くをご覧になった。
えっ、さっきの笑顔はどこ行った。……わたし、なんか変なこといったかな?
「スタダンス様? その……なにか、お心を悩ませるようなことでも?」
「あるのでしょうか、不肖の身が悩みに浸っていないことなど」
えーっと、それは悩みがおありだということですね?
しかし、うーん……。わたしが解決できるような話じゃないんだろうなぁ。
「無責任に励ますことはできませんけど、でも、パンを食べてるあいだくらいは楽しい気分になっていただければ! 作った甲斐もあるというものです」
「……そうですね。楽しみにしているのです、パンを」
おぅ。お世辞にしても嬉しいじゃないか、パンを楽しみにしてくださるとか!
「今、焼いているところですから。そんなに時間はかからないと思いますよ、小さめに作ったので」
「やはり火の通りかたは変わるものですか、大きさで?」
「もちろんです。その日の気温や……天候でも変わります。パン種の出来でも変わるって、父は申しておりました」
……実はそのへん、わたしにはよくわからないんだけど!
そして今日のパンだって、わたしはあんまり関与してないんだけど!
「もうじき焼けますよ」
エルフ校長が会話に入って来た。迷える生徒の悩みを晴らしてくださいよ校長先生!
「こんにちは校長先生。もう焼けるのですか。期待が高まります」
「僕のぶんには、しるしがつけてあるので。取らないでくださいね」
ああああ、さっそく主張してるー!
「このスタダンス、他人のものを横取りするなど、あり得ません。もちろんです」
「前回、食べられなかったのでね……とても残念で」
しかも愚痴りだしたー!
「校長先生、それはほんとに……申しわけなかったと」
「いいんですよ、ルルベル。パンを焼いたのは君ですからね」
そんなこたぁない。パンを焼いたのは校長先生だ!
ああああ、罪悪感がチクチクするぅ!
「焼きたてが冷めていくのが残念で、つい食べてしまったんです。ごめんなさい」
「ルルベル嬢は、食べてしまわれたのですか。校長先生がしるしをつけたパンを?」
「いえ、しるしはつけなかったのです、前回は。僕が愚かだったのです」
……そういう問題じゃないと思うが、もう面倒になってきた。
「今日こそ、食べていただけるよう尽力します」
「いいんですよ。今日食べられなかったら、また次の機会が生まれるでしょうし」
「え」
「ルルベルですからね。わたしが残念がっていたら、また焼きましょうよと提案してくれるに決まっています」
そりゃまぁ……どうせ窯はエルフ校長がどこにでも出してくれるわけだし、材料も都合つけてくれるんだし。暇を見て焼きましょうよ、好きなだけ食べてください! ……って、なるよな。
発酵の匠がつきあってくれるかという問題はあるけど、そこも解決できるだろう――エルフ校長がお金を払えばね!
「次の約束ができるって、よいものですよ」
しみじみとエルフ校長がつぶやいて、あーこれまたなんらかの記憶にアレしたんだなと察するわたしである。
「そうですね。まったく、そうです。互いを信じられるから次がある、まさに」
なぜかスタダンス様も噛み締めるように話題に乗ってきたのは……ほんと、なぜ? って感じなんだけど。
でもそうか。次の約束は信頼の証かぁ……。
次もだいじだけど、わたしはまず今をなんとか乗り切りたいよね。
こんなストレスフルな催しにぶちこまれて、吸血鬼は来ませんでしたとか、来ても取り逃しましたとかになったら、やってられないからな! たとえ発案者がファビウス先輩であっても許さんぞ!
SNS連載の方がそろそろ300回に達するので、また人気投票をやろうかなと思っております!
しかし300回……よう書きましたわなぁ。




